お母さんが亡くなった

統合失調症自身はずいぶん良くなっていたから、三日間だけとはいえ長時間体を縦にして、母の見舞いにもいけた。

救急車で運ばれて、そこから3日で亡くなった。お母さんが私を呼ぶ声、といったら、「ゆーかちゃん♪ちゃんちゃん♪」とご機嫌に私を呼ぶ声だ。それは忘れずにいたい……。

亡くなって、まだ二週間も経っていないからどうして?と思ってしまう。まだ27歳で、私自身はまだへろへろのふやふやな気持ちなので悲しくて悲しくて仕方がない。

でも、母の63歳の、生涯は、若くて早すぎると思うけれど、色々と母のために、尽くしたような人生だったようにも思う。

今回の統合失調症のことも。私が休職を決めてすぐに、母が家に帰ってきて療養することになった。

「ああ、友香ちゃんが家におってくれてよかった」と何度か言われた。二人して寝てるだけだったけど、ガンで体のしんどい母にちょこちょことしたものを用意したりしたから。

母はよく「友香がおってくれてよかった」という言葉を節々で吐いた。あまり母のことが好きじゃなかった私は頼りにしてほしくないなんて思っていたけれど、死んだ今になってみれば「よかった、よかった」と思う。役に立ったならよかったなぁ。

お母さんが救急車で運ばれる前も、お母さんを一階まで肩をかしたり、トイレに行く時立ち上がれないからって抱っこして立ち上がらせたりしたときも。
「友香ちゃんおってくれてよかった」と息も切れ切れに言ってくれた。

統合失調症がひどくなって家にいることになったのも、きっとお母さんとの最後の時間のためだったんだろう。看取りができなかったけれど、姉がやってくれたし。私は多分そこまで体力は持たなかった。

お母さんが精神的におかしくなったときも私が見つけて、その後も守っていたように思う。自分もちょっとおかしくなってしまったけれど…

「友香がおってくれてよかった」っていう言葉が「そうかな、そうだといいな」と思いながら探している。

一緒に暮らしているときはあんまり好きじゃなかったのに。どうしてだろう、大事でプレッシャーだったのかな。早く解放されたいだなんて思ってたのに。天邪鬼だ。

お母さんが死んだらお母さんの嫌だった仕草もみんな可愛く思えてくる。可愛いお母さんだった。

死ぬ前にも家で「おかあちゃーん」なんてふざけて呼ばれていた。もしかしたら本当に、前世で親と子を逆転させていたかもしれない。たまにおかあちゃんとふざけて呼ばれていたけど。

それも嫌だったけど、最後にそう呼ばれたとき「はいはいお母ちゃんですよ」と答えられて、それが愛しかった。

お母さんのために毎日お経をあげている。般若心経。お母さんの写真が家の仏壇にきて、顔を見ちゃうと泣いちゃって、般若心経を唱え終わった時にブワァッと白い煙のような、湯気のようなものがお母さんの写真からこちらに向かって降り注いだ。お母さんの愛情みたいに思った。また会いたい。でもそれは死んだらでいい。今は安らかな49日の間と、49日済んだら西方浄土に成仏していってほしい。


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