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映画人たちが見せた、ちょっとエモい素顔 第3回/尾野真千子さんの30代を豪快に、繊細に振り返る

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 読者の皆さま、こんにちは。映画.comの大塚と申します。こちらのコラムでは、国内外さまざまな撮影現場で取材してきた私が垣間見た、映画人たちが普段なかなか見せることのないエモーショナルな素顔をご紹介します。

 第3回となる今回は、今や日本映画界に欠かすことのできない演技派女優・尾野真千子さんについて。NHK連続テレビ小説「カーネーション」の主人公・小原糸子を演じ、日本中に元気を届けたわけですが、そこから更にさかのぼること2年、筆者は2009年からインタビューをし続けてきました。現在に至るまで、足掛け12年。先日、4年ぶりの主演映画「茜色に焼かれるの演技があまりにも素晴らしかったので、都内のスタジオで向き合ってきました。本コラムでは、映画.comで展開しているインタビューとは全く異なる切り口でお届けいたします。

「久しぶり! やっと来たねー!」

 尾野さんの取材をするようになって、干支がひと回りしてしまいました。何度も話を聞かせてもらってきたのですが、冷静に振り返ってみたところ筆者が直接インタビューするのは実に9年ぶり。その間、「魔女の宅急便」や「きみはいい子」のインタビューに立ち会っていますし、是枝裕和監督作「そして父になる」の撮影現場では何度となく顔を合わせ、そのたびに挨拶を交わしています。なんとなく、「次の取材はガツンとくる主演作で」というスタンスでいたら、知らぬ間にこじらせまくっていたようです。そんな細かいことはどうでもいいとばかりに、尾野さんは手を振りながらインタビュースペースに入ってきました。

「今日は結構取材してもらっていて、いろんな質問を受けているから、ちょっと私が想像つかないこと聞いてよ!

 ニヤニヤしながら、筆者の反応をうかがっていることが分かります。それでは、他のメディアの方々にはない分厚い取材履歴を紐解いていくことにしましょう。

――09年12月に取材した際、主演映画「真幸くあらば」では、単独での“濡れ場”という難しいシーンをやり切って監督のOKが出たところ、たまたま現場に来ていた奥山和由プロデューサーに「もう1回やってくれないか?」とリクエストされたことに猛反発したことがありましたよね。

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「真幸くあらば」取材時

「あはははは。あった、あった。そんなこともあったなあ。ちょっと待って? そんな昔から振り返るの?」

――(「今日、このネタを話題にしたインタビュアー、いなかったでしょう?」と筆者は内心で微笑んでいます)さて、あのインタビューの時に、「萌の朱雀」「殯の森」に抜てきしてくれた河瀨直美監督への複雑な胸中を明かしてくれていますが、そろそろ3度目のタッグ、見たいですねえ。

「『殯の森』(の撮影)からちょうど10年経った頃、何かあるかなあ……と思ったんやけど、私が結婚した直後のタイミングで、仕事を休ませてもらっていたんです。そうこうしていたら、更に5年くらい経っちゃった。こないだ、河瀬さんがトークショーかなんかで『(尾野が)40歳になったら……』みたいなことを言ってくれていたみたい。私も10年以上経って、河瀬エネルギーが切れてきてるねん。河瀬が欲しくなってきている(笑)。そろそろ、なんかあるかなあと思っている、今日この頃やね」

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「トロッコ」取材時の一コマ

 このころ、尾野さんは「真幸くあらば」だけでなく初めて母親役を演じた主演作「トロッコ」、國村隼と14年ぶりに親子役に臨んだ「心中天使」の公開を控えるほか、第63回カンヌ映画祭・監督週間の短編部門に出品された「Shikasha」に主演するなど、既に多くの映画作家たちから実力を認められていました。

 そして、尾野さんの女優人生を大きく変えた11年3月がやってきます。前年12月から1850人が参加した「カーネーション」のオーディションに参加したわけですが、スーパーで買い物中の3月3日、事務所からの連絡でヒロイン役を勝ち取ったことを知らされ、その場で号泣したと会見で明かしています。その後、実家へ報告の連絡をした際には、家族全員で再び涙を流して喜んだことを、後日談として筆者に話してくれています。

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「カーネーション」会見取材時

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「カーネーション」第1話完成取材時

 尾野さんが主演した「カーネーション」は、ファッションデザイナーのコシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ3姉妹の母で、自らもデザイナーとして活躍した故小篠綾子さんをモデルにした小原糸子の涙と笑いの子育て奮闘記。脚本を執筆した渡辺あやさんは、「朝ドラのヒロインなのにすごく柄が悪い。現場がそれを面白がって、全力でやってくれている」と制作サイドの一体感を称えるコメントを残していますが、気取ることもなく全力でぶつかってくる尾野さんの存在感こそが、その現場をかたどったといっても過言ではないでしょう。

 では、この庶民感覚を損なわずに絶妙な均衡を保つ尾野さんは、どのような家庭で育ったのでしょうか。主演最新作「茜色に焼かれる」でも、理不尽な交通事故で夫を失ってからの7年間、悲しみと怒りを心に秘めながら中学生になった息子への溢れんばかりの愛を支えに、風俗で生活費を稼ぎながら気丈に振舞う母を熱演していますから、尚更興味が沸きます。

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「外事警察 その男に騙されるな」取材時

――そういえば、ちょうど「カーネーション」で知名度がグッと上がったとき、奈良のご実家に週刊誌の記者がアポなしで現れたことがありましたよね。

「よう覚えてるね。そうそう、いきなり訪ねてきた週刊誌の記者に、お茶を出すような母ですよ(笑)。良い話を聞かれるならまだしも、よう分からんことを聞かれてもお茶を出してしまう。天然やねん」

――あの頃、「カーネーション」の収録と重複する形で、「外事警察 その男に騙されるな」の撮影が入り、怒涛の日々だったでしょう?

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「外事警察 その男に騙されるな」取材時

良くも悪くも私が変わったときですね。(朝ドラへの)出演が決まったとき、もちろん嬉しかったんやけど、すごく怖くもあった。自分がどう変わってしまうんやろって。それまでのヒロインを見ていると、どんどん変わっていくのがわかる。私はそこ(朝ドラ)を目指したけど、いざとなったら怖くなって、お母さんに『わたし変わってしまうかもしれへん。朝ドラ、やってええんやんなあ?』って泣きながら電話したのを覚えています。そうしたら『ええんちゃうか? あんた、それやりたいから東京行ったんやろ? じゃあ頑張り! 変わるのは嫌やけど』みたいに言ってくれて。まあ案の定、変わったし。でも、悪い方向にばかりじゃなかったから」

 映画に対するスタンスが変わっていないことだけは、筆者が断言します。朝ドラに出演したことにより、「日の目を見ないものや、良い脚本なのに作品に出来ないもの。そういうものに対して、私が何か行動を起こせるんじゃないか。いままでも、これからも、私がやりたいのは女優やから、女優という道を貫く。どんどんいろんなことに挑戦していきたい。大好きな映画の仕事をするために、頑張りますよ。私は映画女優になりたいんやから」と10年前に熱く語ってくれていますが、そこがブレた形跡はありません。

「確かにそのスタンスは変わらないなあ。さっきも、別の取材で『夢は女優です』って答えたところ。その思いは、ずっと持っているね。これまで通り、自分の気持ちが動くままに……。事務所の人たちもちゃんと考えてくれているし、脚本も読ませてくれるから、自分の気持ち次第。作品が面白ければ、番手なんて気にせずに出たいなと思うのも変わらない。ただ言えることは、今までよりも現場に対しても向き合い方は濃くなった気がする」

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「魔女の宅急便」取材時

――いま、尾野さんにとって最大の関心事ってどんなことなんですか?

「作ることかなあ。私が出る、出ないではなくて、映画を作るということには関心があります。私がもしお金をたくさん持っていたら、出資したりして、ちゃんとした映画を作りたい。そういう映画がないと言うつもりはないけど、(後世に)残したいものが少ない気がするんです。もっと、これからの人たちに向けて残す映画を作りたいということには関心がある

――失礼ながら、11月の誕生日で40歳になりますね。30代を振り返ってみて、いかがですか?

「いま、楽しいですよ。どんどん気持ちが楽になってきている。ただ、さっき別の取材でインタビュアーさんに『大女優』って言われてビックリした。自分の知らないところで意味もなく持ち上げられているのが怖い。実際の自分はまだまだ下の方にいるのにね」

――そう考えると、出会った当初から現在に至るまで、一貫して私は接する態度を変えていないかもしれませんね。

「そやねえ。むしろ、だんだん身内感が強くなっている(笑)。すごい頻繁に会っている感じがするのに、9年ぶりは衝撃やわ。まあ私の取材とは限らず、ちょこちょこ現場にいるもんね」

 前述の通り、インタビューの立ち合いや撮影現場で挨拶することはしばしば。何年か前には、偶然にも仕事と関係のない場所で見かけたことも思い出しました。

 気付けば、デビューから24年。筆者の記憶が正しければ、オムニバス作品や短編も含むと、出演した映画は50本を突破しています。ブレイク前のものも含め、ほぼ全ての作品を鑑賞してきたからこそ、石井裕也監督と初めてタッグを組んだ「茜色に焼かれる」が尾野さんにとってどれほど大事な作品になったかは、見ればすぐに分かりました。そのことは本人も認識されているようで……。

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「きみはいい子」取材時

「30代は本当に早かったなあ。楽しいことをたくさんやらせてもらったから。40代はどんな楽しいことができるかな。ただ、この作品で気持ちに変化があったのは間違いない。そんなふうに思えるのは、『萌の朱雀』以来かもしれへん。うん、周囲の私を見る目が変わったり、世の中の見方が変わったりという変化はあったけど、私の中でここまで明らかに変化したのは『萌の朱雀』以来やね」

 それにしても、真摯な眼差しを真っ直ぐこちらに注ぎながら挑みかかるかのように話したかと思えば、筆者のICレコーダーをおもむろに持ち上げ、「これ全部データ消したろか」と豪快に笑い飛ばす。きっと40代になっても、50代になっても、尾野さんは変わることなく映画人たちを愛し、そして愛されるのでしょう。筆者も、次回取材がこんなに間隔が開くことがないよう肝に銘じながら、尾野さんがどのような映画女優人生を歩んでいくのか取材という形で並走していこうと誓ったのでした。


大塚さん

 第一回は高倉健さん、第二回は上白石萌音さんを特集しました。


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