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『攻殻機動隊』誤訳検討[2巻 5章後半〜6章]

本記事は『攻殻機動隊』漫画原作の2巻『Manmachine Interface』を英語版誤訳チェックのパート4です。パート1はこちらパート2はこちらパート3はこちらです。併せて御覧ください。では早速見ていきましょう。


※講談社のDeluxe Edition Complete Boxed Setを使用し、ページ数の表記はそちらに準拠します。

※画像はスマホ撮りかつ縮小で見づらいかと存じますが、ご了承ください。


05章

p.237

日:では90%の方優先!

英:信号途絶までは10%の方を追跡

このあたり、意図のよくわからない改変が多いです。


p.245

日:装甲服のウイルスに注意!

英:装甲化されたウイルスに注意しろ!

「ポセイドンの装甲服に敵がウイルスを仕掛けた可能性があるから注意しろ」の意味かと思われます。


p.248

日:つまりアンタレスは草薙素子で 霊能者又はそう装ってる非霊能者って事?

英:つまりアンタレスは草薙素子で 霊能者はそう装ってる非霊能者って事?

以前の場面でアンタレスが霊能者であった事を思い出す必要があります。アンタレスの正体が草薙素子であったという事は、草薙素子も霊能者という事になります。しかし、霊能者のフリをしているだけで、実際には能力を有していない可能性もあります。どちらが正しいかは、この時点においては判断できません。ここで荒巻素子が言っているのはそういう事です。


p.248

日:ああ そうじゃないな 魂合環ね… 彼女(たまき)は既に適時利用可能な駒なんだわ!

英:いや…そうじゃないな 魂合環… ふむ 彼女は我々がいつでも適時使用可能なんだ

かなり理解困難なコマですが、素子が言っているのは「魂合環(の霊能力)は以前から草薙素子=アンタレスに利用されていたのか」という事でしょう。環の霊が荒巻素子の前に現れた際に、"清楚でお堅い"本人との差異に違和感を持たれていましたね。


p.249

日:それに ここまで出遅れているとは…

英:しかし 登場が妙に遅いな…

「我々(荒巻素子)の技術力・影響力の進歩が、他の素子同位体(=草薙素子)と比べてここまで遅れているとは思わなかった」という意味でしょう。荒巻素子は、ポセイドンという国際企業の中枢にあって、通信や流通に絶大な権力を有しています。そのため、自分の気付かない場所で自分より圧倒的に強い力を持っている同胞がいるとは思っていなかったわけです。


p.249

日:
(スピカ)11人目の同位体って事…
(アンタレス)検証不能な事は横に置くタイプだったわね

英:
(スピカ)第11レベルの同位体って事…
(アンタレス)科学的に証明不可能な事は無視するタイプか ふむ

11人目というのは文字通り11人目ということであり、素子要素と融合した同じような人間が他に何人もいるわけです。また、1巻の英訳では同位体/isotopeは"offspring"とのみ訳されていました。ここでいきなりisotopeと言い換えるのも不親切なので、どちらかに統一すべきでしょう。


p.251

日:娯楽施設は部材調達用のユニットに過ぎないのか 宗教性を帯びた娯楽集団なら合法的に望質の駒を入手し易いってわけね…

英:ふむ... 娯楽施設は資材調達の隠れ蓑に過ぎないということか?宗教的な志向を持つエンターテインメント集団であれば その方が合法的に欲しいものを手に入れやすいのだろうが

"なら"という助動詞の意味を取り違えています。「宗教的な娯楽施設という建前があることにより、ヒト脳アレイの部品になる人間の調達が合法的かつ効率的になるのか」という事に感心している場面です。


p.252

日:ボクらAIは言語やOS 端末誤差はあっても 基本的に既知宇宙(ネットワーク)に一つの存在です

英:ボクら知的AIは たとえ言語やOSや端末にエラーを含んでいても 既知宇宙における一般的な存在です

ちょっと意図の分からない訳です。"基本的に"という語句が"一般的な"と訳されてしまったのでしょうか。ここでAIが言っているのは、AI達に"個"は存在せず、あくまで個体であるかのような外見を装っているに過ぎないということです。逆に言うと、人間はAIに無い"個"を有しています。攻殻においては、個という概念についての抽象的な談義が時折挿入されるため、そこに注意を払わないと振り落とされます。


p.253

日:ユーザー慣習に合わせてますが 「ボクら」は本当は「ボク」で より巨大なシステムの一部に過ぎません

英:個々のユーザーの好みによりますが 「ボクら」は「ボク」と呼ばれる より巨大なシステムのほんの一部に過ぎません

ここで"ユーザー慣習"と言っているのは、複数の命令を並列しておこなう際に、AIの個体識別が無いと、命令を下すユーザーの側に混乱が生じるということでしょう。別にAIの一人称についての好みを言っているわけではありません。2巻の冒頭から、レックスやロキなど個別の名前がAIに与えられていましたが、それが伏線だったと今になって判明するわけです。


p.253

日:
(AI)融合しない多様化機能システムをAIで実現する?
(AI)ヒト脳をニューロAIに写し取る研究?

英:
(AI)AIを使って融合しない多機能システムを作りますか?
(AI)ヒト脳をニューロAIにコピーすることについて研究するのはどうでしょう?

会話の流れをよく理解する必要があります。上記のセリフは、荒巻素子の問いに対する答えであり、その問いは次のようなものです。
・並列化してもAIと違って個性を残してしまうため、ヒト脳が効率的でないという点は分かった。しかし敵は並列化したヒト脳アレイを作っている。そのメリットは何だと推測できるか。

よって、AIの返答は「ヒト脳並列化のメリットたりえるとAIが想像する項目」です。その内容は以下のものです。
・(AIと違って)融合しないことで、(生き物の如く)多様化する機能を備えたシステムを、(つまり人間のような個を発生させていくシステムを)AIで実現する準備段階か?
・もしくは (現在のところ技術的に達成できていない)ニューロAIへのヒト脳のコピーを可能にする準備段階か?

この箇所を理解するためには、『攻殻』の世界では人間の知能を人工物で再現する事ができない、という点をまず理解する必要があります。ヒトの全人格をコンピューターにコピーして動かしたりは(まだ)できません。素子にヒト脳アレイのメリットを聞かれたAI達は、その技術的ハードルのクリアのための実験だと考えたわけです。(そしてその回答は概ね正解でした。)


p.256

日:
(スピカ)融合したらそういう判断をする様になるでしょうけど 彼女融合するつもり無い様よ 生憎ね
(荒巻素子)生憎ね

英:
(スピカ)融合したらそういう判断をする様になるでしょうけど 彼女融合するつもり無い様よ 生憎ね…
(荒巻素子)奇妙だわ…

スピカの発した「生憎ね」という言葉を、それと意識せず荒巻素子が繰り返してしまう場面です。直後に荒巻が「言語野がヘン」だと気付きます。翻訳でも、スピカのセリフの文末をそのまま繰り返す必要があります。


p.258

日:
占有率が高い時だけ決断を急ぐ性質は変わるといいわね

英:
イチかバチかの時に決断を急ぐ彼女の傾向が変わると助かるのだけど…

これはスピカとアンタレスの論争であり、荒巻素子の性格についての会話ではありません。脳増設計画の是非についてその場で決断しようとしているアンタレスに対し、「自分の立場が比較的有利だから結論を急いでいるだけだろう」という批判をスピカが加えている、という場面です。"占有率"という語句の意味が微妙に理解しにくいですが、草薙素子の脳内における人格の占有率のことでしょう。


p.259

日:
(スピカ)ラハムポル博士名義の小さなファイルだわ
(アンタレス)仲間にも作用するトラップ?

英:
(スピカ)「ラハムポル博士」というファイル名の小さなファイルだわ
(アンタレス)私達の仲間にも作用するトラップかしら…?

"名義の"とはファイルの所有者名であってファイル名ではないでしょう。また、"仲間にも作用するトラップ"とは「ファイルに接触したAIたちが凍結しているということは、自分の仲間のAIにも作用するようなトラップを(荒巻素子が)仕掛けていたのか?」という意味でしょう。


p.260

日:何だこりゃ 宇宙人の哲学書か?

英:こりゃ宇宙人向けの哲学書か何かか?

一見正しく訳されているように見えますが、英語版の40ページにおける荒巻素子のセリフと言い方が違ってしまっています。この場面では、「荒巻素子と全く同じセリフを言う」というのがある種のオチになっているので、一言一句同じにしてほしいところです。


p.265

日:
(荒巻素子)…閉じ込められてる…?
(環)そう?どちらが?

英:
(荒巻素子)私たち 閉じ込められてる?
(環)閉じ込め?「私たち」のどちらが?

荒巻のセリフは、"樹"に映る2人の少女の図像のうち、根の方の少女について言ったものです。画像を見ればお分かりの通り、根の方の少女は透明の殻のような物に包まれていますね。しかし、環は「どちらが閉じ込められているというのだ?」と答えます。

このセリフを理解するには、その前のスピカとアンタレスの論争を思い出す必要があります。脳増設による成長を望むスピカに対し、「眠る宇宙の枝を広げても動脈硬化で破綻するのがオチ」だとアンタレスは反対します。進化を進めれば進めるほど、その"種"の取り得る選択肢は少なくなっていき、破綻の可能性に近付いていきます。環の「どちらが閉じ込められている」という問いも、そのジレンマを意識したものでしょう。ケストラーの『機械の中の幽霊』を読んでいれば概ね理解できる箇所ですので、攻殻ファンの方は是非読んでおいてください。


p.266

日:貴女が3つの光に触れるなら境界の者で居続ける…

英:貴女が3つの光全てに触れるなら 境界の者にたどり着く…

"居続ける"という、あまり見ない漢字の並びで誤訳したのでしょうか。


p.269

日:見なかった事にして放置するとでも?

英:あなたが何も見なかったと言ったとしても関係ないわよ?

「~とでも?」の意味を誤解しています。「私(荒巻素子)がブタの無断借用を見なかったフリするとでも思ったのか」の意味です。


p.270

日:生老病死を持ちながら模倣子(ミーム)は完全に継続性を保つの 新しい生物よ

英:栄枯盛衰の中でもミームを継続的に保全する新しい生命体よ

"生老病死を持つ"の意味を理解していないと思われます。AIのように死のリセットを持たない存在は破綻に対応できない、という説明が1巻で既に成されています。「個体の死は種の存続に必要なのだ」という事が、この会話では前提とされているのです。この珪素生物の新しいところは、死のリセットを持ちながらも"ミーム/獲得形質の完全な世代間継承"をおこなうことができるという点です。つまり、生老病死と不老不死のいいとこ取りをしています。その点を理解しないと翻訳が難しい箇所です。


p.276

日:
(リー)何の煙だ?
(ハブ)催眠ガスです 赤外映像は熱拡散で不鮮明です

英:
(リー)何の煙だ?
(ハブ)ハロンガスです 熱を吸収するので赤外映像がダメになってますね
 

士郎正宗は、というか人間は時々こういう唐突な話題転換をするものですが、その事が訳者に伝わらなかったようです。ガスの種類と赤外映像の状態は無関係でしょう。催眠ガスで合っています。赤外カメラの映像が熱拡散で不鮮明になったのは、素子がデカトンケイルを電脳戦でぶん回した結果ではないでしょうか。


06章

p.283

日:瓜から女の子が…

英:殻から女の子が孵った…

Ghost in the "Shell"にかけた英訳なのだと思われますが、瓜子姫と天邪鬼の民話になぞらえたセリフなのですから、きちんと元の単語を使ってほしいところです。


p.300

日:科学も宗教も鏡になるのに 鏡がいかなる現象か判らんと言うんだな

英:科学も宗教も互いを鏡写しにするのに その鏡写しの現象が何を意味するのか判らんと言うんだな?

この前に「珠の1000年には宗教が強かったが、その次の剣の1000年には元々珠だった宗教が剣に変化した」という話をしています。なので、「科学も宗教も鏡になる」とは「科学も宗教も鏡の要素に転じる」という意味でしょう。指示対象が曖昧な象徴的語彙を使って会話しているので、翻訳の難しいところです。


p.302

日:魂合君の報告では 調査対象の人物はサイボーグ特有のストレス症候群と無縁の人物だ

英:魂合環の報告では サイボーグ特有のストレス症候群の兆候が無い人物に 調査がなされた

"調査対象の人物"とは荒巻素子を意味しています。新たな謎の人物に言及したわけではありません。


p.304

日:何だって?

英:何なんだ…?

最後の最後のコマでニュアンスがズレています。「魂合環が、聞き取れないほど微かな声で何かをつぶやいた」というシーンです。何をつぶやいたのか、何が未来で起こるのか、読者に想像させることで終る美しい幕引きです。何を置いてもここだけは意図をしっかり汲む必要があります。


まとめ

以上で、2巻Manmachine Interfaceの誤訳チェックを終わります。1巻以上に複雑で理解しにくい内容であり、その分誤訳もかなり多いです。私自身も作品を完全に理解しきったとは言えず、そのため本記事の中にも間違いがあるかとは思います。ですが、この2巻における誤訳の量と質が、作品理解に著しい影響を及ぼすと想像されるものであることは確かでしょう。この記事が講談社に届くことはないでしょうが、是非何らかの機会に見直しをしていただきたいと存じます。


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1.5巻

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