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週刊俳句上原(第25巻04号)
ゑひ[酔]では、毎週日曜日に、上原ゑみの新作の俳句を発表します。毎週5句発表です。
足元を照らす雪原バスは去り
雪原の技能実習生ふたり
雪原は牧場の門押しひらく
雪原にちらばつてゐる鳥の足
家朽ちて狸の走り止まぬなり
釧路と網走の地名から一字ずつとって名づけられたJR北海道の釧網本線は、実際の釧路側の起点である根室本線の東釧路駅から網走駅へと至る。普通列車なら所要2時間、全長166.2kmのローカル線である。本稿発表日の1月26日・日曜日の釧路駅発車時刻表を調べてみると、6:38 普通 網走行/8:52 しれとこ摩周号 網走行/11:05 SL冬の湿原号 標茶(しべちゃ)行/14:13 普通 網走行/16:29 普通 網走行/17:39 普通 摩周行/18:54 川湯温泉行 以上7本の運行。うち全区間を通して走るのは4本のみ。それでも冬の観光シーズンの日曜日、観光用の列車が2本混じる。東釧路駅を発車するとすぐに、その先30キロメートルにわたる釧路湿原が広がっている。摩周湖・阿寒湖周辺には川湯温泉、知床斜里駅からはオホーツク海の沿岸を走る。
東釧路駅から5つめ、無人駅「茅沼(かやぬま)」のそばに「立花(りっか)」という名の宿があった。私は友人と2人、旅程は決めず、行く先々の宿で知り合う同士の情報が頼りの気ままな長旅の途中、おそらく出会った誰かの紹介で宿泊を決めた気がするが記憶が遠い。決めた理由は2月であったその頃、付近にタンチョウヅルが来ていると聞いたからだった。数組しか泊まれないこじんまりとしたその宿は、寡黙なご主人と柔和な奥さんが穏やかに営んでおられた。寡黙なご主人と書いたがそれは外見というか身にまとう雰囲気を比喩的に表現したまでで、初日の夜、夕食が済んだ私たちのそばに座ったご主人の語りはかなり長かった。特に愛想が良いというわけではないし、訥々としていて、急に妙な間が空いたりはする。が、決して寡黙ではない。きっと私はチャラチャラした小娘に見えたと思う。ご主人の話は語りというより薫陶めいており、湿原のこと、自然環境保護のこと、自然の中に生きること、人間は自然に生かされているということを、今晩中にこの意識低い系の東京モンに全て教え込むぞという熱量の高い内容で、ようやく解放されて部屋に戻った2人とも同時にベッドに大の字で倒れ込み、「疲れたねー」と愚痴り合ったのを覚えている。何にも響いてなかったあの頃の愚鈍な私よ(嘆)。夕食について思い出せないのは薫陶のインパクトで上書きしてしまったせいだが、翌朝の食事の記憶なら鮮やかだ。とにかくすべてが感動的に美味しい。豪華とか高級とかいうことではなく、野菜、卵、パン、ジャム等々、素材のひとつひとつが手作りで手間がかかっており、心がこもっていた。いちばん驚いたのは、私がグイグイ飲んでいた牛乳は奥さんが早朝、知り合いの牧場まで確か1時間近く歩いて搾りたてを調達してくると聞いたこと。それたぶん、早朝というより明け方だ。あの奥さんが用意してくださった牛乳を超える牛乳は、いまだに飲んだことがない。窓から見えるテラスにはさまざまな種類の鳥が代わる代わるやって来ては餌を啄んでいる。私が鳥好きであるその原点はおそらく、奥さんから鳥のことをたくさん教えてもらったあの朝にあると思う。掃除の行き届いた清潔な室内、優しい奥さんとの雑談…この朝の多幸感と前夜の緊張感の、両方あるからいいのだなぁと妙に納得していた。そこへご主人が、鶴が来ているよと教えてくれる。私たちの部屋からよく見えるよとおっしゃるので慌てて2階へ駆け上がる。
鶴は、つがいの雄と雌と子供の3人家族だった。部屋の窓から広がる雪原の一歩一歩を、まるで申し合わせたかのようにぴったりと合わせて動く。友人も私もなんかもう…言葉は出なかった。鶴は美しい。以上。
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昨年11月、JR北海道は路線の廃止・縮小を発表している。釧網線1キロあたりの1日平均利用客は500人ほど。JRは釧網線を「単独では維持することが困難な線区」に指定している。
かつては4000kmにわたって国鉄の鉄道網が敷かれていた北海道だが、現在は2500kmしかなく、半分近くが廃線となってしまった。実は最初、宿の名前をどうしても思い出せなくて、この稿を書くためにインターネットで当たりをつけて探し出し、それが六花という名であったことを思い出す。六花は2010年8月に営業を終了していた。2017年の春までは、ご主人によると思われる詩的な文章がホームページにアップされている。現在の茅沼駅はタンチョウヅルが来る駅としてすっかり有名になり、多くの観光客が訪れているらしい。
あの頃、時期を置かずに、私は同じ友人と共に夏の六花も訪れている。その時は、往路の列車の背もたれにあった機関誌を持ってきてしまって、読み終えたそれを部屋の屑籠に捨てたら、「本を捨てるなんて」とご主人に叱られたのだった。
https://www.ne.jp/asahi/north/rikka/