いいね機能さえなければ
SNSって「いいね」機能いらんなぁと思う。
・いいね機能さえなければ、SNSはもっと楽しい
・SNSでかえって孤独が深まる時もある
そんないじけた、子供じみたひとりごとです。
やっぱSNSの投稿で「いいね」が少ないと、少し落胆してしまう自分がいる。
「少ない」って何を基準に?っていうと、やっぱり他の方のいいね数。バーンと目に飛び込んでくるから、目の逸らしようがない。網膜に「いいね数を脳みそに投影させないフィルター」を作んなきゃいけない。ないものねだりじゃなくて、「あ、この人いいねくれた、嬉しい」を大切にできたらハッピーなのに、そんな思考回路になれないことが多い。いいね、ってポジティブな機能のはずなのに。
投稿へのいいねが少なかったり。誰かの投稿に対してコメント等しても、投稿者の方からなんのリアクションもなかったり。(基本的に相互フォローの人にしかコメントはしない)
お顔を見てお話したことがあって、ある程度親しいんじゃないかって距離感の人に対してコメント等してもスルーされることが続くと、「忙しいよね」「かまってちゃんにならないようにしなきゃ」「リアクションする義務なんてない、自由な世界なんだから」って自分に言い聞かせても、小さな寂しさや虚しさが胸に広がる。
私ってやっぱ人間的にイケてないのかな?いつの間にか嫌われた?絶妙に鬱陶しいのかな?
なんて、思春期女子の人間関係に悩む中学生みたいなことを考えてしまう。
いい年して、何を幼稚なことで一人コントして凹んでんだ!
そんなこと考えるから鬱陶しがられるんだよ!とこれまた一人ツッコミ。一人ツッコミは割と手厳しい。
あーもう、暇かよ!
ええ、子供と家で二人で遊んでいる時、子供と二人で散歩している時、魔がさすように、そんな非生産的な思考や雑念に頭と心を乗っ取られそうになることがあるんです。ホルモンバランスとかもあるかも知れない。何でもかんでもホルモンのせいにはしたくないが。アドレナリン出まくりで集中状態になっていると、余計なことを考える隙がなくて、そんなことを思い悩んだりしないんだけれども。子供といる時間、余計なことを考えて、目の前の大切な瞬間をいたずらに逃したりしたくないんだけれども。
で、負のスパイラルにハマる。
この出口のない、何も生み出さない、シャボン玉の膜みたいな孤独感や自己否定も、忙しくなると忘れ去られる。けどそれは、心の隙間を見つけて、全身を覆うようにかぶさってくることがある。
どうせ忘れるんだけど、どうでもいい忘れ去られる感情だからこそ、いっそ恥を晒してしまおうかと。それで、こんなnoteを思うままに書いている。
これから文学フリマ出展に向けて小説を書くので、いろんな感情をストックしておこうと思ったし、実態のない内面を言葉に置き換える作業も量をこなしたいし、
「恥を晒す」のにもどんどん慣れていこうかと。(もちろん、小説を書くこと自体が恥だと言いたいのでは、決してありません)
トピック揺れ揺れでネガティブ9割な文章だったかも知れないけれど、最後はちょっと希望に近いところで終わるぜっ。
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