英国判例笑事典 エピソード(5) 「ハンプティー・ダンプティー登場!」
リバセッジ氏事件[1942]
「鷺を烏と言いくるめる」というのは、明らかにそうであるものをそうではない、と強弁することですが、法律の解釈でそんなことがあっては大変なことです。 さてイギリスでは誰でも知っている童話、『鏡の国のアリス』に出てくるハンプティ・ダンプティは、「鷺を烏」というように、その言葉が本来持っていない意味を、無理矢理当てはめて平気な顔をして、アリスをあきれさせました。その部分を引用してみましょう。
「わしが言葉を使うときは」ハンプティ・ダンプティはかなり軽蔑した調子で言いました。「言葉はわしが意味させようとしたものを意味する――それ以上でも以下でもない。」
「問題は」とアリス。「言葉にそんなにいろんなものを意味させられるかどうかということです。」
「問題は」とハンプティ・ダンプティ。「言葉とわしのどっちの言うことをきくかということ――それだけだ。」
言葉の意味は自分が決めるのだ、というのはアリスにとって理解できないことでしたし、私たちにとっても同じですね。
前回の「エピソード4」で、英国の裁判では権威ある先例(裁判所の判決。これを authority と呼びます)を重んじる、という話をしました。
実は法律の規定の意味ですら、条文が実際に裁判所で解釈・適用されて、はじめて決まるというのが英国の考え方なのです。
今回の判例はそのような法令中の言葉の解釈に関するものです。この事件は貴族院まで上告されました。
事件の概要
ペルルツヴァイク(偽名リバセッジ)氏は第2次世界大戦の少し前に、「1939年防衛(一般)規則」に基づく内務大臣の命令で拘留されました。規則によると、拘留するに当たって大臣には、その者が公衆の安全に反する者であることを「信じる合理的な理由」がなければなりません(原文は If the Secretary of State has a reasonable cause to believe … です)。
多数意見
ややこしい事件なので細かいことは省略しますが、多数意見によると、法の想定しているこの重大な状況下(戦時を意味しています)では、この句は字義通りに読むことは言うまでもないが、「信じる合理的な理由があると大臣が考えれば」よい(… if [the Secretary of State] … acting in what he thinks is reasonable cause (and, of course, acting in good faith) believes …。太字筆者 )という解釈も許されるとしました。
少し大げさに言えば、大臣の権限の行使に当って「合理的な理由」に当る外的事実が必要だと解釈するほかに、大臣がそう「信じれば十分である」と考えてもよい、と言ったわけです。
貴族院にハンプティー・ダンプティー登場
アトキン卿の反対論
アトキン卿はそれを支持する先例がないとして、この解釈には大反対でした(英国の裁判ではそれぞれの裁判官が、名前を出して自分の意見を書きます。余談ですが、判決の1番目に出てくるのが実は少数意見だったり、反対意見だったりして、多数意見は何十ページも読んでからやっと出てくる、ということだってあるのです)。
卿はこの規則の適用に当たっては、根拠とする理由が実際に存在しなければならない、ということを幾多の法律の例をあげて8,500語も使って力説し、戦時でも平和時でも、言葉にはただひとつの普通の意味しかない、それが法律における使われ方である、と主張しました。合理的な理由が「あるとき」は「あると考えるとき」という意味ではないのだ、と強調しているのです。
先例に従えば?
アトキン卿は、多数説を支持するような先例(authority)はただひとつしか知らないと言いました。それは何でしょう?それこそが上のハンプティ・ダンプティのくだりだ、と言うのです。
そんなこと判決の中で言ってよいんですか?
他の判事の意見に関するこの発言は、いささか礼儀を欠くものとして有名なようですが、それはそれとしてイギリス人なら誰でもピンとくる「たとえ話」だったに違いありません。
日本の最高裁判所のある判事が多数意見に反対して、「その説を指示する唯一の論拠は『一休のとんち話』ぐらいしか思い当たらない」と言ったら、さぞかし面白いでしょうね、などと書いたら叱られますよね、当然!