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ゑひ[酔]では、毎週日曜日に、上原ゑみの新作の俳句を発表します。毎週5句発表です。

荷室から車室を覗く冬の雨
雪。襟も眼鏡も茶色の鞄も
毛皮のマリー門限の門閉まる
ひと晩に全て取り出す冬館
沢庵の狭き思ひ出ばかりかな

 
  「毛皮」は冬の季語。傍題に「毛皮売」「毛皮店」「敷皮」。人を主体とする動物愛護と動物を主体とする動物福祉双方の観点から今や急激に衰退の一途をたどる防寒具である。季語としてもますます使用頻度が下がりそうだし、使うとしても取り扱いは難しくなりそう。そんな「毛皮」を歳時記に見つけて、ある戯曲のタイトルが頭に浮かんだ。

《この世でいちばん短い地平線》
 戯曲『毛皮のマリー』は、演劇実験室「天井棧敷」を率いる寺山修司が、当時の丸山明宏・現在の美輪明宏のために当て書きした作品である。初演は1967年9月1日 、会場は今は無き新宿文化劇場(アートシアター新宿文化)、寺山はその演出・美術・照明・音楽も担当した。残念ながら私はリアルタイムに立ち合うこと叶わず、耽美な世界観に魅せられて何度も舞台に通ったのはずっと後年、美輪明宏により上演が繰り返される以降のことになる。
 男娼のマリーによって屋敷に閉じ込められ、外の世界を知らずに育てられた18歳の美少年・欣也。擬古典的に装飾された応接間を草原と思い込まされ、マリーが部屋に放った700の蝶を捕まえては標本にする洗脳と倒錯の日々。今回、ネットで閲覧することができたので初めて戯曲を読んでみた。前半では会話中、放たれた蝶の名前がいやに具体的に挙げられる。順に、ミイロタテハ、キベリタテハ、アゲハモドキ、オオアカホシ、クモガタヒョウモン、ウラギヒョウモン(文中ママ)。立羽蝶の中に蛾の「アゲハモドキ」も混じるのが意味深。ほかにも印象づけたい会話や場面には、オオルリアゲハチョウ、カラスアゲハ、タテアゲハチョウといった揚羽蝶が出てくるのだが、立羽蝶と揚羽蝶の出し方には、ストーリーに絡む象徴的な意味があり、明確な使い分けがなされることに気付く。色鮮やかな具体を見せて語らせる婉曲的な手法は、マルチなアーティストであった寺山の一歩目にあたる俳句の痕跡のようでもある。芸術全般の深い造詣と今ならいろいろ差し支えそうなエロ・グロを盛り込み、母子の愛憎、人間の本質、生きることの意味へと迫る総合力の詳細はこんな短文で到底言いおおせるものではないため、他の優れた論考にお任せしたい。絞ってゑひの私が言及したいのは、宝石のように艶やかな修辞について。たとえば、屋敷の高窓からある日、キーパーソンとなる1人の美少女が飛び込んでくる場面。

美少女 どうして逃げるの?
美少年 だって——
美少女 逃げなくっていいのよ、お医者
    さんごっこするだけなんだか
    ら。(猫のように喉をならして)
    坊や!坊や!
美少年 ええええ?
美少女 あんた、孤独って何だか知ってる?
美少年 …………
美少女 こんなさみしい晩、マリーも帰って    
    こない。あんたは一人、そしてもう
    誰も外から入ってくる気遣いもいら
    ない。そしてあたしもさみしい。
美少年 (こわごわと)きみ—— きみ、頭が少
    しヘンなんじゃない。
美少女 頭が?(笑って)そうよ。十三のと
    き、空から、お月さまが落っこって
    きたの。運のわるいことに、このヘ
    ンにぶつかって、それからずうっ
    と、この世は闇。さみしくてさみし
    くて、ひとりじゃとても寝つかれな
    いの。
美少年 ぼくは—— ぼくは。

と、のがれようとする。美少女ともみあって、美少年浴槽のすぐうしろまで逃げ、美少女の手には一本の長い髪の毛が残される。ひくく、ゆっくりとポータブル蓄音器からZarah Leander の「輝く三つの星」が流れこんでくる。

美少女 (その髪の毛をかざして)まあ、なん  
    て短いあんたの髮の毛。
    この世で一番短い地平線……

[日本劇作家協会]戯曲デジタルアーカイブ
『毛皮のマリー』より抜粋

 この世で一番短い地平線。こんなことをサラッと言えてしまう寺山修司がまだ早稲田大学の学生だったころ、たまたま同じ句会に参加していた大橋巨泉(後にマルチタレントの先駆けとなる。1960~80年代にかけては名司会者としても名を馳せた) は、連発される得点句の名乗りのたびに、遠くの席から「スウズ。」と青森訛りの声を上げる修司青年の俳句に打ちのめされて俳人になるのを諦めた、というエピソードが私は好きだ。そして私も戯曲のこのくだりに差し掛かったときは俳句を止めたくなった。
 次に注目したいのは、巧みな引用。『毛皮のマリー』が、1960年にアメリカの劇作家アーサー・L・コピットが書いた戯曲『ああ父さん、かわいそうな父さん、母さんがあんたを洋服だんすの中にぶら下げてるのだものねぼくはほんとに悲しいよーまがいもののフランス的伝統にもとづく擬古典的悲笑劇』の内容 をほぼ踏襲しているとは既に知られたことであり、元ネタの女性を男娼に変えることで脱構築をはかり、ジェンダー規範を揺さぶったその先にこそ、寺山の独自性の発展場はあった。つまりこれ、本歌取りという日本古来の歌の手法なわけで、どのジャンルであれ他作品の引用ばっかりすることについてはずいぶん批判もされたらしいが、一歩目の俳句から二歩目の短歌に進んだ寺山には、それが何か?ぐらいのことでしかなかったはずだ。書いているうちに思い出したのが、この本歌取り精神が非常に発達している句友(何人もいる)のことで、俳句を始めた頃の無知な私には正直、ただのパクリとしか見えていなかった。しかし数年を経るうち、中には “その先の発展場” へ行き着く人がいる。そこまで見たので、それも才能なのだと今ならわかる。同時に自分にはその才が無いこともわかってしまったため、違う道を行こうとしている。奇しくも先のゑひの会議ではメンバーの若洲至に対し「なんで私はいつまで経っても俳句の技術が向上しないのか?」と嘆いてみせたばかり。訓練のために名人の句集を丸ごと筆写してみるとかどうか?と問うた時、否とした若洲の回答を雑にメモしたものが下記である (もっと精度の高い言葉を使っていたのだが。再現性低くて恐縮)。

・俳句は平面芸術
・言葉の蓄積にあらず
・具体のキレ・描写の力である
・言葉ひとつの重みを主張したい

若洲至の発言要約

 マルチな才の無さにガックリきていた私には一瞬、救いのように響いたけれど、若洲の言わんとする主旨の、その本質を掴み取りに行く道筋もまたそうとう苦行っぽくはある。重みを言葉ひとつにかける(賭ける)だなんて。やる前から疲れてきた。ではちょっと、毛皮のマリーズでも聴くかな。


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