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"気質を受け入れる""親と「安心」ではなく「信頼」で繋がる" 2年4か月で私に起こった変化とこれからについて

私事ですが、7月末をもって、新卒で入社した会社を退職しました。9月1日から、新潟県阿賀町という地で、地域おこし協力隊として、町の高校生や住民のみなさんをはじめ、関わりをもってくれる全ての人たちと一緒に、これからの”町の未来”と"学び"をつくっていくお仕事をしていく予定です。

これまで、自社開発のWEB会議システム事業の新規営業、及びカスタマーサクセスとして、企業・行政のDX化の支援をしていました。新規事業かつ女性初配属だったこと、自分の気質のこと、ミスマッチ上等であえて飛び込んだこともあり、心身ともに「もう無理だ~」と思ったことは何度もありましたが、退職を迎えた今、新卒としてこの道を選んだことに全く後悔はありません。ここで、色んな人と出会い、色んな壁にぶつかり、無理やり乗り越えてみたり、壁だと思っていたものは壁ではないと気づいたりと、たくさんの手触り感のある学びがありました。

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新卒入社以降の2年4か月という期間は、振り返ってみると、自分の「器」をじっくりじっくり大きくしていった、そんな言葉が一番しっくりとくる時間でした。入社当時はすぐにいっぱいになってこぼれたり、傷ついてしまったり、入れられるものが限られていた感じでしたが、今は「まあ一回いれてみながら広げたりカタチを変えたりいくか」みたいなしなやかさがちょっと出てきました。(笑) 

長い目で見守ってくれた事業部のみなさんをはじめ、家族や友人たちにも感謝の気持ちでいっぱいです。

この2年4か月で起きた変化として大きかったのは以下の2つでした。

① 自分の“気質”を知り、まるごと受け入れるられるようになってきたこと
② ”安心”ではなく”信頼”で親と繋がれるようになったこと

①については、時々noteでも触れてきたのですが、「HSS型HSP」という、繊細だけど刺激追及しがちな気質があることを知って以降、自分と上手く付き合えるようになってきました。まあ、本当にHSPかどうかは分からないし、正直どっちでもいいのですが、最近はHSPかもってことを忘れてしまう日も増えてきて、いい感じに自分のエネルギーが使えている感じがします。

↓社会人2年目のGWに書いた文章

ずっと、寂しかったんだと思います。当時は自分のなかで気になっていること(他の人はそこまで気にしていないこと)があって、上手く行動に移せないけど、その気になっていることを上手く言葉に出来ずにいて、当然周囲からは行動できていないという事象だけを見られてしまって、理解されない気がして、でもどうしたらいいか分からず赤ちゃんの如くよく泣いていました。(笑)

でも、「気になってしまう自分の気質は変えられないのだ」と思ってからは、「じゃあ、どうする?」と切り替えて、一つ一つ心理的障壁を解消しながら、進んでいけるようになりました。こう書くとすごくシンプルなんですけど、当時は死ぬほどしんどかったです。(笑)

みんなと同じことをしているはずなのに言葉で上手く言い表せないけど、無性に疲れるし精神的に負荷がかかっている感。
でも、傍からみたらただただ「タフさがない」とか「仕事の要領が悪い」としか思われないだろうなあという、漠然とした理解されないだろう悲しさとか寂しさとか虚しさとか諦めとか悔しさとか。

自分の感じ方(感性)を否定する必要はないし、それはネガティブな感情についても一緒で、そんな感情を抱いてしまう自分を責めなくてもいいのだと。うざいものはうざいし、嫌いなことは嫌い。そういう意味では以前より人間臭くなったと思います。(笑) でもそのまま終わるのはもっと嫌だから、一つ一つ試して打破していく。根っからの負けず嫌いの使いどころをそこに持っていくイメージ。

気になってしまうこと、マイナスな感情も共有できるようになってからは、周りからも以前よりずっと理解されることが増えて、私も行動に移せるようになって、分かりやすい成果としても出やすくなってと、いいサイクルを回せるようになりました。何より、周囲の人たちとちゃんと深いところでも繋がれるようになった感覚が、私の心をオープンにしてくれました。

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② ”安心”ではなく”信頼”で親と繋がること については、思いがけず得られた結果でした。

中学受験を経て、私立の中高一貫校に通い、大学も私立大学。
教育投資を受けてきた自覚がある私は、ずっと親の期待を絶妙に裏切ってきたと思っていました。

親からは、中高生ではほどほどに部活に精を出して、勉強もちゃんとして、ある程度の大学を出て、それなりのところに就職して、いい人見つけて、結婚して、子供を産んで、、、みたいな人生を(勝手な想像かもしれませんが)期待されていたと思います。

一方で中学1年生のとき、半年で陸上部を辞めた私。親戚などに「愛媛ちゃんは部活何しているの?」と聞かれて、母が「うーん、今は帰宅部なんですよ~(苦笑)」と何となく気まずそうに言っていたこと。

就職前、母の知人に「愛媛ちゃんはどこの会社に行くの?」と聞かれて、母が「うーん、何かよくわからない人材系?のベンチャー企業に行くみたい(苦笑)」と決まり悪そうに言っていたこと。

「テニス部で楽しくやってるみたい」「〇〇商事で働くのよ」なんて答えられたら、もっとすっきりした顔を親にさせられていたのだろうかとか、説明しづらいって、「私」も「周り」もなんかやりづらいよねって、なんか胸がきゅーっとなりました。

それでも、期待される道に抱く違和感を無視して進むことは私にはできなくて、だからせめて私は、親の期待を大きく裏切らない、でも自分の違和感を無視しすぎない絶妙な選択をし、そのなかで親が安心できる成果を出すことを繰り返していくものだと思っていました。親を”安心”させなくては。ずっとそう思っていました。

でも、今思うと、本当は”安心”ではなく、“信頼”で繋がりたかったんだと思います。想定外の、当初の期待外の行動をとったとして、そんな娘を堂々と受け入れてくれることを求めていたんだと思います。

親との信頼関係が築ける機会って、きっと人それぞれだと思うんですが、私の場合は、初めて私が全社で、新規営業の月間受注社数(正確にはちょっと違いますが)Tech領域1位をいただき、表彰されたことを報告した際に、関係性の変化を感じました。親がいい意味で諦めたというか、「まあ、この子はこの先も自分で決めた道を、自分でちゃんと歩んでいけるだろう」と、思ってくれた気がしました。

そう感じたのも、実は、今回の新潟行きの話は1年目の夏ごろにも声をかけてもらっていましたが、当時は自分でもまだ早いなと思っていたのと、ちらっと親に話したときの「何言っているの?」感が強すぎて心折れたんです。(笑) でも再度声をかけてもらい、賞以降に改めて話したときは「え~、でも雪大変だよ?」みたいな感じで反応も変わり、ちょっと気が抜けたくらいです。(笑)

賞そのものは、事業部長や当時の直上司、一緒に頑張ってくれた仲間のおかげであって、身に余る賞ではありましたが、私にとってはすごく価値のある賞であり、私を自由にしてくれたものでした。

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これから進む道はずっと自分が興味を持っていた分野になります。

中学時代、部活を半年で辞めた居心地の悪さと膨大な時間と当時嵐が好きでメディアに興味を持ったミーハー心から、めちゃくちゃネットサーフィンして見つけた、他校の中学生と一緒に短編映画をつくる活動や、神奈川新聞の高校生記者として取材、記事の執筆活動。

そんな原体験から、気づいたら学校外での学びの場に興味を持つようになりました。大学では当初考えていたメディア方面ではなく、教育学部で社会教育、生涯教育を学び、そのフィールドとして一般的な社会教育施設だけでなく、「地方での手触り感や関係性がみえる暮らし」や「プロジェクトという動的な場」にも目を向けてきました。

その割には、なかなか自分の関心を言語化出来ないことが苦しくて。恋というものを知らずに、初めて恋をした感覚?(笑)みたいな。なんか苦しい感じなんです。なので、一回私自身がそのフィールドにどっぷりつかってみることにします。

阿賀では、自分のなかの興味に貪欲になって色々と手を出してみながら、自分の美意識も育てていき、段々と上手に「巻き込まれにいく」人から、無邪気に「巻き込みにいける」人になっていけたらと思ってます。

ここまで読んでくれたみなさん、本当にありがとうございました。

これからの私の新しい実験を見守ってくれると嬉しいです。


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