
焼き芋の縁
あれは大学3年の春休みだったか、九州在住の友人と東京の自分の中間地点をとって京都で落ち合った。途中、別行動もありの気ままな旅。「そうだ、奈良行こう」の勢いのまま現地に向かった。ガイドブック片手に駅の公衆電話から宿に電話をかけると、どこも「満室です」と忙しそうな声。最後の1軒も「満室…」と断られかけて「けさ1室キャンセルが入ったから泊まれますよ」と言われた時には心底ホッとした。
猿沢池畔のその宿は1階が蕎麦屋で2階に宿泊できるのだが、普通の家屋と変わらぬつくりで隣室とは襖で隔てられているだけだった。鍵もなければ鴨居は木彫りで風通しも良い。「きっと隣りも女性客なんだね」と納得して散策に出た。

夕食時、誰もがそそくさと食事を済ませて外に出ていく。お店の人に「何かあるんですか?」と尋ねると「今日はお水取りだからね。見に行かないの?」と逆に珍しがられた。久しぶりに会う私たちはゆっくり話したかったので、美味しい湯豆腐を堪能しつつ、空いている食堂でお喋りに花を咲かせた。
部屋に戻ってしばらくすると、バタバタと足音がして襖の向こうの住人が戻ってきたかと思うとまた出て行った。あれは女性客ではない。なんとなく声をひそめて話していると、やがて帰ってきた彼らもついに私たちの気配に気づいた。気まずい。その空気を打ち破るかのように聞こえてきた鴨居越しの声。
「あのぉ、一緒に焼き芋食べませんか?」
焼き芋を食べる人に悪い人はいない。咄嗟にそう判断し、隣室にお邪魔した。
その男性客は3人でお水取りを見に来た「メイダイ」の大学院生さんだった。「私、京王線で毎日『明大前』を通って通学してます」と言うと、「そっちのメイダイではないです」とのこと。
私たちは九州と東京からなぜ一緒に旅行をしているのかを尋ねられ、半年前にアメリカのホームステイプログラムで知り合った旨を答えた。たわいもない世間話をして、写真も一緒に撮った。それだけのことだが、野宿にならずにすんだ一日の締めが焼き芋だったことで、心がほっこり温まった。
それから3年後、まさか自分が「メイダイ」にご縁ができようとは、思いもよらなかった。まだ科目等履修生の制度がなかった当時のこと、指導教官同士の紹介で大学院の授業を聴講させてもらったのだった。以来、「メイダイ」とのご縁はずっと続いている。
あの時の焼き芋を思い出す度、人の縁とは不思議なものと思う。

📙中川ひろたか文・村上康成絵『さつまのおいも』(童心社、1995年)
📙岡田よしたか作『おいものもーさん』(ブロンズ新社、2021年)
どちらも「超」がつくほどオススメ。さつまいもの日にいかがですか?