舞台挨拶取材 現役高校生監督・村田夕奈のデビュー作『可惜夜』が「MOOSIC LAB 2023」で上映。「何気ないシーンが宝石のよう」と松居大悟も称賛
東京・K's cinemaで開催中の「MOOSIC LAB 2023」で、現役高校生の村田夕奈が監督した『可惜夜』(あたらよ)が上映された。12月13日、上映後のトークショーに、監督の村田と主演の立崎空、さらにスペシャルゲストとして、『ちょっと思い出しただけ』が今年ヒットした松居大悟監督が登壇し、制作秘話などを語った。
本映画祭の予告編およびオープニング映像も手掛けている村田夕奈は、群馬在住の現役高校生。自身の監督デビュー作『可惜夜』は、それまで映画を本格的に勉強をしたことのなかった高校生の村田が、高校二年生の夏休みを利用し、同じ学校の生徒たちと一緒に全編スマートフォン撮影で制作した45分の青春物語。
周囲との距離感に悩み、”いま”を変えてくれる”誰か”が現われるのを妄想する高校生・さわが過ごすひと夏の物語が描かれる。デジタル時代に入り、誰でも思いどおりの加工や補正が容易になったが、本作にはトリッキーな映像技巧は施されず、ことさらにリアリズムを追求した作為的な演出もない。劇映画としてのオーソドックスな演出を地道に積み重ねたことで成り立つ作品世界からは、映画の基本に忠実であろうとする村田の監督としての実直さを感じる。スクリーンに映し出されるのは、高校生たちの自然体の姿だが、思い出ビデオのようにドキュメンタルにカメラを向けるのではなく、村田にとっての”映画の法則”によって作られたフィクション世界の中で、自分たちの世代の”ありのままのいま”を刻み込み、物語りたいという思いが伝わってくる。
制作経緯について問われた村田が当時のことを振り返った。「友達の誕生日祝いで放課後に残って、おやつを広げて遊んでいたときに、動画とか写真を撮っていて。それをつなげて作ったCM風の動画を観た友達が”映画やろうよ”と言ってくれた」と、きっかけは何気ない日常から生まれたことを明かす。そして、その友人の言葉は村田の心に火をつけた。「ずっと映画を作りたくて、(撮るなら)いまだと。コロナとかいろいろあり、思うような高校生活を送れなかったので、やってみようと思いました」とコロナ禍に苦しめられた心の鬱屈の浄化作用として映画が動き出したことを語った。
物語に込めたものとして、「そのときは”大人になりたくないな”ということを一番に考えてて。そういうことを忘れたくないなというところから、映画に詰め込もうっていうスタートでした」とコメント。「全力で、どうにか思っていることを全部入れようと頑張りました」と自身の心情を映画の中で解放したことを述懐。
タイトルの”可惜夜”について。村田の口から説明されたように、”明けるのが惜しいほどの美しい夜”という意味で、出典は万葉集に収められた歌「玉くしげ明けまく惜しきあたらよを衣手離れてひとりかも寝む」だ。日の当たらない薄暗い階段に佇む主人公や、いつ明ける日が来るのか分からないコロナ禍を過ごす村田や友人たちの境遇を重ね合わせているように思える。「青春時代が自分たちにとって”可惜夜”だったらいいなという感じです」とタイトルに託した思いを語った。
主人公・さわを演じた立崎は、村田と同じ高校に通っていたものの、映画に関わる前は特に親しい間柄ではなかったという。出演したきっかけを語る。「私は元々、村田さんとあまり関わりがなくて、インスタグラムでつながっていました。高校一年生の秋頃に村田さんがインスタグラムのストーリー機能で、”誰か一緒に映画を作りませんか?”と投稿しているのを見て、演じることに興味があり、これはチャンスだと思いました」と振り返った。立崎が語るとおり、制作に際しては村田の人脈やSNSにより、学友たちが集められた。村田は「(映画制作の仲間を募るのは)恥ずかしかったんですけど、不思議とバカにする人もいなくて。面白がってくれる人ばっかりだったから、映画のエキストラとかもいっぱい集まってくれました」と協力してくれた仲間たちに感謝した。
映画のほとんどのシーンを占める学校内での撮影には障壁も多かったというが、それを突破したのもまた”映画の力”だった。村田が当時のことを話す。「うちの学校、スマホが禁止されてて。でも、スマホじゃないと映画撮れないなと。先生には、映画を撮っていいとは言われたけど、”スマホ使っちゃダメ”とか、”教室は一つ分だけ”とか、いっぱい制限をかけられて。これはたぶん、(映画制作を)ちゃんとやると思われてないなと思ったので、夏の撮影に入る前、一年生の冬に一回、MV(ミュージックビデオ)を撮ろうと」と思いついたそう。「(映画を作る仲間が)15人くらいいて、そんなにまとめたこともなかったから、メンバーを半分に分けて、二つのMVを撮ろうと思いました」と初演出にして二つのチームを率いることになった苦労を語った。
そして、MVづくりは周囲を巻き込んでいく。村田組のプロジェクトの話題は学校中に広まり、映画制作のことを知らなかった生徒たちにも伝播した。「先生の耳まで届いて。そうしたら、校長先生がいいよと言ってくれて、スマホや機材の持ち込み、撮影場所とか、オールオッケーになりました」と学生たちの映画への情熱が、大人たちを動かしたことを明かした。
映画を観た松居は「何気ないシーンが宝石のよう」と感想を口にし、「階段で座っているところもそうですし。階段なんてドラマがおきづらい場所な気がするんです。でも、すごくステキだなと思いました」と演出としては効果的ではなさそうな場所へあえてこだわる本作の特異点に着目したが、そこには村田の”ある思い”が隠されていた。「あの場所も自分にはすごく思い出深い場所。高一のとき、あんまり教室にいたくないなと逃げ場所を探していたんです。ベランダにもずっといたし。もっと静かなところに行きたいなと思い、階段に行って。そこで友達とおしゃべりしたり」と、かつての自分の姿を思い浮かべるように話した。この”過去の自分を振り返る”ことは映画の大きなテーマにもなっており、当時を語るこのときの村田は特に真剣な面持ちだった。
劇中で主人公・さわが逃げ込む階段は、屋上へ通じるドアの前にある突き当たりの場所。そのドアは固く閉ざされている。ドアの向こうにある”そちらの世界”を望むさわにある人物から「一枚のドアの先に、そんな夢が詰まってるんだね」と言葉が投げかけられる。いまいる世界と、いつかたどり着きたい向こう側の世界を隔てる”境界線”は、映画が人間を物語るようになった頃から描かれ続けてきた重要なファクターだ。『どこまでもいこう』や『害虫』で知られる映画監督の塩田明彦が著書『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』(イースト・プレス)で言及していたとおり、溝口健二が1952年に手掛けた『西鶴一代女』でも、身分違いの男女を隔てる白い障子が、境界線の役割を果たしていた。映画の原初に触れた村田の演出に、松居も共鳴するものを感じたようだ。
最後に観客へのメッセージが伝えられる。立崎は「はじめて、こういう大きいスクリーンで観て、お客さまもたくさんいて、本当に感激しております。今後ともよろしくお願いします」と丁寧に挨拶。
村田は「一度、学校で上映したことがあるんですけど、すっからかんだったので、こういう景色になると思っていなくて。嬉しいし、不思議な感じです。つたない作品だったんですけど、拍手までいただいて、ありがとうございました。これから頑張るので、温かい目で見守っていただけると嬉しいです」と映画へのひたむきな思いを述べ、観客は拍手で応えた。【本文敬称略】
『可惜夜』は東京・K's cinemaにて12月13、18、23日に上映。来年、1月に東京・シモキタ - エキマエ - シネマ『K2』、東京・アップリンク吉祥寺でも上映予定。(取材・文:後藤健児)
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