憧れ、ライバル、こんな人でも
これは、人がやる気になったり、
チャレンジしてみようと思う時に、
必要な存在らしい。
憧れ
こんな人になりたい、目指したい
という目標や指針
ビジョン
ライバル
この人には負けたくない
同じ、もしくは自分より少し先に進んでいる
なんとなく似ている部分がある
こんな人でも
正直自分より凄いとは思えない人
思っていなかった人
そのような存在が上手くいっている、先にいる
この3つがあると
人は「よし、やってみるぞ」
となるらしい。
上や下というものを、
どのように判断するかは難しいと思う。
見た目?能力?雰囲気?
人それぞれだろうけど、
あの人が出来るなら
自分にも出来る!
とポジティブに捉えられるなら良いと思う。
何事も自分の捉え方次第で、
見え方はいかようにもなる。
自分より先に進んでいると思う人を
憧れとするのか
嫉妬の対象にするのか
ライバルは
高め合おうと思うのか
蹴落としたいと思うのか
こんな人でもと思った時に
運が良かっただけとひがむのか
自分自身の可能性を感じるのか
その捉え方、考え方で
大きく運命は変わるように思う。
誰かに勝つために?
昨日の自分よりも、少し先にいくために?
これによって変わるんだと思う。
確かに
憧れ、ライバル、こんな人でも…
これは全員自分じゃなく他人だ
でも実は、その人たちを通して見るのは、
自分自身なのかもしれない。
人を通して自分自身と向き合う。
他人との比較は、
自分自身の輪郭をはっきりさせるため。
比べて
嫉妬したり、ひがんだり、妬んだり
それは実は、気付かない内に、
自己否定をしている。
自分を肯定できない
軸の不安定さが
他人に対する捉え方に表れている。
他人と比べて、自分を否定する。
その葛藤に耐えられず、
他者自体を否定する。
自分の心の中にいる
うるさい自分を
他者の中に投影する。
その結果
自分自身と向き合えず、輪郭がぼやけて
他者にしか注意が向かない。
そんな自分にも
気付くことができない
無意識に、無自覚に
憧れ、ライバル、こんな人でも
それは
自分自身を知るためにある
大切な存在なんだと思う。
100mを9秒台で走ろうと思うか。
そんな世界には行ってはみたいけど、
嫉妬なんて起きない。
自分と完全に分離している。
比べて、悔しい、妬ましい
と思う時、
それは案外自分と近いところにあるのかも。
人は出来もしないことを羨むことはない。
そう思うと、
実は、自分自身の可能性を
教えてくれているのかもしれない。
僕自身、
憧れ、ライバル、こんな人でも
と勝手に思っている人がいる。
その人たちがいてくれるから、
頑張ることができる。
昨日の自分よりも、前に進むことができる。
あなたにとってのそれは、
どんな人ですか?
すべては
幸せのサイズを
広げるためにある。