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こんなつらい仕事が、無報酬だなんて…【次に観るならこの映画】1月29日編

 毎週土曜日にオススメ映画をレビュー。今週は3本ご紹介します。

①有村架純と森田剛の共演で、罪を犯した前科者たちの更生、社会復帰を目指して奮闘する保護司の姿を描いた「前科者」(1月28日から映画館で公開)

②1980年代に世界的ブームを巻き起こした「ゴーストバスターズ」シリーズの新作「ゴーストバスターズ アフターライフ」(2月4日から映画館で公開)

③「グランド・ブダペスト・ホテル」「犬ヶ島」のウェス・アンダーソン監督が、フランスの架空の街にある米国新聞社の支局で働く個性豊かな編集者たちの活躍を描いた「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」(1月28日から映画館で公開)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!

「前科者」(1月28日から映画館で公開)

◇有村架純が寄り添い続けることで体得した「観の目」の威力(文:映画.com副編集長 大塚史貴)

 保護司という仕事について、大多数の人が正確に理解できていない社会で生きる我々は、有村架純が息吹を注ぐ保護司・阿川佳代の慎ましい生活を見守りながら、この仕事が犯罪者の更生を助ける非常勤の国家公務員であることを知っていく。だが、ボランティアのために報酬が一切ないためコンビニ店員との掛け持ち生活という現実を目の当たりにし、はたと疑問を抱くはずだ。

 「なぜ、こんなに大変な仕事を対価も得られぬまま、使命感を燃やして取り組めるのだろうか?」

 その理由は物語の中で明かされていくが、「前科者」というタイトルが暗示しているように必ずしも淡々としたタッチの作品ではない。社会的なテーマの作品をいかに多くの人に届けられるか、純正サスペンスの色も加味した製作陣の腐心がうかがえる。そして、観る者の心を釘付けにするという意味で、十二分に成功したといえる。

 成功の要因は、座長・有村に尽きる。自らの佳代という役どころはもちろんのこと、作品そのものに並走し、共演者たちに寄り添い続けた。それは今作が特別なのではなく、有村にとっては“通常運転”といえるほどに当たり前の行為だったのではないだろうか。

 宮本武蔵の「五輪書」に「観の目つよく 見の目よはく 遠きところを近く見 近きところを遠く見る事 兵法の専なり」と綴られている箇所がある。「観(かん)の目」は全体を俯瞰して見る力のことで、いわば心の目。一方の「見(けん)の目」は目で追ってものを見ることで、すなわち普段見ている視点を指している。

 デビューからの10余年、この「観の目」を無意識のうちに鍛え上げてきたことが芝居で見せる表情のひとつひとつに現れている。有村にとって、寄り添うという行為が「観の目」と密接に絡まり合っていた証左といえよう。

 そして、「観の目」を体得していた人物がもうひとり。有村扮する佳代が対峙することになる工藤誠役の森田剛の凄味を、紛れもなく“目撃”することになる。生きていれば、振り上げた拳の落としどころが見当たらなくなる出来事もあるだろう。

 人間は等しく失敗を繰り返し成長していく生き物で、極端な話ではあるが誰もが被害者にも加害者にもなりえるのが世の中だ。有村と森田による、セリフ以上に雄弁に交わされる「観の目」の応酬は、なんとか踏みとどまって引き返したっていいじゃないか……と、ある種の道筋を示してくれる良作である。


「ゴーストバスターズ アフターライフ」(2月4日から映画館で公開)

◇最もシンプルかつ普遍的なかたちへ進化を遂げた80年代大ヒット作の遺伝子(文:映画ライター 牛津厚信)

 すべては時が解決してくれる。これほど強くそう感じたことはない。何年も何十年も続編の噂が浮かんでは消えていったが、結果的に本作は誰もが納得する幸福な形へ落ち着いた気がする。勝因はやはり、経過した時間をそのまま物語へ投影させたこと。そうやってお馴染みの面々からいったん焦点をずらし、30年後の世界を生きる一人の少女の目線へと寄り添ったことだろう。

 彼女の名はフィービー(マッケンナ・グレイス)。シングルマザーのもとで兄と共に育つも、都会での生活が立ち行かなくなり、一家そろって祖父が遺した田舎町の古びた屋敷へ越してきたばかり。ここで様々な仕掛けや地下研究所を見つけたことで、フィービーは初めて祖父の正体を知る。彼はその昔、ニューヨークをゴーストたちの手から救った伝説の4人組の一人だったのだ──。

 本作はノスタルジーを最初からひけらかしたりはしない。少女がいつしか自分と祖父との共通点に気づき、初めて「知りたい」と自発的に手繰り寄せていく心境を大切に描く。この過去と現在との向き合わせ方が巧みなのだ。

 何より心くすぐるのは、ヒロインのあらゆる表情に、故ハロルド・ライミスが演じた天才科学者イゴン・スペングラーの遺伝子が感じられることだろう。風にそよぐ巻き髪。メガネの奥で好奇心たっぷりに笑う瞳。祖父の情熱を引き継いだ彼女が小さな体と魂を躍動させる姿を見ていると、微笑みと共に熱いものがこみ上げてくる。

 また、旧シリーズを率いたアイヴァン・ライトマンの息子ジェイソンが監督を務めるだけあって、“想いを受け継ぐ”というテーマがフィクションを超え、現実とリンクしているように感じられるのも極めて面白い点だ。

 この父子の演出はかなり違う。かつて笑いの最前線をゆく芸達者たちの有機的な化学反応を活写したのがアイヴァンなら、今回のジェイソンはまずドラマをしっかりと立ち上げ、登場人物たちの感情を丁寧に紡ごうとする。一見、両作は真逆の味わいに思えるかもしれない。でも心配は無用。たとえアプローチは違っていても、やがて作品の核たる部分でそれぞれの想いがギュッと結びついていく様を、我々は噛み締めることができるはずだから。

 まさか「ゴーストバスターズ」が家族の物語に進化するとは思いもしなかったが、言うなればそんな予測不能なところも同作ならでは。試行錯誤の果て、かくもシンプルかつ普遍的な強度を持った一作へ辿り着いたことを祝福したい。


「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」(1月28日から映画館で公開)

◇芸術への愛とウィット溢れる、目眩のするような美しき万華鏡(文:フリージャーナリスト 佐藤久理子)|bold

 ウェス・アンダーソンの映画はつねに旅をしている。それは現実的なロードムービーであったり(「アンソニーのハッピー・モーテル」「ダージリン急行」)、空想的な異国の地であったり(「グランド・ブダペスト・ホテル」「犬ヶ島」)、過去を修復する心の旅であったり(「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」)さまざまだが、旅という主題が彼にとって、クリエーションと密接に結びついた核となっているのは確かだ。

 そんな彼が長編10作目に選んだ旅先は、映画の国、フランス。それも20世紀の「架空の都市」に編集部を構える(アメリカのニューヨーカー誌をモデルにした)「架空の雑誌」という、空想のヴェールを纏うことで、ジョルジュ・メリエスのファンタジーから50、60年代のモノクロのフィルム・ノワール、ヌーヴェル・ヴァーグなど、彼が愛するあらゆるものをひっくるめ、オマージュを捧げることを可能にした。しかもそれを奏でるのは、ウェス組常連も新参者も、脇役にいたるまで豪華な顔ぶれなのだから、贅沢極まりない(シアーシャ・ローナンがこんな小さな役というのも驚きだ)。

 ストーリーは、雑誌「フレンチ・ディスパッチ」の名物編集長率いるスタッフたちの物語と、彼らが掲載するエッセイの内容が、ランダムに描かれる。著名な美術批評家が筆を振るうのは、刑務所に拘留されている天才画家と彼の密かなミューズ、そしてその絵を狙う画商の、美術界を風刺したエピソード。社会派ライターが手がけるのは、(1968年五月危機がモデルの)若い情熱に満ちた学生たちのムーブメント。さらに美食家の警部の息子が誘拐され、身代金を要求される話も。こうしたエピソードがウェス流のアップテンポで描かれ、そのたびにスタイルが鮮やかに変化する。こだわりが詰めこまれたその万華鏡のような世界に、幸福のため息が漏れるのを禁じ得ない。

 フランス語がわかる方なら、ウェスのネーミングのセンス、たとえば「アンニュイ・シュル・ブラゼ(無関心なんて退屈)」という村や、「ル・サン・ブラーグ(冗談抜き)」というカフェの名前に、いちいちニヤリとさせられるだろう。映画愛好家なら、リナ・クードリのヘルメット姿にジャック・リヴェットの「北の橋」のパスカル・オジェを彷彿したり、囚人服を着たベニチオ・デル・トロのどっしりとした佇まいに、「素晴らしき放浪者」のミシェル・シモンを思い起こすかもしれない。

 だが、この監督が持っている最高の切り札、それは個人的な嗜好やオマージュを超越して、観る者を類まれな詩的世界に誘う圧倒的な創造の力とバランス感覚だろう。だからこそ、彼の作品はきらきらと普遍の輝きを放つのだ。


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