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【絵本エッセイ】うちの絵本箱#8「生きるということ:『はらぺこあおむし』」【絵本くんたちとの一期一会:絵本を真剣に読む大人】


0.はじめに

とうとう第八号となりましたが、今回は世界的ベストセラーで、日本の絵本の総売り上げ数においても栄えある第三位のエリック・カール作『はらぺこあおむし』をとりあげることにしました。この本は私が最初に娘に買い与えた、我が家の大切な本のうちの一冊で(英訳付きのものでしたが)、夜寝るときに、有名な「歌」を娘と一緒に歌うのが、このうえない喜びでした。私自身は虫はむしろ苦手なのですが、歌を歌うのは好きですし、娘がこの絵本が大好きだということもあり、いつか通る道として選んでみました。議論があちこち飛びますが、この本の魅力について、調べながら読みながら考えたことをできるだけ簡潔にまとめてみたつもりなので、どうか辛抱強くおつきあいください。


1.楽しさ満載!:仕掛け、絵、文体、キャラクター、ストーリー

仕掛けとコラージュ

この本の第一の特徴は、まずは楽しい仕掛け絵本だということでしょう。はらぺこなあおむしが月曜から土曜日までの間に食べた果物の真ん中に指の突っ込める穴が開いていて、ページをめくってみると、穴の中からあおむしが出て来るのが見える仕掛けになっています。また、月曜日から土曜日まで次第に食べる果物の個数が多くなり、ページの面積が広くなっていきます。それがページのずれとして、段々のように現れてきます。そして最後には、鮮やかな極彩色のちょうちょが目に飛び込んでくるという、意表を突く工夫も凝らされています。こんな凝った仕掛け絵本は、今でもなかなかお目にかかれませんが、一九六九年の出版当時は、この本はその斬新さのために、大変にたたかれたそうです。

また、表紙からもすぐにわかるように、この本はそのカラフルで愛らしい絵も魅力です。エリック・カールのこの絵の描き方は、コラージュと言って、独特のものです。ティッシュペーパーを自分で彩色し、切り抜いて虫の形に貼り付けていくのだそうです。

こうした独特の手法を確立し、その才能を世界的に認められている天才芸術家であるエリック・カールですが、こうした仕掛け絵本を作る試みは、その生い立ちと思想と大きくかかわっているのです。まずは、著者について、調べたことを書いてみます。


エリック・カールについて

エリック・カールは一九二九年にアメリカで生まれましたが、両親がドイツ人で、六歳のときにドイツに戻ります。そこで、暗いナチス時代を経験しましたが、グラフィック・アーティストとして研鑽を積み、二十三歳で再びニューヨークに戻ってくるのです。そして、第二号でも取り上げた、『スイミー』の作者レオ・レオニに見いだされ、やがて優れた児童文学作家に与えられるローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞し、個人の美術館を開くほどの超一流の絵本作家として大成します。

この絵にかいたようなサクセス・ストーリーを実現したエリック・カールですが、戦争で父親を失いかけ、塹壕堀に動員されるなど、多感な少年時代にドイツでつらい経験をしました。エリック・カール自身は、そのことについては多くを語らないようですが、楽しく美しい仕掛け絵本を作るのは、このようにエリック自身が苦労した、家庭生活から学校生活へという大きな変化の時期を、子供たちが少しでも楽に乗り越えることができるようにするための試みだといっています(註:参考文献1)。また、その本がユニークなものになるように、デザイナーとして常に考えているといいます。その本を特別なものにするディテールや驚きの要素となりうるものを、読者の心をつかむために、常に探しているのだとも。

こうした言葉から、エリック・カールの個性的な芸術とその作品が、深くその人生と思想とかかわっていることが分かったと思います。


リズミカルな文体

 さて、話を元に戻しましょう。この本の最たる魅力が楽しい仕掛けと愛らしい絵にあるとしても、まだほかにも特筆すべき点はあります。まず、リズミカルな文章です。

 最初の「ぽん!と たまごから ちっぽけな あおむしが うまれました。」の「ぽん!」も陽気で面白いですが、何より、月曜日から土曜日まで果物を食べ続けるときのくりかえしが耳に心地よく響きますよね。

 英語では「But he was still hungry.」と繰り返しになり、日本語では、「still」の部分が「まだ」、「やっぱり」、「それでも」、「まだまだ」、と訳し分けられています。テクスト的には、一番遊んでいる部分ですよね。読み聞かせていると、面倒ではしょってしまいたくなることもありますが、ついつい、「そして月曜日、月曜日~♪」「火曜日、火曜日~♪」と、例の歌で節をつけて歌ってしまいたくなります。

 土曜日に食べたものの羅列も楽しいですね。これでもかこれでもかと出てきて、読み聞かせているほうは息がつけなくなります。食べるものの種類の豊富さも目と耳を奪われる理由の一つでしょう。ここは一つの山場ですね。

続いておなかが痛くなるという前半のオチになりますが、次にまた日曜日がきて、今度は緑の葉っぱを食べると、おなかの具合がすっかり良くなったと続きます。この意外な一連の流れには思わず笑わされてしまいますが、特に英語で、緑の葉っぱを食べたときにも、月曜日から土曜日まで果物を食べたときと同じように「he ate through ….」という表現が使われているところは、シンプルな繰り返し構造に感心させられます。

 後半のさなぎになる直前の部分の、「おおきくふとっちょに」なったという表現は、日本語のものですが、あおむしのかわいらしさをうまくとらえられていて、うまい訳だと思います。ちなみに英語は「big」「fat」です。さなぎの場面の「なんにちも ねむりました」の原文は、「He stayed inside for more than two weeks.」です。二週間と言わずに、何日もと含みを持たせているところが秀逸な訳です。最後の変身の場面の原文は、シンプルな「He was a beautiful butterfly!」ですが、これも訳がいいですね。「あっ ちょうちょ!」と前に付け加えていて、驚きの効果が鮮明に表れ出るようになっています。

 こうしてみてみると、原文も訳もどちらもそれぞれに個性的で、ポップでリズミカルな、楽しい文章になっていることがわかると思います。


ユーモアあふれるキャラクターとストーリー

 最後に、もう二点特に指摘しておきたいのは、主人公であるあおむしの愛らしく笑えるキャラクターと、自然ながらも意外な結末に至る巧みなストーリー展開です。これについては、再びストーリーを追いながら、考えてみましょう。

 まず、生まれてすぐに食べるものを探し始めたというところですが、何も考えていないのに食欲が旺盛とは、たのもしくもかわいらしくて、思わず苦笑いしてしまいます。また、ストーリーの構成としては、出だしとしてのんびりした雰囲気を醸し出していていいと思います。

 続いて6日間食べ続ける場面です。月曜から土曜まで食べ続けるというだけでも、あまりの大食漢ぶりが笑えるのですが、最初は果物だけだったのに、段々量が増え、種類も増えて、果てはお菓子やデザートや加工野菜やおまけに酪農製品まで十種類も食べるなんて!こんなに雑食なあおむしが本当にいるでしょうか。人間の子供でも、こんなことをする子はいないでしょう(いたら逆に怖いです(笑))。あるいは、子供にとっては、あおむしの好き勝手な行動はうらやましい限りかもしれないけれども、子供でも、食べ物がギトギトしすぎて、量が多すぎていやになるかもしれません。それほどにものすごい食欲なんですね、このあおむしは。この楽しい場面は、この陽気な物語全体から言っても、前半のクライマックスと言っていいでしょう。

 さて、ここで明らかに食べすぎたあおむしですが、ちょうど一週間で食べつくすとは、切りのいい数字です。ストーリー的にはよくできていますね。おなかを壊すというのは、「虫がおなかを壊すのか?」と疑いたくもなる一方で、おっちょこちょいな性格の人間みたいで、やることが一々間抜けでかわいいなあと思わされます。ここは、いい意味でストーリーの転換点になっていると思われます。

さらに続いて、食べ過ぎで壊したおなかが、緑の葉っぱを食べてまたすぐによくなるとあります。「運のいい奴!」と同時に、「どこまで大食漢なの!」と、半ば呆れる場面です。ここは、ストーリー的には意外で光っていますし、あおむしの憎めない性格もよく出ていて、いい意味で肩の力の抜ける部分だと思われます。

その次は、あおむしがありえないほど太っちょになって、うんち色のさなぎに変態してぐうぐうと眠ってしまう場面です。なんとおおらかなあおむしでしょう。愛らしいというより、ふてぶてしさを感じます。ここまでよくぞ大きくなったと、褒めてあげたい気もします。虫の生長を考えると当然の展開なのですが、なぜか意外感があります。

最後に、見事な変身を遂げるクライマックスの部分です。ついにちょうちょになるのですが、なんという驚きの最終形態でしょう。見事な変身です。緑のあおむし→うんち色のさなぎ→極彩色のちょうちょ。このギャップがいちいちすごいです。特にさなぎからちょうちょへの変身は、二ページ見開きに使った視覚効果が抜群です。

この、かわいらしかったあおむしが、見事な姿に脱皮する瞬間、私たちは、息をのみ、目を見張るしかありません。愛らしく、ふてぶてしく、笑える存在だったあおむしが、手の届かないような存在に一段も二段も飛躍するのです。どちらもあおむしの現実の姿ですが、読者である私たちは、ただ手をたたきながら、この変化を見守るしかありません。

しかし、この見事なちょうちょへの変身につながる、自然でおおらかで、ぴりっとしたユーモアも垣間見せながら、意外なストーリー展開を裏支えしているのが、先に見たような愛らしいあおむしのキャラクター性です。ちょっと間が抜けていて、憎めない性格です。私は、これがこの絵本の仕掛けと絵以外の最大の魅力かなとひそかに思っています。だれもがはらぺこあおむしを嫌うわけにはいかないでしょうし、自然の生長過程と軌を一にした自然なストーリー展開ながら、ときおり示されるユーモアには、思わずくすっと笑いたくなります。エンディングもすばらしいですが、見事なキャラクター造形とストーリーテリングの力です。絵本作家としてのエリック・カールの天性を垣間見る気がします。つまり、この憎めないキャラクターと優れた楽しいストーリーこそが、この作品の隠れた魅力といえるわけです。

さあ、こうしてこの作品の主だった魅力について、大まかにとらえることができました。次は、この作品の隠れた主題についても考えていきましょう。


2.隠れた主題:必要なのは逞しさと明るさ

エリック・カールの言葉を手掛かりに

さて、それでは、この作品の隠された主題を考えていきましょう。カール自身の回顧によると、彼が楽しい仕掛け絵本をつくるのは、彼自身が無理解な教師による体罰やドイツの学校でアメリカ人として差別を受けた体験などでも味わった、温かい愛に包まれた幼児期の家庭生活から、厳しい学校生活への辛い過渡期に、できるだけ楽しく乗り入っていけるための手助けなのだということでした(註:参考文献4)。そんなエリックは、二作目の自作絵本である『はらぺこあおむし』は、「希望」の象徴で、だから人気があると自ら言っています(註:参考文献1)。

では、それは具体的にはどういう事柄を指すのでしょう。私はそれは一義的には、この本では、卵からかえったあおむしが、旺盛な食欲を発揮することで見事にちょうちょになれたという、理想的かつ科学的生長の道筋がストーリーの基本線になっていて、私もあおむしのような立派なちょうちょになりたいという子供の、また、そうなってほしいという親の「希望」が表れている、ということだと思います。つまり、あおむしは「子供の象徴」ということで、子供たちはあおむしを見て、あんなに食べられてうらやましい。僕も大きく育ちたい。ちっぽけなあおむしがあんな立派なちょうちょに生まれ変われるんだから、僕も立派な大人になりたいと思うでしょうし、親もあんなに食べられたら困るけれども立派になって、幸せになってほしいと願うでしょうからね。

 それはそうですよね。誰しも健康に育ち、身体的にも社会的にも立派になりたいと願うものですから。その意味で、この本は大変自然に、子供や親の願望を象徴として表現することに成功しているのです。エリック・カール本人の言うとおりであり、作者本人でなくとも、少し考えればわかる見方だと思います。


隠された主題:必要なのは逞しさと明るさ

しかし、私はここで、少しこれとは違うこの本の読み方を提示したいと思います。すな

わち、ただ立派になりたい、健やかに育ちたいでは、あまりに漠然としすぎているからです。ここでもうちょっと突っ込んだ分析をしてみましょう。

まず、この本をよく見てみると、ここで描かれているのは、ある意味でひたすらガツガツ食べる虫の話であり、よく考えると、人間のあるべき姿としては少しおかしいのです。

どういうことかというと、この虫は、知性も品性もなくひたすら食べることしか考えておらず、しかも、めちゃくちゃな食べ方をした結果、おなかを壊してしまうのです。幸運なことに、緑の葉っぱを食べたらおなかは治り、大きな太ったさなぎになって、立派なちょうちょになれましたが、下手をしたら、腹痛であおむしは死んでいたかもしれないのです。こう考えると、やはり暴飲暴食はよろしくないということも描かれているといっていいのではないでしょうか。

確かに、子供が育つには、どうしても食べ物が必要です。また、子供に旺盛な食欲がなければ大きく育たないのも事実です。なので、モリモリ食べながら、元気に楽しく健やかに育ってほしいと親たちが願い、子供も自然にそうなるのが普通です。ですが、ただ与えられたものをむやみやたらに食べるだけではだめなのです。暴飲暴食もダメですし、ただ与えられたものを食べるだけでは、虫のように厳しい自然界を生き抜くためには能力も判断力も不足なのです。

私は、この本が提示してくれている興味深い主題は、一言でいえばむしろ、あおむしが自然のもとに生まれて、すぐにえさを探し始め、実際に餌を自力で見つけられたこと、また、旺盛な食欲を発揮して、体力をつけ、大きくなったこと、暴飲暴食で体調を崩しても、治し方を知っていたこと、立派に大きくなり、さなぎから見事にちょうちょに変身できたこと、といった、生き抜くためのサヴァイヴァルの勇気と知恵と力=逞しさを見事に示すことができた点であると思うのです。

もう一点、この絵本で大切な要素を挙げたいと思います。それは、全編に漂っている「明るさ」です。苦労しながら逞しく生き抜いているあおむしなのですが、どんなときでも明るく楽しく前向きに生きているようです。もちろん、お腹を壊した時は、それなりに落ち込んだようですが、治ったら、ケロッとしていました。このように、主人公のあおむしが明るく陽気で前向きだからこそ、この物語は、とてもみんなに好かれる作品になっているといえると思うのです。


真の希望とは?

以上のように考えると、この作品は、あのちっぽけなあおむしでも、逞しく明るく前向きに頑張っていけば立派なちょうちょになれるという意味での「希望」が描かれたものであるといえる気がします。この本を読んで、子供たちはきっと厳しい学校生活を乗り切っていく勇気や慰めを得られるのではないでしょうか。自然と社会という差こそあれ、厳しい環境で苦しみながら生きていく子供とあおむし。こういう読み方をすると、重なって見ざるを得なくなってきます。

こうしたこの物語は、虫の嫌いな子供はあまりいないし(私事ですが、私の娘は虫が大好きで、特にテントウムシの幼虫探しが一時期の日課でした…(笑))、子供はきっと感情移入しやすいでしょうね。私自身は虫があまり得意ではないし、知性や品性といった大人の徳性の必要性が描かれていないので、少し不満もあるのですが、何より子供向けの本ですし、大人にとっても、大人も動物だよと言っている、大事な観点を与えてくれる名作だと思います。

少なくとも私は、エリック・カールが、親しい編集者のアドバイスを受け入れて、主人公の虫をただの「worm」ではなく、変身できる「caterpillar」に変えたことは、大成功だったと思います。本人はその知名度に大きく貢献している、この代表作はあまり好きな作品ではないといっているようですが、私は楽しい仕掛けと絵、ストーリーも科学的生長というすっきりとした骨格に、時折紛れ込むピリッとしたユーモアセンスが秀逸な、目にも心にもすっと入っていく古典となった名作であるといえると思います。少なくとも子供心には訴えかける作品であることは間違いなく、私の娘はこの本もエリック・カールも大好きですし、私自身も悔しながら、グッズが大好きで、娘の園グッズのマークに多用しています。ミーハーですみません(汗)。

さて、この有名な絵本の主題分析は以上です。少しでも興味を持っていただけたなら嬉しいですが、この本の楽しさは、言葉で語るのはそもそも無理なのかもしませんね。あえて試みた意気や軒高と買ってくださるとありがたい限りです。


3.結語:生きるということ

 最後に、今までこの絵本の魅力の源について探ってきましたが、もう一度まとめ直したいと思います。

第一に、主人公がちっぽけなあおむしであることが挙げられると思います。ちょっと気持ちが悪くて、私のように苦手な人間もいるでしょうが、自然と触れ合う機会が少ない都会の子でも、身近に観察できる存在であり、少なくとも見たことのない子はいないでしょうし、小さくて愛らしくて、先ほども言いましたが、虫好きの子供は多いと思われます。

第二に、この本の描くあおむしのかわいらしい性格です。食べてばかりの、お腹まで壊してしまう、ちょっと間の抜けた、そして、明るく前向きで陽気な、子供にとって感情移入のしやすい存在です。

第三に、意外だけれども自然で、ユーモアあふれるストーリー展開です。これについては、第一節で考えました。

第四に、背景が空白の、ちょっと手抜きに見えるけれど、無邪気で愛らしい絵です。背景については、ある資料によると、読者の想像力を掻き立てるために、あえて空白を多くしているとのことでした。コラージュという独創的な技法については、エリック・カールの天才的センスが光っています。

第五に、楽しい仕掛けです。果物に開いた穴に指を突っ込んでみるときの面白さは、普通の本にはない楽しさです。

第六に、歌にもなっている、リズミカルで楽しい文体です。明るくポップで、繰り返しが効果的です。巧みな語りといってもいいかもしれません。

こうした明らかな特徴を持っているこの絵本ですが、主題的にも読者の心をひきつけるものをもっていて、「このあおむしのようにモリモリ楽しく夢中で食べて、元気にいつか立派な大人になろうね」という夢を親も子供も共有できる本です。だから、親子の読み聞かせに人気なのでは、と思われます。その意味で、あおむしは、夢の子供なんです。

ただ、よく読むと、第二節でも述べましたが、主題は「たくましく生き抜くこと」という、生きる知恵と力についてであるようにも思えます。少なくとも、この本のあおむしは、自らの力で生き抜いていくのです。

結局、このあおむしのように、「生きる本能に忠実に、たくましく生き抜いていこう!とりあえず、モリモリ楽しく食べましょう!そして、見事にちょうちょになりましょう!」といったメッセージが、この本で強く訴えられている内容ではないかと思われるのです。その意味で、この本からは、生きるためには本能的なたくましさと知恵と力、そして前向きな明るさが必要であるということが前提として生き生きと伝わってくるような気がします。

結論から言うと、だから、先ほども少し言いましたが、少々頭でっかちな私には、この本が幾分物足りないのかもしれません。自然や生命力のたくましさが伝わってくる一方で、大人としての人間にふさわしい品性や知性といった人間的な徳目の必要性が無視されているわけですから。そこはやはり主人公がちっぽけな虫であるということの限界である気がします。

でも、少なくとも小難しいことを考えない子供には楽しい本でしょうし、エリック・カール自身は自然や小動物が本当に好きなんだろうなと思います。それがよく伝わってきますね。また、人間だって動物なんだということをよくわからせてくれます。それは大事なことだと思いますし、こういう観点も必要であり、特に大人である私たちも忘れてはならないことだと、エリック・カールに説得されている気になります。特にそれが、いわゆるお説教としてではなく、楽しい仕掛けや絵やストーリーの起伏にとんだ絵本の体裁で訴えられていることには、余裕すら感じて思わずいいなあと叫びたくなります。また、主人公のあおむしがとことん明るく陽気な性格であることも、その方向性であり、この絵本の魅力に一役も二役も買っているのかな、と思われるのです。

ずばり、この本は、人間も大自然の一部であることを思い出させてくれる、かつとことん前向きで明るく楽しい絵本です。「生きるということ:必要なのは逞しさと明るさ」これが今回の私がこの本につけたタイトルです。いかがでしょうか。

 それでは、最後になりますが、一つだけひどく気になっていることを書いておきましょう。それは、いくらなんでも、あおむしが土曜日に見つけた食べ物は多すぎるということです。あおむしが一人で見つけたとはとても思えないんです。多すぎるし、豪華すぎます。あまりに人工的でもあります。だれかが与えたのだとしか思えません。だとすると、一体だれが与えたんでしょう。いずれにせよ、こんなに与えちゃだめですよ!おなかを壊して死んでしまいますよ!この不思議、誰かわかったら教えてください。神様だけが知っているのかもしれません。こんな小さなことで神様に頼るのはどうかと思いますがね(笑)。(註:後日ある参考文献から知ったが、子供のころのエリックは、実際に親戚の家でこれほどの歓待を受けたことがあったそうで、実体験なのだとか(註:参考文献4))。


参考文献

1)月刊「MOE」二〇一五年十一月号、第二四-二五頁「エリック・カール『はらぺこあおむし』」

2)『エリック・カール絵本の世界』ブックグローブ社、二〇〇四年

3)別冊太陽『海外の絵本作家たち』平凡社、二〇〇七年

4)『子どもの夢を追って―エリック=カール自伝』偕成社、一九九二年

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