なんでもない1日
何もしなかったなぁという1日
有意義に過ごせていないと思う1日
特に何をしたのか思い出せない1日
色んな、なんでもない1日がある。
少し別の見方をしてみる。
1.本当になんでもなかったのか
実は、自分が幸せを実感できていないだけで、幸せなのかもしれない。
もう2度と自分の足で歩けない人がいる。
外の空気を吸いに行くことすら、誰かに連れて行ってもらわないと行けない人がいる。
声が出ない、ご飯が食べれない。
挙げるとキリが無い。
生きたくても生きれなかった人がいる。
自分にとっての、なんでもない1日は、誰かにとってのかけがえのない1日なのかもしれない。
2.釣れない釣りがあるから楽しい
釣りがもし、毎回確実に釣れるものだったらどうだろうか。
あまり面白くないかも。
何もないと思えるような1日があるからこそ、
特別な1日は存在できるのではないか。
毎日が特別であれば、特別ではなくなる。
欲望は雪だるま式に大きくなる。
全ての1日に無駄な1日はないのかもしれない。
3.そもそも記憶に残らないといけないのか
記憶に残るような1日、特に思い出せない1日。
思い出せなかったら、それはいい1日じゃないのか。
生きているのは今。
今の感覚が全て。
過去や記憶は、そのあと自分の主観により脚色したもの。
記憶に残る残らないが重要なんじゃなく、
「今」の快、不快をわかっているのか。
その方が大切なように思う。
4.なぜ有意義に過ごさないといけないのか
まず自分にとって有意義の基準は何か。
それは人から見て、どうなのかという視点ではないのか。
インスタ映えのような、人と比較して有意義か、そうではないか。
という基準なら、本質的ではない。
有意義に過ごさないといけないという思い込みを取り払う必要がある。
有意義に過ごしていると思っている人達は、本当にそうなのか。
吟味の余地がある。
これも、自分の感覚と向き合う必要がある。
5.人生は1日で切り取るべきか
例えば、今はしんどくても、
それが未来に繋がっているならどうだろうか。
今の快、不快はとても重要だが、
それ以上に重要なのは、未来に期待をしているかどうか、前に進んでいるという感覚があるかどうか。
それが結果的に、今を輝かせることになる。
なんでもない日は、
実は、
今日自体に問題があるのではなく、
イメージする未来に問題があるのかもしれない。
6.メッセージなのかもしれない
なにもない1日と思う時。
それは自分からのメッセージなのかもしれない。
変わりたい。
本当はこうなりたい。
これは自分らしさじゃない。
自分が自分に教えてくれているのかもしれない。
であれば、それは自分を知るきっかけになる。
大きなヒントになる。
最後に、
なんでもない1日について色々考えてみました。
見る角度でいくらでも変わりそうです。
今日はどんな1日でしたか?
僕にとって、あなたにとって
本当に有意義な1日だったとしたら、
それほど最高なことはありませんね。