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the winter sun of yellow

静かな咳ばらいが一つ、二つ。スポットライトが灯る前、ステージの隅で中折れハットの角度を微調整しながら、今日の動物園での光景を思い出していた。

冬の日差しは優しく、普段は凍てつくような水も、今日に限っては不思議なほど温かだった。子供たちは上着を脱ぎ、半袖姿で水しぶきを眺めていた。仲間のペンギンたちと戯れる中で、ふと口ずさんでいた「What a Wonderful World」のメロディ。誰も気付かない、小さな即興のハミング。

マイクの前に立つ。暗がりの中、厚めの黒縁メガネ越しに、仕事始めの疲れを滲ませた客席の表情が見える。オーナーの「リラックスさせるように」という言葉を思い出す。

ピアノのイントロが流れ始める。

「I see trees of green...」

声を温めるように、最初の一節をそっと紡ぎ出す。今朝見た木々の緑が、まぶたの裏によみがえる。冬の日差しに照らされて、葉は深い翡翠色に輝いていた。

「Red roses too...」

バラ園の赤い色彩が、記憶の中で鮮やかに蘇る。咲き誇る花々を、首を傾げながら眺めていた来園者たちの笑顔。

歌い進むにつれ、客席のため息が柔らかくなっていくのを感じる。グラスを傾ける音が、静かな波のように響く。ネクタイを緩める音。椅子の軋み。それらが溶け合って、心地よい沈黙となる。

曲が終わる頃には、張り詰めていた空気が溶けていた。拍手は雨のように優しく降り注ぐ。ステージを後にする前に、もう一度今日の陽光を思い出す。確かに、これは素晴らしい世界だ。明日も、水面を泳ぎながら、こっそりとメロディを口ずさむのだろう。


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