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生きるとは死ぬこと

第44回目の投稿です!

今あなたは漠然としないもやもやに囚われていませんか?
「何か最近満たされてないなぁ」と感じたり、
「自分はこれからどうしたいのだろう」と考えたりすることってあると思います。
無ければあなたは大丈夫です。そのまま人生を謳歌してください。(笑)
もやもやしている人は最後まで読んで損はないですよ!

 
 
まあそれは置いておいて、
そもそももやもやの原因って何なのでしょうか。
 
 
僕は “現在の自分をしっかり把握できていないため” もやもやが生じるのだと思っています。
 
というのも、今の自分にとって何が足りていないのか、今の段階では将来どうなりたいと思っているのか、といったことがわからず、“自分の状態を把握していないためにもやもやする” のではないでしょうか。

 
 
 
つまり、もやもやを解消するためには “現在の自分をより深く知ればいい” のだと思います。

今自分に何があるのか、何が足りなくてどうしていきたいのか、どんな姿が理想なのかを考えるのです。

自分にあるものとないものを知るには身近な人に聞いてみてもいいと思います。
別の人の視点では、自分が思ってなかったような回答が聞けるので、自分を深く知るのに効果的です。

 
どうしていきたいのかや理想の姿を考えるには、まず先に「死」について考えるのがいいと思います

 
 
これから先どう生きるのかを考えるなら、自分の人生をどう終わらせるのかも考えなくてはいけません。

あなたが生物である以上、いずれ必ず死ぬので、自分の人生を見つめる前に、まず前提として「死ぬこと」を考慮しなければならないのです。

避けては通れない「死」を受け入れることを最初にしなければならないのです。

 
 
本当は「死」についてなど、誰だって考えたくはないものです。
身近な人が死んだ悲しみを忘れられない人がいて、自分の死に対して恐怖や不安を抱く人がいます。
「年をとってボケてくるのは、死ぬのが怖いから考えないようにしているんだ」なんて言われたりするくらいです。
当然のように将来が約束されていると思っていたのにも関わらず、無慈悲にもその命が突然奪い去られることだってあります。

 
私たち生物にとって、そんな残酷な末路が用意されている現実を受け入れるのは大変なことなのです。
 
「どうせ死ぬんだから適当に生きよう」

もしあなたがそう考えるならそれでもいいのだと思います。受け入れ方にも人それぞれあるので、どんな形であれ「死」を見ていることに変わりはありません。

 
 
自分が “どう生きるのか” を考えるためには、自分にも必ず「死」が訪れるのだと受け入れ、それを踏まえた上で “どう死にたいのか” も考える必要があるのです。

 
「死」を受け入れ、どう死にたいのかを考えた先に、“本当は自分がどうしたいのか” がはっきりと見えてくるのだと思います。
 
 
結末を理解した上で思い浮かんだやりたいことが、あなたが本当にやりたいことで、
思い浮かんだ最後の瞬間の姿が、あなたの理想の姿なのです。
 
それさえわかれば後はその2つを行動に移し、叶える努力をするだけです。
行動力に自信が無くても、本当にやりたいと思ったことがわかったとき、あなたは勝手に行動しているはずなので安心してください。
本物の願望を前に、人の理性なんて脆いものですよ。(笑)
 
そうなればもやもやなんて消えているし、行動しているあなたは、何にも増して輝いて見られるでしょう。

 
  
 
 
  

 
 
 
 
「花は散るから美しい」

終わりがあり虚しく、儚いからこそ
生命は尊く、愛おしいのです。

美しくもしくはカッコよく生きたいのならば、まずは死ぬことから考えてみましょう。

 
 
 
 
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