『攻殻機動隊』誤訳検討[2巻 1章~3章前半]
本記事では『攻殻機動隊』漫画原作の2巻『Manmachine Interface』を英語版と比較し、誤訳と思われる箇所を挙げていきます。1巻の誤訳は以前の記事で取り上げておりますので、是非そちらも併せて御覧ください。2巻では一気に誤訳の量が増えます。では早速見ていきましょう。
※講談社のDeluxe Edition Complete Boxed Setを使用し、ページ数の表記はそちらに準拠します。
※画像はスマホ撮りかつ縮小で見づらいかと存じますが、ご了承ください。
01章
p.09
日:ロキ コナン 電脳防衛設定再チェック
英:ロッキー コナン 電脳防衛設定再チェック
RockyではなくLokiかと思われます。他のページではLokiとなっている箇所もあります。
p.11
日:それは追跡者警報よ 放置しておきなさい
英:それは追跡者についての警告よ 残しておきなさい
"警告"ではなく"警報装置"の意味でしょう。つまり「それを取り除くと警報が発信されるようになっているはずだから、放置しておけ」ということです。
"ドクター"を名乗る人物が、軍需産業の電脳をハッキングして潜水艦を一隻せしめたのですが、その際にゴミのような偽装プログラムをわざと残したようです。誰かがドクターのハッキングに気付いて偽装プログラムに触ると、ドクターに警告が行くのでしょう。
p.11
日:一度追跡者を嗾けてみて 彼の対応ぶりを見てみるか…
英:ちょっと我々の追跡者を嗾けてみて 彼がどう対応するか見てみるか…
"追跡者"は、おそらく素子の関係者ではなく、無関係の第三者を指すものと思われます。素子とドクターは相手の内情を探り合いつつ、協力関係を築いています。表立って対立を起こすような事はしません。
p.16
日:筋を分割してボウガンを三連にしたのはアタリだったわ
英:筋を分割して複合吹き矢にしたのは素晴らしいアイデアだったわ
英語で"ボウガン"とは言いません。"クロスボウ"という呼称が一般的です。ブロウガン=吹き矢と訳されてしまったのは、そのせいでしょう。また、腕にクロスボウを仕込むこと自体は以前からおこなっているようです。このコマでの新機軸は、人工筋肉を分割すればクロスボウを"三連"にできるという点です。
p.19
日:なまじバレて反政府気運が加速するのもマズいわけね
英:でも偽装をバラして反政府軍の立場を強めてほしくはないんでしょ?
"なまじバレて"の意味を誤解しています。ここで話し合われている事態は大きく分けて2つ。1つは民族対立に端を発する暴徒の虐殺行為。もう1つは、暴徒に加担している軍隊の動き。ドクターはその2つ目の軍隊を制止してくれ、と依頼するのですが、1つ目の虐殺への影響は考慮しなくてよいとも言います。つまり、暴徒を止めるための作戦ではないらしいのです。"暴徒に影響を与えなくてよい"と言った意図を素子が推測し、「介入された事を暴徒が知ったら、その矛先が政府に向かいかねないからか」と尋ねます。それが上のコマでの発言です。しかしドクターはその推測も否定します。どうやらドクターには語られざる意図があるようですが、作中ではそれ以上の説明がなされません。
p.20
日:船の周囲のマイクロマシンやセボット探査も念入りに再度実行
英:船の周囲のセボットやナノマシン探査も再度実行 念入りにね
1巻の解説でも書きましたが、士郎正宗はナノマシンとマイクロマシンを厳密に分けています。極小サイズに関する一般名称として"ナノ"と訳することは適切ではありません。
p.23
日:コナン!ドクターの過去の依頼に今回のを足し 利害等から彼のポジションを推測なさい
英:コナン!ドクターの過去の依頼に今回のを足し 彼に生じた利益から資産/負債ポジションを推測なさい
素子はドクターの資産状況をチェックしようとしているのではなく、依頼の内容から彼の正体を探ろうとしているのです。"ポジション"とは金融用語のそれではなく、社会的立場のことです。
p.25
日:師匠ォ~ ドクターのポジションですが特定は困難です 相殺する要因が32%あって…
英:師匠… ドクターのポジション特定に困難が生じています ポジションを平均32%オフセットする要因が…
先ほどと同じく、ここでの話題は資産状況ではなく社会的地位です。"ポジション"というカタカナで混乱が生じているようです。ドクターの依頼内容から推測可能な項目の32%が相矛盾しているため、人物像を特定できないという事を言っています。素子に正体を知られないように、慎重な言動を重ねてきたのでしょう。
02章
p.29
日:貨物航路いくつか変えた件で様子調べに来たのかな?
英:貨物航路がいくつか変わった件で様子調べに来たのかな?
細かい話ですが、おそらく"貨物航路いくつか変えた"のは荒巻素子自身なので、受動態を使う必要はないでしょう。素子が流通にすら影響を与えるほどの力を持っていることが示される場面ですので、そのニュアンスを拾ってほしいところです。
p.33
日:もっと深くまで潜っとけばよかった しかもこいつ身体ナマのままだし…
英:もっと深くまで潜るべきだったな 人格の内部から奴を操作しろ
海賊船員への電脳ハッキングを、脳の浅い層でおこなったため、別のサイボーグ船員にハッキングがバレてしまったという場面です。しかもハッキング対象の船員はサイボーグ化していない生身の体です。それゆえ、その場で細かい身体操作をして切り抜ける事が難しい状況に陥ります。その後、海賊船員を操ってサイボーグ船員を強引に殴りつけた際、生身だったために腕を怪我するという描写が入ります。
p.36
日:攻性囮(アクティブデコイ)2機を魚雷発射口の20センチ前に吸着!
英:攻性囮(アクティブデコイ)2機を本艦魚雷発射口の前に吸着!
アクティブデコイを取り付けなければならないのは"敵の"魚雷発射口であり、自艦のではありません。敵が魚雷を発射した瞬間に自滅するように仕組んだわけです。
p.37
日:ボクらよりヘタレです
英:ボクらよりうるさいです
"ヘタレ"が分からなかったものと推察します。
p.37
日:ここはひとつ皆殺しってコトで…
英:ぼくたち皆殺しにされちゃいます!
自分たちの利益のためには敵を沈没させたまま見殺しにすべきであるという、非感情的でAIらしい価値観を示すシーンなので、忠実に訳してほしいところです。
03章
p.48
日:起爆線の接続はリングとパラレル混合か…このブタ「切り所」を…
英:ブタの情報を見るに 起爆線の接続はリングとパラレルの混合に違いないわね…
このコマのポイントは、配線方法それ自体ではありません。「爆弾解除のための切断位置が極めて限定されるような配線方法だったのに、ブタが見事にそこを噛みちぎっていた。それはなぜか。」というのがポイントです。後のストーリーの布石になっているので、正しく訳す必要があります。
p.55
日:敵の探査 迷路G8でスタック中
英:敵の探査 迷路G8でスタックされています
敵が迷路で"stack"されているというのは意味不明なので"stuck"でしょう。敵が迷路で立ち往生しているわけです。正しく"stuck"と訳されている箇所もあるので、なぜ"stack"になったのか謎です。
p.55
日:情報はニセで私に対するテロの可能性もある
英:情報はニセだ 私に対するテロの可能性がある
「偽情報である可能性があり、その場合、私に対するテロの可能性もある」ということです。偽情報かどうかは確定していません。
p.57
これは誤訳とは違いますが、電子メールの文面が絵に重ね合わされているので、英語での書き換えを諦めて日本語のまま放置されています。ですが、この文面に対する素子のリアクションが同じコマにあるため、翻訳しないと意味不明になってしまっています。士郎正宗から生データをもらうか、枠内を白く塗りつぶしても訳すべきでしょう。
p.59
日:
(素子)ソフトまで壊れてなきゃいいけど…
(AI)構造解析やりまっす!!
(素子)しなくていい!
英:
(素子)ハードウェアが壊れてなきゃいいけど…
(AI)構造解析をやります!今すぐ!
(素子)いや いいよ…
おそらく、AIの「構造解析やりまっす!!」というリアクションに繋がるのは"ハードウェア"の方だと判断したのでしょう。ですが"ソフト"で合っています。義体ダメージによるソフトへの影響を心配する素子と、そんな主人の心配をよそに構造解析の機会を得たことで喜んでいるAIが対比されている、という場面です。この後、素子が深刻なピンチに陥った時でさえ、AIたちは構造解析の機会を喜んでいます。AIと人間の異なる行動理念が細かく演出されているので、是非そのあたりも汲んで訳してほしいところです。
p.62
日:やっぱり ただウイルスで動いてるだけじゃなかったか…報告を生中継してるんだ
英:ただウイルスを使っているだけじゃなさそうね 生中継で送るわ
主語の省略による誤訳ですね。生中継するのは、素子ではなくウイルス感染した水中点検ロボットです。衛星を経由して謎の報告を敵に流しているようだ、という事に素子が気付いたわけです。
p.64
日:確実な逆探は中継してる衛星までです 受信可能地域 誤差含みます
英:我々の中継した衛星までしか探知できません 受信が可能な地域におけるエラーを考慮に入れています
ここで何を言わんとしているのか、訳者は理解していないと思われます。"衛星を中継"したのは敵であって素子ではありません。そして、"誤差"とは「受信可能範囲に関する推測データには誤差が含まれます」という意味です。
これは、ウイルスを用いて敵が情報収集してきたため、素子がその通信経路を逆探しているという場面です。敵が経由した衛星までは特定できましたが、衛星からどこに情報が送られたのか特定できません。衛星通信が届く範囲は推測できますが、諸々の物理的条件に左右されるため、その推測には誤差も含まれるわけです。絵を見ると、オレンジ色で同心円状に誤差範囲が示されていると分かりますね。
p.64
日:ハード的に近いから時差検出も効き難い
英:ハードウェアが似ているから時差を検出することも難しい
"ハード的に近い"とは似ているという意味ではなく、物理的に近いという事です。この時の素子は、ウイルス感染した水中点検ロボのすぐ近くで逆探をおこなっています。遠隔地から敵の通信にウイルスを潜り込ませた場合には、時差検出のファイアウォールに引っかかりますが、この時はすぐ近くにいるので、ロボからの通信を偽装しやすいわけです。
p.65
日:読み込みエラーの報告で合体すれば 見ても捨てても起動するから ヒット率は抜群よ
英:読み込みエラーの報告が合体すれば どうなったって起動するから ヒット率は抜群よ
「ウイルスが読み込みエラーの報告の中で合体すれば」という意味です。エラー報告が合体するわけではありません。この直前の、ウイルスデータを細切れにしてヘッダーを傷つけたというセリフを思い出す必要があります。わざとヘッダーを傷つけることにより敵側で読み込みエラーを発生させ、そのエラー報告の中で細切れにしたウイルスが合体するという仕組みなのでしょう。
p.65
日:アイジャック ほとんど現象出てません
英:ほとんどアイジャック映像が出ていないようです
「アイジャックの映像をチェックした結果、ウイルスによる現象はほとんど確認されていません」という意味です。
p.66
日:抗体効果が出ていないサイボーグが右前方に来ます
英:抗体効果が出ていません 一番近いサイボーグは右方10メートル
一つの文章を二つと誤解したケースです。他のサイボーグには抗体が効いている中で、ウイルス感染したままのサイボーグが一体現れたという場面です。
p.67
日:
(素子)我が社の一般義体相手に後遺症残るようなウイルス撃ってどうすんの!
(AI)でへ 効率的だと思って言ってみただけ
英:
(素子)我が社の作った義体にウイルス後遺症を与えるつもり!?
(AI)ヘヘ よく効くだろうと思っただけ
p.37と同じく、AIと人間の価値観の違いを示す場面です。暴走する一般人の義体に対して、ウイルスを注入して制圧したほうが"効率的"であると言っているのです。つまり「わざわざ格闘で抑え込むより手間がかからないよ」という事です。人権意識よりも効率が優先されているという点がポイントです。
p.73
日:
(素子)クレーンに使われてる鎖の評価!特に劣化表と引っぱり強度
(AI)はぁい 調べてから使ったんじゃなかったんですね
(素子)なにたわ事言ってんのよ 確認だけよ!
英:
(素子)鎖の解析をして!劣化と引っぱり強度の評価
(AI)了解!使う前に調べるべきでは?
(素子)たわ事言わないで解析しなさい!
"たわ事"という言葉のニュアンスが少しズレています。「使う前に調べなかった」という部分がたわ事なのです。「たわ事言わないで。もちろん事前に調べたわ。けど念のためにダブルチェックして。」(本当は事前に調べてないのか?)というユーモアです。
p.73
日:ロヴからの汚染以降に当区画から外部に接続した端末を検索&追跡
英:ロヴの汚染の後で 当区画で外部接続のある端末を全て検索&追跡
これも文章の区切りに関する誤訳です。まるでロヴによる汚染が済むまで待てと指示しているかのように訳されています。正しい内容は、「この区画から外部接続した端末を検索しろ。ただしロヴ汚染以降の接続に限る。」というものです。既にロヴウイルスは建物全体に感染していますが、その中から犯人に情報を送っている端末を特定する必要があるわけです。
p.76
日:
(AI)レブリス氏は既に敵の駒か第1攻撃目標か ですね
(素子)多分後者よ おかげで再トライできるわ
英:
(AI)だめです 敵は既にレブリスを駒として使っているようです もしくは最初の攻撃の犠牲者でしょう
(素子)多分後者よ でも少なくとも再トライできるわ
最初のAIのセリフは改行無しの1文ですが、"敵の駒か"で改行しての2文だと勘違いしています。ここでAIが言っているのは、ウイルス感染したレブリスが更に社内の別のところから情報を引き出すコマとして使われるか、もしくはレブリスの電脳そのものから情報を引き出す事が敵の目的であるか、2パターン考えられるということです。
後者の場合"再トライ"できる、と素子が言っているのは、ロヴからの逆探知では敵の居場所を掴めなかったからです。
p.76
日:迷路G8でスタック中の敵探査体は変化無し レベル3の人工知能又はそう見える問題解決能力の極めて低い人間と推測できます
英:G8迷路スタック内の敵探査機に変化無し AIのレベルは3Aと推測します 極めて問題解決能力の低い人間と同じです
攻殻2巻には冗長な文章が多いため致し方ないのですが、このような長い文はたいてい誤訳しています。「レベル3の人工知能 又は レベル3の人工知能に見えるほど問題可決能力が低い人間が、 迷路G8にてスタック、つまりハマっています」という意味です。相手取っているのが人間なのかAIなのか厳密には判別できないわけですね。
また、"レベル3"から"レベル3A"という風に、単語に修飾が追加されています。度合いを示す単語にオリジナルの言葉が足されている事が2巻では多いです。さして邪魔にもならないのですが、あまり上等なローカライズ手法とは言えないと思います。特に攻殻機動隊の場合、こうした諸々の単語に元ネタがある場合も多く、あまり不用意に言葉を追加すべきではありません。
p.79
日:ジャックは左耳裏
英:ジャックは右耳裏
攻殻機動隊の英語版は、大昔にDark Horse Comicsという出版社が出した版がベースとなっているのですが、その最初の版は左開きで反転印刷されていました。当時の漫画英訳にはよくあったことです。ゆえに、その時には左右に関する単語は反対側に訳されていたわけです。講談社が右開きで出版した際に元に戻すべきだったのですが、どうやらそのまま残ってしまったようです。なので、絵と言葉で左右が反対になってしまっています。
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2巻 1章~3章前半:本記事
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