もし第一志望の大学に受かっていたら、今頃自分は何をしていたのだろうか
昔持っていたケータイの画像フォルダを漁ると、第一志望だった大学の入試における得点が出てきた。そこに書かれていた数字とその年の合格点を照らし合わせると、11点足りなかった。11点は、正直惜しくもなんともない。惨敗だ。当時の私は第一志望への未練をダラダラ引きずりながら、たまたま受かっただけの大学で中国語と英語の勉強に取り組んだ。
その選択に後悔はない。素晴らしい仲間、素晴らしい留学先に巡り会えたからだ。初めは不本意入学だとしても、必ずその大学で学べることはあるし、得ることだってある。
私が進学した先の大学はたまたま言語の教育や留学の機会を学生に多く提供していたので、ありがたく使わせていただいた。私の友人が不本意入学した大学では就活支援が手厚く、4回生になる前に就活を終えたらしい。別の友人が不本意入学した大学では会計士の資格を取るための支援が充実していたので、資格を取るために勉強しているようだ。
多分この春にも、何万人もの受験生がさまざまな事情で不本意入学をしたことだろうと思う。私はそんな皆さんの3年後の姿である。正直言って、写真のアルバムから点数が出てくるまで、自分が不本意入学したことなんかすっかり忘れて楽しく暮らしていた。殺せんせーも
と言っているので、凡庸だけどやっぱり与えられた環境でできることを探すのが得策なんだと思う。
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ただ、もし自分が第一志望に受かっていたとしたら今頃何をしていたのだろるかとふと気になった。
多分コンピュータ関連の知識は今よりついていたと思う。もしかしたら脳と言語の関係についてなんか研究していたかもしれない。自動運転などの技術に興味を持ってたかもしれない。だけど正直、自分が数学を学び、ゴリゴリにプログラムを書いていたとはどう頑張っても想像できない。多分どっかで挫折していたと思う。
少なくとも、中国語は全くできなかっただろうし、IELTSでは7.0なんて取れなかっただろうし、文化人類学には出会っていなかっただろうし、エジプトに留学なんてしてなかっただろうし、そこでアラビア語を勉強していなかっただろうし、ナイル川を遡ろうなんて夢にも思わなかっただろうし、Noteなんて書いてなかっただろうし、写真とも出会ってないことは確かだと思う。
そう考えると、やっぱりあの時の選択は間違ってなかったんだと思える。