無意識下で育む親和性が、衰退産業を救う…かもしれない 西原悟志
こんにちは!note更新担当のたぬ子です。
今回インタビューさせていただいたのは、竹工芸師の西原悟志さん。
「竹細工を盛りたてたいと思って、活動しているわけじゃないけど」とおっしゃりながら、お弟子さんのことや愛媛県内の竹細工文化、2080年に予想されている竹の花開花までにできることなど、竹細工のことを愛情深く考えられています。
そんな西原さんに、竹細工師を目指されたきっかけや、伐採する竹の判別基準などを伺いました。
就職先として、竹工芸師の道へ
― 竹工芸師を目指されたきっかけを教えてください。
ちょっと経歴が変わってて、18歳から22歳まで飲食店で働いた後、愛媛大学の環境建設工学科に入学したんですよ。
だから就職活動する頃には、もう20代後半になっていて、ものづくりの関連の一般企業に入社するのは厳しいだろうなと、思っていましたね。
それで「工芸もありだな」と思い始めた時に、イベントで師匠の竹細工を見て弟子入りしました。
弟子になって3ヵ月ほど経った時に、大分県立竹工芸訓練センターに行き、そこで学んで愛媛に帰ってきて開業しました。
手探りで得た、竹伐採の知識
― 作品や教室で使用されている竹は、ご自身で育てられているんですか。
整備をすることを前提として、放置されている竹林の竹を採らせていただいています。
― 採る竹に基準はあるんですか。
あんまり細すぎたら使えないので、直径8㎝から10㎝の割と太い竹を採ることが多いです。
― 太さ以外にも基準はありますか。
いろいろあるんですけど、1番は年数ですね。
生えた年の竹も一部使用するんですけど、大半は生えてから3~4年の竹を使います。
竹って育つのが早いので、生えてから約1ヵ月で親竹と同じぐらいの背になっちゃうんですけど、繊維の方は全然成長していなくて、年数を得るごとに、だんだん繊維を堅くしていきます。
1年目は、すごく柔らかいんで柔らかさが必要な部材に使って、3~4年ぐらいが1番弾力性があって強いので多くの部分で使用します。
5~6年を越えてくると、繊維の水分が飛んで堅くなってきて、弾力性を失うので折れやすくなってしまうんですね。
― 何年目の竹かっていうのは、どこを見て判別されているんですか。
まず、色合いで見分ける方法だと、1年目の竹は表面が綺麗な真っ青なんですよ。2年目になると少しくすんで。
3年目以降は、竹の表面に出てきた油分が、埃や塵と混ざって汚れとして付着するので、表面がちょっと白っぽくなります。
そこから、緑が落ちて黄色くなって、最終的には茶色っぽくなって枯れていきますね。
他にも、節を見て判別する方法もあります。
生えてきたばかりの竹は、節の下に竹から出てきた蝋質が多く付いて白くなっていて。3~4年経つと、それが剥がれてきて節の下が、暗い緑色になって遠くから見ると黒い帯のように見えます。
更に時間が経つと、茶色くなってきて「古くなった」と判別してますね。
ただ、竹林によっても全然違うので、周りに生えている竹との相対評価で判別するしかないんです。
何年にもわたって採らしていただいている竹林は、古い竹も切っちゃって、1~4年ぐらいの竹ばかりになっちゃうので、判別しづらくなるんですよ。だから、1年目の竹に生えた年を書いて管理していますね。
1年目の竹は見ただけで分かるので、最初は判別しやすい4~5年ぐらいの少し古めの竹から採って、同時に生えたばかりの竹に年数を書いておいて、次の年は「年数を書いているのは、2年目の竹だから」と判別できるようにしています。
― 竹の判別の仕方は、大分県立竹工芸訓練センターで教わったんですか。
大分は竹材屋さんがあるので、学校ではあまり教わらないんですよ。
愛媛も昔は竹材屋さんがあったので、師匠も自分で竹を切っていなくて。
だから自分で調べて、一般的に3~4年目の竹を採るとか、採る時期もだいたい分かったんですけど。業界内で統一されていないので、自分でいろいろ試して今の形に落ち着きました。
最初は2年目の竹も採ってたんですけど「ちょっと柔らかいな」と思うようになって、3年目以降の竹を中心に採るようになったり。
年数を重ねて、同じ年数でも竹林によって竹の状態が違うということも、だんだん分かってきましたね。
自分に合っていた、講師という職業
― 活動を始められた当初から、教室運営をメインにされていたんですか。
僕は、就職先として竹工芸師を選んでいるので、しっかり稼げるようになりたいという気持ちが強かったんですよね。
でも、自営なんてやったこと無いし、そもそも正社員の経験も無いので、何をしたらいいのか分からなくて、最初は「やれるものをどんどんやっていこう」と考えていました。
まず始めたのが、教室ですね。教室は、大分県立竹工芸訓練センターにいる時から、カルチャーセンターの教室募集に応募して、3ヵ所から始めました。あとは、イベントへの出展などの物販です。
この2つを主な活動にしていたんですけど、教室の数や受講生がどんどん増えてきて、竹細工を始めてから約2年経った頃には、6割教室、4割物販ぐらいのウエイトになっていました。
4~5年目ぐらいまでは、そういう状態で活動していたんですけど、物販の納期がどんどん先に延びていったことと、僕の性には教室が合っていると気づいたので、そこから徐々に教室メインに変えていきましたね。
僕の教室、好きなものを作れる自由制作にしているので、僕としては大変なんですよ。
でも、みんな同じものを作らないので、それに対応していくと自分の技術力が高まって、やれることが増えていくんです。それがすごく良くて!
竹工芸師として新作を作ろうと思っても、新作発表の時期なんて決まってないから、どれだけ時間がかかっても構わないんですよ。
でも教室って、必ず2週間後にやって来るから、できるように準備をしとかないといけなくて。追い立てられてやってるんですよね(笑)
僕、追い立てられないとしないし、話すのが苦手じゃなくて、むしろ1人で籠って作るのが嫌になってくるので、教室ってすごく性に合ってるんですよ。
― 2018年のLEXUS NEW TAKUMI PROJECTで制作された、パーティーバッグ「てまり」は販売されていないんですか。
今は、販売していないですね。
でも、商品のブランディングをやってみたいので、活動に余裕ができたら第一弾として、出そうと思っています。
ブランドの中では世界観を統一しないといけないですが、制作者は僕だけなんで、第一弾が上手くいけば、異なる世界観の作品を全く別のブランドとして立ち上げて、第二弾、第三弾と続けていきたいです。
水面下で育む親和性が、衰退産業を救う…かも
― 今後、愛媛でやっていきたいことを教えてください。
僕自身のことは教室運営を維持しつつ、商品数を増やして、ブランディングもやっていきたいですし、作り方をYouTubeで配信するキットの販売も始めたので、キット数をこれから増やしたいです。
弟子が3人いて、1番目の弟子以外は独立していないので、あとの2人の仕事を増やして早く独立できるよう、手助けをしていきたいですね。
知らない人も多いんですけど、松山市って元々竹細工が盛んだったんです。だから、昔の竹籠が家にある人もいるし、竹細工が記憶に残ってる人も多くて、他県や他市と比べて竹に対する親和性高いんですよ。
僕ね、最近考えているんですけど、生まれた時は誰だって竹に親和性なんて無いですよね。経験していないし、目にもしないから。
でも、無意識でもいいから生活の中で竹細工を見たり、聞いたりするうちに、徐々に親和性が高まっていって。
そして、工芸とか手仕事の方に目が向き始めた時、もしくはストーリー性やバックグラウンドがあるものに目を向けた時に、”竹”っていう記憶や経験があれば、竹細工を選んでもらえるんじゃないかなと。
そういう親和性が、工芸を支えているんだと思います。
逆に言えば、親和性の低さによって衰退して潰れるんだなって。
親和性が低いということは、支持する人が減っていくということですからね。
絵しりとり こい ⇒ い○
これは、もうフォルムだけで分かってしまいそうですね!
生でも、煮ても、焼いても美味しいアレです。
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