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「今を生きること」って果たして傲慢なのか?


『傲慢と善良』という本を読んだ。

控えめに言って心にぶっ刺さった。そして自分の今までの行いを顧みて、少し反省した。

本の感想は人それぞれだと思う。中でも私にとって1番印象的なのは結婚に対する考え方であった。
この歳になると、結婚や出産の話題は避けて通れない。

友人同士で集まると同棲始めただの、彼がプロポーズしてくれないだの、SNS開くと入籍報告だの、結婚式だの、中国に帰るも親戚には急かされる。

「来年の旧正月帰ってきたらはお年玉配れるんじゃない?」(広東の慣習では、結婚した人はお年玉を配る。逆にいうと独身であれば歳行っても配らなくて良い)

頭になくても、強制的に考えさせらる。

私は今まで「今を生きる」をモットーにしている。今日精一杯生きて、明日には明日の風を吹くのだ。結婚すべきタイミングが来れば自然と結婚するだろうし、結婚できないということは、きっと今はタイミングじゃない、と神様が判断しているだろう。
パートナーはいるけど、幸せであればこのままの形で良い。子どもも別に居なくて良い、だってまだあの痛みを耐えられる自信に自分はない。そう思っていた。

しかし、自分はこのままで本当に良いのか。この考え方って傲慢ではないのか。

パートナーは子どもが欲しいかもしれない。でもちんたらしたら子どもを生むタイミングを逃してしまい、欲しいと思っても産めなくなってしまう。と思ったらやっぱり30代くらいには結婚した方が良いのかな。でも今のパートナーだって長続きするとは限らない、そしたら一回住んでみた方がいいのか?
いや、そもそも将来私はどういう人生を送りたいんだろう。
もちろん今考えても答えは出ない。

「うまくいくのは、自分が欲しいものがちゃんとわかっている人です。自分の生活を今後どうしていきたいかが見えている人。ビジョンのある人」
って小野里さんが言ってた。

ビジョンを作ること、理想から逆算して行動する、自分の苦手分野だ。

物事の流れに任せるのであれば、どんな形でも後悔はしてはならない。生涯独身だろうが、どこかのタイミングで不幸が起ころうが、それは神様が決めた自分の運命だ。
でも一つでも文句を言いたいなら、まずは自分の力で何かを掴み取らないといけないだろう。自分で何かを成し遂げる前に文句を言うのは傲慢だと思う。
自分の力を駆使しても叶えられない何かがあった時に、それを運命だと認めても遅くないかもしれない。

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