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読書日記②『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』vol.2

私はつくづく、「読むこと」よりも「書くこと」に助けられたり、癒されてきた人間なのだなあと、読書日記を書き始めてひしひしと感じています。書くために、読んでいると言っても過言ではない。

ということで、今日も書き(読み)すすめていきます。

たとえば泣いているとき、怒っているとき、全身で周囲を蹴散らしながらそれでもいつでも待っている。背中をなでる大きな手を、心が静まる魔法の言葉を、なりふりかまわぬ抱擁を。そうしたすごくささやかなもの、たとえばそれを愛とか思いやりと呼ぶのは大袈裟と思えるくらい、ささいで気軽な他者からのアクション、アテンションが、一生分の価値を持つことがある。でもそれはいつだっていま、いまこの瞬間に与えられるからで、時機を逃したらぜんぜん役に立たなかったりする。

わたしたちはたぶん、そういうものを小さいころから求め続けて、でもたいていは手に入らない。そうして心に穴があく、いくつも、いくつも、それで底なしの心ができあがる。

『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』p84


いやあ、わかりすぎる。これを読んで、わたしはそんな「ささいで気軽な他者からのアクション、アテンション」を送りあうような、ひらかれた場をつくりたいのかもしれないと思った。

セラピーが非日常的な時空間をしつらえて、心の深層に取り組むものだとするならば、ケアは日常のなかでさまざまな困りごとに対処していく。深層を掘り下げるというよりは、表層を整えるといっていいかもしれない。

『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』p90

これまでわたしは専門書を読みあさったり、日記を書いたり、カウンセリングを受けたりと、ほぼひとりで自分の心の底ばかり掘りまくってきた。でも、本来必要だったのは、ただ人といる、そのことに慣れる、受け入れるという、心の表層部分と向き合うことだったのかもしれない。

『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』p91

わ~、まさに最近感じていること。ストレングスファインダーの第2位が「内省」な位なので、わたしもうっかりするとすぐに深く深くへとひとりで潜り込んでしまう。

それでも最近はようやく全ての感情に潜らなくなってきた感覚がある

ちょうどこの前も、「あ~、なんか疲弊した感あるなあ」と思ったのだけど「なんで疲弊してるんだろう」と深く潜るよりも、「いや、たぶんこれは、あれだ。好きな香りのルームスプレーをかけて、音楽に合わせて無心で10分身体を動かすといい気がする」という直観を試してみた結果、これがうまくいった。他にも、私が今のところ最初で最後にはまった推し「嵐」の動画を見て、思いっきり笑ったり、かわいいとかかっこいいとか、ポジティブな感情に身を包むようにすると、案外「まあ、大したことないか!」と、けろっとできたりするものだった。

必ずしも深く潜らずとも、感情に気づいて、表層部をそっと撫でてやるだけで、ちょっとした擦り傷は癒え、時を進めることはできるのかもしれないということに、ようやく気付いてきた。

あと、昨年行き詰まりを感じていたとき、「コーチング」ではなく「インプロワークショップ」にアクセスしたのも、たぶん「ただ人といる、そのことに慣れる、受け入れる」ということが、自分を深く掘ることよりも今の自分には必要だと感じていたからこそなのだと思う。

そして「お店に立つ」という開かれた場に居続ける行為は、「ケア」というには大袈裟すぎるけれども、でも「ケア」的役割を担っているのかもしれないとも思った。実際いろんな人の「聞いてくださいよ~!」をよく受け取る。そうやってきてくれるのも嬉しいもので。少し自分の仕事が誇らしくなった。

それと同時に、東畑さん『居るのはつらいよ』の中に書かれている「ケアする人にもケアする人が必要なのだ」という言葉が、わたしの中にずんと残っている。わたしもお店にいることで、周囲の人たちにケアしてもらっていることが多々ある。わたしは結果的にケアしていることもあれば、お客さんにケアされていることも、間違いなくある。それでも尚、「なんてわたしは孤独なのだろう」と猛烈に孤独を感じてしまう日がある。その度に、「勝手にひとりになるな」と自分を責めては余計に胸がぎゅっとなってしまうのだけど。最初に比べたらだいぶ「居る」ことのつらさを知り、うまいこと付き合えるようになってきたと思うけど、でもまだまだこれからも「居る」には探究が必要そうです。

あと余談ですが、わたしにとって「書く」ことは「居る」ことなのかもしれないと、ふと思った。今の思いを、感動を、大事にしていることを、置いておく。

それを読んでくれる人と、ともに「居る」時間を想像しながら書いているのかもしれない。自分の頭の中にあるだけではきっと「居れなかった」人と、文章を通じてともに「居られる」可能性に癒されているのかもしれないと思った。


いやあ、やっぱり書くっていいなあ(しみじみ)。
今日はこのへんで。

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