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「負の感情に振りまわされない」条件って何なんだろう

先月、自分の変化についてちょっと驚いたことがある。

それはこれまで散々振り回されてきた、「数値」的な結果(分かりやすい結果)によって、不必要に自己肯定感を下げることなく、今に集中できていたこと。

営業という職種柄「数値」という目に見える「結果」からの「評価」は避けられない。あまりにも分かりやすすぎて、数値があがらないと、「私はこの組織にいる価値ない」と結構本気で思ってしまい、焦りや不安、劣等感、悔しさ、孤独感、そういうものに飲み込まれて、どんどん負のサイクルにはまっていく感じ。

大前提健全な危機感は別に必要なことだと思うんだけど、数値がでない自分を周りはどう見ているのか、とかそういう余計ないことで頭がいっぱいになる。そもそもぶっちゃけそこまで周りは気にしてないです(笑)、が答えだろうし、そんなこと考えても現実は変わらないことくらい、頭では死ぬほどわかってるけど、止められない。

でも面白いのが、今回の変化はすごくネガティブな事象から始まったということ。仕事をはじめて以来、一番むかついたし納得いかなかったしなんかもう色んなものがうざかった。(笑)  

個人的に、そんな中「負の感情に振りまわされない」ですんだキーワードはここらへん。

・負の感情も認める

 -うざいむかつく納得いかない喜べない。そんな感情を抱く自分がいけないみたいなそんな考えが無意識レベルで働いて一生ぐるぐるその負の感情と葛藤していた事象そのものに悩んでいるようで自分が抱く負の感情に悩んでいる感じ。だけど、うざいもんはうざいし、むかつくときはむかつくなと。それは自分の中で何かを期待していたり、ありたい姿があったからで。意外と負の感情に素直になることで、無駄なぐるぐる渦巻く葛藤を手放して、じゃあ今からどうするか、事象そのものに頭を使えるようになった

・負の感情も共有する(周りを頼る)

 -それでもなんかもううざすぎて無理とか、そういうときはおとなしく誰かに頼る。話を聞いてもらう。感情の共有をした人が増えるだけでも、だいぶ楽になる。今回はここがやりづらく結構一人で抱えないといけない時間も長かったけど。でも、負の感情も共有した上だと、自分をよく見せるための努力ではなく、正しい方向性での努力もしやすくなるので、思考がシンプルになる。

・悩むことをやめる決意をする

 -自覚はあったが自分自身悩むことで自分を守ってきた。時間は止まってくれないけど、それでも悩んでいると思うことで、少しだけ焦りを感じずに済んだ。でも、悩みの大半は「自分で自分に高い要求をしている」「~でなければいけない」みたいなことから始まっていることが多く、自分で自分のこと苦しめてるな~って。無意識的な自分への要求を捉え、手放すことは結構有効。

・他者の「存在」に感謝し、その気持ちを伝える。

 -頼らせてもらった人や支えてくれている人にきちんと感謝をする。自分の中でとどめるのではなく、ちゃんと言葉で伝える。感謝することで、「自分」にばかり矢印が向いてしまうことなく、心の余裕がうまれる。私の場合は特に、「受け取る力」が強い分、負の部分も受け取りやすいけど、同じように人からいいものを受け取る力にも長けていると思っている。だから、ちょっと意図的に、受け取ったいいものにちゃんと言葉で感謝を伝えることで、いいものを感じ取って受け取る力の方をあがられる気がしている

・自分の「存在」に感謝される

 -これはなかなか自分でコントロールできることではないから少し難しいのだけど。でも自分が感謝を伝えるようになると自然と誰かから感謝してもらえることも増える気がする。それと私の場合、10月から組織編成があり、新しい組織で仕事が始まったことで上司が変わったけど、「〇〇(私の名前)がいてくれて、助けられてます」とか、そんな言葉をかけてくれる人で、嬉しくないわけないし、重要なのは「~ができる〇〇に助けられている」とかではなく、存在に感謝される機会を持つことは、すごくインパクト大きいなあと。「人」として見てもらえていると認識できることで、「数値」が伴わない時に、(何かが出来ていないと)「見捨てられるんじゃないか」みたいな不安を感じず、やるべきことに集中できる。むしろ、絶対に結果を出そうと思える。

・個として自分と向き合うことをやめる

 -これも環境の変化で意図せぬことから気づいたけど、これが一番大きいのかも。「個として自分と向き合うことをやめる」は教育・キャリア関係の話を学生時代からしているとあるおじさんとのキーワードでもあるんだけど。今回は意図せずそれを実感した。 

新しくグループが立ち上がり、グループとして数値的に苦戦が強いられ上もいつになく余裕がない状況、かつ、新しいメンバーや部下を持つことになり、「個」として自分を見る時間が物理的に減った。でも考えるべきことは確実に増えたけれども、グループ全体を俯瞰的に見て、自分はどう動くべきか、グループの成果を最大化させるためにどんな文化をつくれたらいいかとか、グループをひとつの「場」として、その中の一部として自分を捉えたほうが、すごく私はシンプルに行動出来た。なんか「自分」視点が下がったことでかえってこれまで邪魔していたプライド、恐怖、焦り、そういったものを引っ込めて動ける自分に出会えて自由になれた

余談ですが、私は昔から自己分析が苦手で。なぜか意外がられるのだけど。静的な自分を言語化するのがとても苦手なんです。だから就活の面接とかも本当に得意でなくて。

言いたいことは分かる。環境に依存するものは弱く、どんな環境でも再現性高く価値発揮できることが一般的な市場価値だし、まあ代替可能であることが資本主義社会では求められるから。

終身雇用の崩壊、年金制度の事実的崩壊など...今の私たち世代って、会社は守ってくれないから自分で自分を守らないといけない。そのために自己成長しないといいけない、みたいなメッセージが就活の中でも多聞にあったように思う。自己分析もすごく重要視をされてきた。自分の軸をつくれと。厄介なのはこのメッセージは一定正しいということ。でもこれはある種社会によって作られた都合のいいメッセージであることも理解した上で付き合ったほうがいいと思っている。

たとえば、成長したくない人はそうそういないと思うけど、

でも学生~新卒時代なんて、みんながみんなたいして、なぜ成長したいのか、そもそも自分って成長する必要って本当にあるのか、どう成長したいかとか、何をもって成長したと言えるのかがあるわけでもないから、会社の中で価値とされることをモノサシとして、気づいたら疲弊していくみたいな。そんな世の中がいけ好かなくて、でも自分もそんな沼にはまりそうになりながら、今に至るけど。なんかここのモノサシを持つ順序、タイミングが基本ないまま社会人になることがほとんどで、働きながら整理できたら万々歳だけど、でも疲弊していくか病んでいくか割り切るかしていく人が多いと思っていて、私はそうしてくすぶっている素敵なところを持ち合わせた人を見るとなんだか悔しくなる。このあたりの負を解消することが生涯を通しての関心事であり、他の誰かではなく私がやりたいと思うこと。

とはいえ、私自身数値や結果を出すところまでいけていないから、こんな自分との向き合い方でちゃんと数値的にもうまくいくようになるのであれば、結構いい気づきだなあ。世の中きれいごとだけでは上手くいかないから、だからグループとしても、あとは私の興味関心を満たす上でも、今回の変化を絶対に分かりやすい結果にもつなげていきたいと思う。

社会人の洗礼と言えばそうなのかもしれないけど、やっぱり本質的な自己理解、無条件な自己承認をもう少し社会人になる前に出来てていたら、無駄にメンタルしんどくならなかったり、環境の選び方とか、成長角度とかも変わると思うんだけどなあ。自分の可能性を見いだせなくなる人も少なくなる気もするし。

上記キーワードをかけあわせながらおもしろいことしていきたいなあとか。昨日感性の近い友人と電話しながら考えてた。ちょっとずつ始動していきそうでわくわく。未完成を一緒に楽しみたいね。

もう少し余裕が出てきたら私もまとめようこのあたり。


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