連載『ロマンスはカイロにて』 #5 全長たった4キロの街
大学3回生の冬休み。寒さの厳しいアレクサンドリアを脱して、「恋するダハブ」という異名があるリゾート地に逃避行した。そこでの出会いと束の間の日常を描く。
#1はこちら
私たちは宿に戻った。ムハンマドさんは屋上で本を読むらしい。私は街を歩くことにした。ダハブという街は狭い。レストランと宿しかないと言っても過言ではない。街の全長は四キロ程度なので、2時間もあれば徒歩でも大抵の場所は見て回ることができる。
ダハブの街を歩き始めてすぐに嬉しくなった。私が求めていたのは、まさにこの土地だと確信した。太陽が燦々と輝く海辺の街。リゾート特有のゆったりとした空気と、ディズニーランドやキッザニアを思わせる非現実的な雰囲気が好きになった。建物が全て、ベニア板で作られたテレビのセットのように見えるのだ。どことなく嘘っぽい。だけれども信じることができさえすれば穏やかな生活を送ることができる。この街を気に入ったが、同時に長く留まっていい場所ではないこともわかった。
宿を出て左に曲がると小さな橋があり、その先にはカフェとレストランが立ち並んでいる。所々その隙間に遊泳可能なエリアがあり、人々はシュノーケルを楽しんでいた。私はシュノーケルをやる気にはならなかった。水着を持っていなかったというのは理由の一つに過ぎない。雨の降り頻るアレクサンドリアで1ヶ月間生活していたため、どうしても自分から水に濡れる気分にはなれなかったのだ。私は散歩しながら陽の光を浴び、少しづつ解凍されていった。
海岸と反対側にはアルコールを売る店があった。エジプトではアルコールを普通に手に入れることはできるが、それでも大っぴらに運んだり、飲むことはできない。家まで持ち帰りコソコソ飲まなければならないのだ。しかしダハブではかなりの人数の人たちがビール片手に道を歩いていた。
その店の値段設定はやや高かった。小さな缶のビールが150円程度で売られていた。一般的なエジプトでの価格よりは高かったが、リゾート地で観光客が多いからかよく売れていた。水やお菓子、ジュースなんかも観光地価格だったが、世界のリゾート地に比べれば格安の部類だと思う。
私は散策を終え、宿に帰った。ソファーには明日出発するグループの人たちが、何やらしゃべっていた。このあと海にいってシュノーケルをするようだった。同年代の日本人が、同じグループの白人の女に気があるようで、しきりに話しかけていた。どことなく見ていて痛々しかったので私は屋上へ向かった。ムハンマドさんは屋上で本を読んでいた。その頃にはあたりが薄暗くなっていた。
「ムハンマドさんお疲れ様です。」
「いや。疲れるようなことは何もしてないわ。」
「そうですよね。いやー、ダハブって1日が終わるの早くないですか?」
「これからもっと早くなると思うよ。朝起きて、本読んだら、もう夜になってる。今日が過ぎたらまた明日が来る。いつの間にか月の感覚がなくなり、週の感覚がなくなってくる。ぼーっとしてたら1週間なんてすぐに過ぎ去るよ。」ムハンマドさんは旅人特有の遠い目をして言った。
「なんかちょっとわかる気がします。まだダハブに来て1日目だけど。それって旅あるあるなんですかねぇ」
「そうだね。だんだん時間に対する感覚は変わってくんねやんか。そういえば、もう夜ご飯食べた?」
「まだです」
「日本食レストランに行くんだけど、一緒に行く?」
「え、そんなのがあるんですか?ぜひ行きたいです。」
「セブンヘブンっていうもう一つの日本人宿があんねんけど、そこの屋上に日本食のレストランがある。味噌汁が海水くらいしょっぱいけど、あとはうまい。」
「海入り過ぎて舌バグってるんですかね。」
私たちは、すぐ近くの日本食レストランへと向かった。