そして、神戸①
そして一つが終わり
そして一つがうまれ…
私が敬愛している歌手、前川清の代表曲ともいえる
「そして、神戸」の一節である。
この曲が世に産声をあげた年とはかけ離れるが、
そののちの阪神・淡路大震災において甚大な被害を受けた神戸の、いわば復興ソングとして
市民の心の支えとなったのが、
この「そして、神戸」といわれている。
作曲家 浜圭介先生が新人賞をとったのも納得のゾクゾクくるようなイントロは、
私同様に、歌い手である前川清自身も、
デモテープを初めて耳にした際に衝撃を受けたそうだ。
(参照元:前川清ヒストリー)
冒頭の
「そして一つが終わり そして一つがうまれ」。
これは神戸の「震災」と「復興」と捉えることもできれば、
私にとっての今回の神戸遠征もまた、このフレーズで表すことができた。
冒頭より余談が長くなってしまったが、以下に神戸遠征の記憶を記す。
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12:00、神戸三ノ宮駅。
吹き抜けのホームに降り立つと、
どこからか運ばれてきた潮風が鼻先をかすめた。
そうそう、これぞ港町。
9月後半にも関わらずな湿気も、好きな港町では許せてしまう。
──とはよく言ったもので、
実際は稲花粉の鼻づまりでがあまりよくわからなかったのはここだけの話だ。
兵庫最大の都市、神戸。
その主要駅が「三ノ宮」。
神戸に社を構える生田神社の「三の宮」からとった古くからある地名だ。
かつてこの神戸市の繁華街は、大正・昭和前期ほどまで「新開地」にあったが、
高度経済成長いこう、鉄道幹線が密集しているこの地にその役割を移したとされる。
唐突もなくこの町に訪れた理由は、
趣味といえるまでになったスナック巡業だけでない。
共通の趣味を持つ一人の女性との忍び逢いという、
私史において見出しをつけなくてはならないほどには大きなイベントを控えている。
普段、あらゆる欲求をむき出しにしながら暴れるように遠征をしている私にとって、
人との用事は多分に神経をすり減らす。
名古屋の古着ヤクザへの対応は言うまでもなく
それが麗しい女性であればなおのこと、といえた。
これは私の独り身が長く続いた弊害であることは言うまでもなく、
悩みではないにしろ、今後改善せねばならない人生の課題ともいえる。
と、思考がモクモクとたちこめてきた時、
待ち合わせ場所に彼女がやってきた。
会うのは初めてだったが、
予想をしていた雰囲気に違いはなかった。
インターネットの大海で出会ってから今日まで、
期間としては決して長くはないものの、
日々、140字に、時には動画に想いを載せて交流を重ねてきた我々である。
私のたどたどしい入りから少し会話を交わすと、
彼女が、かのアカウントの主であることが確信に変わっていき
次第に身内の人間に会ったような安心感に包まれた。
互いの仕事や地元の話などをしながら、
我々はまず、昼飯を共にした。
神戸といえば洋食だと、すっかり日本式洋食レストランのクチになっていた私だったが、
目当ての店は大混雑という失態を早速犯してしまった。
それでも嫌な顔一つみせない彼女を連れ、
センタービルの地下飲食店街に入り、そこでたまたま見つけたロシア料理の店に入った。
彼女はボルシチを、私はビーフストロガノフを頼み、
時折、舌を火傷させながらぺろりと平らげた。
昼食をとった後は、
同じセンタービル内部の喫茶「潮」…と言いたいところだったが、
残念閉まっていたので同じビル内の「茶房ヴォイス」へ行くこととした。
私も彼女も、煙草を嗜む。
まさしく読んで字の如く「嗜む」であり、
我々はともに、1日2箱を開けるような"呑む"ほど吸うタイプではなかった。
さしずめ、東京物語の森進一レベルといえよう。
(1日2本だけ🎶煙草を吸わせて🎶/森進一東京物語)
私は、彼女にガスライターを見せびらかしたり、
互いの煙草遍歴や、煙草の頻度など、
相性を少しずつ確かめ合うような会話を積み重ねていけば、
気づいたときには煙草の灰も積もりに積もって共用していた灰皿が埋まっていた。
彼女の背後に位置する、
重要文化財と表現して差し支えない
極上の真空管オーディオから流れるjazzから掛かっていた曲がなんだったか分からなくなるほど、我々は会話に熱中していた。
店内の客がまばらになりようやく時間の経過を認知した我々は、次の喫茶店へと移動した。
キラキラした人間で溢れる大都市では、
壁面をヤニブラウンに染めた喫茶店でしか息継ぎができない。
古くからの喫茶店には、私のようなろくでなしでも、心地よく受け入れてくれる度量のようなものがある。
成人し気づいた時には、そう感じるようになってしまった。
2軒目の喫茶までいく道中、
我々は、神戸国際会館をみつけた。
11月の某日には、ここに前川清が来るらしい。
公演を探せば静岡から近い箱なんてたくさんあったが、
どうしてもここで「そして、神戸」を聴きたかった。
その曲にとって思い入れのある町で、その曲を聴くことに大変意義があった。
これこそ、""粋""ではなかろうか?
神戸国際会館のやや右奥に、
目当ての喫茶店が顔をだしてきた。
初めて入ったがそこは当しく、
私にとっての「都会の息継ぎ場」だった。
大理石のテーブルや飾り模様入りのグラスを眺めるのはそこそこに、彼女との話に熱中した。
私は、彼女に尋ねられたおすすめの歌謡曲、また作曲家について早口で喋り続けた。
私が熱弁している傍ら、
彼女は真面目に一人一人メモをしていった。
熱心に聞いてくれるのでペラペラ喋っていると、
気づいたころに金ピースの箱は2箱目に突入していたのであった。
マスターに『ここは1ドリンク1時間だからそろそろ出ろ』と告げられた時、ハッと思い出した。
そうだ、彼女を埠頭に連れていく約束をしていたんだった。
もうすぐ日が暮れてしまう。
席をはずしていた彼女が戻る前に会計を済ませると、我々は塩の香る方面を目指し店を出た。
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港町らしい古い洋風建築の建物群の間を抜けていくと、
阪神高速の高架が顔をだした。
奥に見えるのは所謂、メリケンパークと神戸観光といえばの場所だ。
西日本出身の彼女だが意外にも、神戸ははじめてきたと言い、しきりに海を見たがった。
私は根っからの逆張りゆえにBE KOBEの場所すらうろ覚えだったが、
彼女のためと勇気をもって奥まで歩みを進め、
埠頭の先へ着くと、鴨川等間隔ゾーンを彷彿とさせるようなカップルゾーンに二人で座った。
やはりこういう場で過ごすのは少々むず痒い。
ふと彼女に言われ気づいたが、
海の続く先を見つめると陸地が見えた。
学のない私は、隆起する山々のそれが阪南市の山系であることへ気づくのに時間が掛かった。
BE KOBEの前で写真を撮るのに躍起にならず、
自然のなぜ、なに、なんで、へ素直な彼女を素敵だなと素で思えた。
私は何か言い掛けたが、偶然にも吹いた風にそれは書き消された。
埠頭を渡る 風を見たのは
いつか二人が ただの友達だった日ね
(埠頭を渡る風/松任谷由実)
思いの外日が暮れず、
我々は遊覧船や小型船、豪華な客船や隣接するホテルを眺めたり、沿岸部を歩いて回った。
最後に彼女をポートタワーがよくみえる場所へと連れていったころには辺りも暗くなっており、
ホテルのチェックイン時間が差し迫っていた。
彼女の手配でタクシーに乗った我々は、
手荒いがどこか人のよさが滲み出るタクシーの運ちゃんの話をそこそこに、
互いに持ちより交換した、手土産の話を少しした。
目的地に着くとき、私から
「それじゃあ、20:00に再集合しましょう」
『はい』
この後の予定について簡単に口約束を交わすと、
彼女を乗せたタクシーは私の元からあっという間に消えていった。
私はホテルに着くと、荷物を厳選し、
必要なものだけ選びとり、再度かばんにいれた。
歯磨きをしたり、
溜まっていたTwitterのDMを捌いては、
煙草で荒れた喉を持参していたトローチで労った。
さて、いよいよ夜を迎える。
女性と二人きりで会い、そこから飲みにいく経験は恐れ入りながら数回あれど、
そのままスナックへ行くことなんて事態は未だかつて経験したことがない。
期待と不安に入り雑じる私の胸中を表すように、
彼女を待つ間の音楽プレイリストが「シャネルズ」なんて突拍子もない選曲をしてきた。
予定時刻。
また来てくれた彼女にほっとしながら、
終わりの見通しが利かない夜を想像しては怖さを覚えた。
夜はきままに あなたを踊らせるだけ…
(恋の予感/安全地帯)
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そして、神戸② へ続く