母親の理想の人間
私のことが好きだから、理想の人間像を押しつけてくるのだ。
操り人形と言われたらそれまでだが、歳を重ねるに連れて色々な人に出会いわかることがある。
たしかに、母親から言われる指摘はもっともだ。
だが、それを受け入れるためには、その時の感情では成立しない。
冷静になれて初めて受け入れることができる。
私よりも30年も長く生きて、私よりも多くの人々に出会っているのだから母親の言っていることはほとんど正しいのだろうと思うこの頃ではある。
しかし、そんなことを言っているわりには自分自身もできていないじゃないかと思うことがある。
正しいのは客観視
完璧な人間にはなれないかもしれない。でも、客観的に見られた自分こそが自分であり、客観的に見られて非の打ち所のない人間になれてこそ、完璧な人間に近づけるのではないだろうか。
母親の理想の人間像は完璧な人間、非の打ち所がない人間である。
この先色々な場面で役に立ち、恥じることのない人生を歩んでいけるかもしれない。
これは、厳しくて優しい一番の愛情表現である。
親の操り人形も捨てたもんじゃない。