「お好きにどうぞ」それが案外難しい ~三角エコビレッジ サイハテに旅をして~
"旅行"より、なんとなく"旅"という言葉のほうが好きだ。
それは、「目的地への到達」という結果よりも、「目的地までの過程や、その地で何を感じ、何が生まれたかという一回性」こそが醍醐味である、というニュアンスを"旅"という言葉に感じるから。
今回は熊本県にある「三角エコビレッジ サイハテ」に旅をした話をしようと思う。
サイハテに行ったのは、元々エコビレッジや環境問題に強い関心があったから等という高尚な理由ではなく、ただそこに友人がいたから。
無人島に行ったときに出会ったその友人が住んでいなければ、きっと足を運ぶことなどなかったのだろうと思うと、人との出会いは、人生に新しい出会いを運んできてくれる。
社会人になってからはずっと働き詰めで、行く行く詐欺ばかりしていたが、
ついに転職が決まり、有給消化で長期休暇が取れることになって、すぐに飛行機のチケットをとった。
エコビレッジと聞くと、「食料は自給自足、化石燃料は言語同断、水は雨水や排水の再利用!」といった環境への配慮故、不便さを強く感じたり、生活の質を下げざるを得ない暮らしなのかと思っていた。
でもエコビレッジにも程度のグラデーションがあり、人間には思ったよりも適応力がある。
確かに、やぎやにわとりなどがいて、朝は卵をとりにいったり、洗剤類は設置された環境に配慮された手作り洗剤1種類しか使えない暮らしではあったが、それもすぐに慣れた。
むしろ私ががつんと衝撃を受けることになったのは、サイハテの「お好きにどうぞ」という文化だった。
「お好きにどうぞ」と聞くと、「なんて自由なんだ!」と最初は思った。
そんな思いも束の間、わたしはこの「お好きにどうぞ」に揺さぶられることになる。
滞在2日目の晩のことだった。
その日は「宴」と呼ばれる住民の集まりがあるとのことで、旅人も一品、もしくは1,000円出せばその宴に参加できるとのことだった。もちろん参加するかどうかは「お好きにどうぞ」。
どうしようかなと沸々と考えながら、その日は私の他に友人の友人が2組来ており、全員同世代ということもあって、日中はせっかくだからとみんなで一緒に阿蘇までドライブをして、帰りも遅くなっていた。
宴の時間が迫るなか、帰りの車のなかで、私は無性に宴への参加が億劫になっていた。
何を隠そう、当時のわたしは料理に苦手意識があったからだ。
それでも自分一人を食べさせるための料理は、結構楽しんで出来た。
ただ、それを第三者にも食べてもらうとなると話は違う。
「あー、友人に料理できないと思われるの嫌だな~」とか、「切り方変とか思われないかな~」とか、そんなことばかりが脳裏によぎって、肩にがちがちに力がはいる。
でも、ここで1,000円払って参加するのも何だか気が引けた。直感的に「それは美しくない」と思った。それはなんだか「宴」が急に消費的な遊びへと変貌してしまう気がしたから。
結局私は「参加しない」という選択をした。
友人たちには「眠いし、ちょっとつかれたから」と適当に答えた。
意固地で見栄っ張りだったなと、自分でも思う。
ゲストハウスの2段ベッドの上段、人の目に付きにくいところで仕切りのカーテンを閉めて、しばらくぼーっとしていた。
ぐうう~~~とお腹が鳴る。
「誰か呼びに来てよ」と、寂しいようなちょっと苛ついているような、そんな絡み合った感情が胸を渦巻く。誰かが察して手を差し伸べてくれるのを待っている自分がいる。
でも誰もこない。ここでは「お好きにどうぞ」の文化が流れているから、「行かない」という選択も尊重される。
本当は行きたかったんだな私、と自分で自分を労わることしかできない。
でも、この揺さぶられている状況に、痛みだけでなく、どこか安心感を抱く自分もいた。
仕事ばかりしていると、常に「プロ」としての振る舞いを求められる。相手のニーズを的確に捉え、相手に求められる、もしくはそれ以上の価値をプロとして提供すること。そう振る舞うことが良しとされ、評価される。そこに誰も何も疑いの目を持たない。
だからこそ、「お好きにどうぞ」の文化にがつんと揺さぶられたのだと思う。そこに評価者はいない。お客さんも店員もいない。そのなかで「あなたは本当は何がしたいのか」を突き付けられる。それはきっとニーズに応えるよりもずっと難しい。答えがないから。
自分がいかに固定的な前提条件のもとで生きていたかに気づけたことに、どこか安堵していたのだと思う。
最終日の夜、夕飯を食べ終わり、友人と二人で誰もいない海の堤防に寝っ転がりながら、色んな話をした。
滞在期間中ずっと不安定な天候で、海にきたときは曇天の空だったけれど、話し込んでいると、気づけばこれまでに見たことのない数の星が空を埋めつくしていた。きっと、あの景色は一生忘れない。
「サイハテはどうだった?」と聞かれて、素直に宴の日に感じたことを話した。正直いまの私には楽しみきれなかったこと。でも、きっと近いうちに楽しめる日が来ると思っていること。だからまた来ようと思っていること。
友人はうんうんと、私の話を最後まで聞いてくれた。
サイハテに来てよかったと思った。
あれから数か月が経った。
仕事も変わり、都内のIT系法人営業から一変して、いまは新潟県の山奥の町でブックカフェの立ち上げを経て、スタッフをしている。
今ならきっと、宴に参加できると思う。
あいかわらず料理は得意でないけれど、あの後少しずつ人に料理をつくる機会が増えた。いつも「口に合うかな?」と一口目はどきどきしながら見守ってしまうけど、でも「美味しい!」と言ってもらう経験も、「もう少し塩み強めでいいかも」とフィードバックをもらう経験もして、それでいいのだと思えるようになった。
それだけでない。仕事であるブックカフェの場づくりにおいても、完璧に作りこんだものを提供する、ではつくれない価値があるかもしれないと考えるようになった。もちろんもっとここは準備しておいたほうがよかったなんてことも多々あるけれど、不完全な状態でも、恐るおそる差し出してみることで、積極的に手伝ってくれたり、意見をくれたりと、お客さんと店員の境目が限りなく曖昧になり、参加性や心理的安全性の高い場になっているのかもしれない。
最初から完璧でなくていい。完璧でなくても、誰かを喜ばせたり、自分を喜ばせることはできるとわかったから。上手くできなさそうだからと、行動自体を取りやめてしまう苦しさを知っているから。もらったフィードバックを取り入れて、一緒によりよいものをつくっていくことの楽しさも知ったから。自由って、こういうことなのかもしれない。
楽しいことだけが"旅"ではない。
あの時のもやもやがあったからこそ、私は「自由」に向かって舵をきれたのだと思う。旅先で感じる"居心地の悪さ"や"もやもや"は、決してネガティブなものではないということを身体知化していくこと。そうすることで、旅から得られるものの濃度が、そして人生の濃さがぐっとあがる気がしている。
そしてそれは、今回のようにどこかに行って滞在をする「旅」に限ったことではないのかもしれない。もっと日常的な、自分とは違う文化の組織やコミュニティの人と関わったり、その人たちとともに何かプロジェクトをすることでも、同じことが言えるのではないか。
「文化や価値観の越境を通して、そのとき何を感じ、何が生まれたかという一回性」を楽しむこと、それはもう「旅」なのだと思う。
これからも、大なり小なり、自分なりの「旅」を楽しんでいきたい。