1人に1つずつあるもの①
1人に1つずつあるもの、それは「いのち」です。
えほんがかりのテーマ
えほん つながる ことば いのち
今日は、その「いのち」の部分について書いていきたいと思います。
私がえほんがかりを続けていく上での最終目標は「自殺者を減らす」ということです。
わたしの周りには自殺で亡くなった人が、多い‥誰かと比べたことがないのでわからないけれど、肌感で多い気がします。
それは、親戚だったり近所の人だったり同じ学校の子だったり…
私が小学校低学年の頃、ある夜、自宅の電話が鳴りました。近所の人からでした。電話を切った後に両親から聞いた話によると、「夫がまだ会社から帰宅してないのだけれど知らないか?」という内容だったとのこと。私の父と、まだ帰宅してない本人は同じ会社だったことで我が家に電話が入ったのでした。その翌日だったかな、竹藪の中で首を吊って亡くなっていたと教えてもらいました。(両親が率先して話してくれたわけではなく、私が根掘り葉掘り聞いたから)
それが私の周りであった初めての自殺であり、私が自殺というものを身近に感じた最初の出来事でした。
私から見ると、◯くんのおじさん。近所の中学生の男の子のお父さんでした。亡くなる1年くらい前に、子供会で行ったキャンプでは、子供会に入ったばかりの私たちに本当に良くしてくれて、山道がしんどくて歩けない私を、真夏の暑さの中、汗だくで何度も何度もおんぶして歩いてくれました。その背中の大きさや温もりが、今も忘れられません。それどころか一生忘れないと思います。
その後、いろんな噂が飛び交っていました。本当のところ、当時小学生だった私にはわからぬままです。
死ななくてもいい人が、『自ら死ぬ』という選択をしなければなかった理由は何でしょう?
それからも、周りで、自殺で亡くなったという話を幾度となく耳にし、その度に、その人がどんなに辛かったか・どんなに苦しかったかと当事者の気持ちを考えることで胸を締め付けられ、自分の不甲斐なさを突きつけられるような気持ちになり無力感に襲われてきました。もしかしたらHSP気質も関係しているかもしれません。
私も思春期以降、絵本に出会うまで「死にたい」が、ちょくちょく顔を出す人生でした。
いや、むしろ思春期ってみんな死にたくなるものだと思ってました!
それが、不思議なことに1冊の絵本をきっかけに、嘘みたいな本当の話、生きる方へと力が湧いてきたんです。
詳しくは、この記事に⇩
大切な人が辛い想いをしていたら、わかってあげたい!ときっと誰もが思うはずです。ですが、どんなにその人のことを想っていたとしても、その人の苦しみを全て理解することは不可能です。どんなにその人のことを想っていたとしても、その人になることは出来ない…こんなことを書くのはイヤですが、最後の決断はやっぱり本人になってしまうんです。
私たちの人生は、選択の連続です。その選択の先に「自殺」が絶対に現れないように私はしたいのです。
つづく