しゃしんのまほう ―今と昔でかわるけどかわらないもの―
むかし、本は紙でできていて、
音楽はレコードで聴いていました。
今は、スマホで本が読めて、音楽も好きな時に聴けるようになりました。
時代とともに、いろんなものが形を変えていきました。
でも不思議なことに、
写真は昔も今も、 みんなの「たいせつ」を残してくれる魔法のような道具。 古いカメラも新しいカメラも、どちらもステキな魔法が使えるのです。
そんなある日、古いアルバムの中から、二つの光が現れました。
「私はセピア」フィルム写真の精霊はやさしい光で話しかけます。
「私はブルー」デジタル写真の精霊が澄んだ青い光が応えました。
二人は写真の精霊。
違う時代に生まれた二人が、写真の魔法について
おしゃべりを始めるのでした...
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「私たち写真って、不思議よね」とセピアが言いました。
「どうして?」ブルーは首をかしげます。
「新聞さんや本さん、レコードさんは、
デジタルの波に押されて随分と変わってしまったのに、
私たち写真は、ずっと写真のままでいられるの」
ブルーはくるくると回りながら答えました。
「そうね。私は撮ったその場で見られるけれど、
あなたは現像に時間がかかった。
でも、どちらも大切な思い出を守っているわ」
「ねえ」とセピアが言いました。
「最近、ファミレスの定食まで写真に撮るって本当?」
ブルーは空を見上げて微笑みました。
「ええ。きっとね、その人は『今、ここにいる』と
いう気持ちを確かめていたのかもしれないの」
「そうか...」セピアは目を細めます。
「私たちの時代は『残すため』の写真だったけれど、
あなたたちの時代は『感じるため』の写真なのね」
「そうなの。私たちは必ずしも形として残る必要がないの。
大切なのは、写真を撮るという心そのものだから」
二人は手をつなぎ、夕暮れのアルバムの上で静かに踊り続けました。
窓の外では、新しい写真たちが、蝶のように舞い始めていました。
おしまい