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そして、神戸②

本稿は、前編「そして、神戸①」の続編である。

さて、その前編が思いの外好評につき、
多少なりともプレッシャーが掛かっているが、
私は相変わらずの意気地無しの男であることを念押しておく。
どれほどかというと、それはまるで浜田省吾の歌詞に出てくる男のようだ。

 ※浜田省吾「片想い」「いつかもうすぐ」「丘の上の愛」等々を参考にされたし。

昔から浜省の描く男性像は、一部の女性たちに不評であった。なんというか、女々しいのである。
いつまでも、女性を想い続け、相手の幸せを思って、身を引き、自分の幸せを考えない姿が、分かりにくいのだろう。


学生時代、努力もろくにせずよい結果が出せたころ、根拠のない自信に満ち溢れていた。
それが高校、大学、就職となると流石にボロが出始め、最後の大学と就職がトリガーとなり、その空虚な自信がガラガラと音をたてて崩れていった。

そのころからだろうか。
女性相手に自信を持って立ち振る舞えなかった。
「本当は相手にとっては嫌なんじゃないか」
「俺以外にこんなに顔のかっこいい男が大勢いる」
すぐマイナスなことを勘繰っては、一歩引いてしまってばかりだった。
そんな自分の姿を、かつてはことあるごとに
浜省の歌詞にでてくる男に当てはめたものだった。
彼の曲は余計に染みた。

この現状を変えたいと思っていた私だったが、
自分を変える切っ掛けとなる出来事が、思いもよらず突然やってきた。
それがこの、神戸の夜である。

またもや冒頭から長くなってしまったが、
以下、本編である。

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彼女とは時間きっかりに約束の場所で落ち合った。

ここにくるまで両手で数えきれない煙草を灰にし、
煙と共に日頃の愁いのありったけを吐き出してきた私たちは
多量に摂取したニコチンの影響からかあまりお腹が減っておらず、
そのままスナックを探すことにした。

私は、事前に「全国スナックナビ」で調べた細すぎる情報筋を辿り、目ぼしい店を回っては門を叩いた。
当たり前だが、なかなか思いどおりにはいかなった。

スナックは一軒一軒、料金形態が異なれば
臨時休業もありえたし、常連ばかりで埋まっている日は、部が悪いことこの上ない。

そんな頼りなげな私のあとを、彼女は黙って着いてきてくれた。

そして何軒か回ったタイミングで、
地下にある一軒のスナックを見つけた。
看板こそ新しいが、オーナーらしき名を冠した店名、横には予約制の寿司屋。
勇気を出して門を叩くと、白髪の極上ママが顔を出した。

やれやれ。
またこの町の""答え""を引き当ててしまったようだ。
つくづく自分の豪運が嫌になる。

彼女にOKサインを出し、店の中に入る。

しっかりDAM。
音響も申し分なし。
更には俺好みのママ。


店内には我々以外に一切の客がいなかった。
私はハイボール、彼女は水割りをそれぞれ頼むと、
ママへ、我々の関係性や、旅人であることを包み隠さず話した。
話好きだが、語りすぎず、程よい塩梅を心得ているママだったため、私のハイボールの減りも早かった。

ママへの自己紹介もそこそこに、
彼女へ勧められるまま、私は名刺代わりに数曲を歌った。

初手に入れた増位山太志郎は
ママを少々驚かせてしまったが、
私が「夜の曲」しか歌えないことを理解させるには十分だった。
それに、この曲は先日、彼女に誉めてもらった曲でもあったからなおのこと入れたかった。

歌の合間には、序盤ということもあり、
わざと曲を入れる間隔を空け、ママとの会話を楽しんだ。
ママはこの神戸でこの商売をはじめ40年ほどと言い、この店は数年前にオープンさせたと話した。
諸々の理由は突き詰めるところ、全てコロナ。
コロナで店を移転することとなったし、コロナを機に、肉親に先立たれた過去もあったし、
コロナ以降、主要な都市はほぼ訪れたほどに好きな旅行もしていないと、寂しげに話した。

それを聞いた私は、歌で全国を旅させてあげよう、と思い立ち、
デンモクに「港町ブルース/森進一」を入れた。

 背伸びしてみる海峡を 今日も汽笛が遠ざかる
 あなたにあげた夜を返して 
 港、港 函館 通り雨 
 流す涙で割る酒は 騙した男の味がする
 あなたの影を引き摺りながら
 港、宮古 釜石 気仙沼
 (港町ブルース/森進一)

私も、私の母もお気に入りの一曲である。
一般公募を集めてつくられたというこの歌詞には、
私の故郷、静岡の港町も幾つか散りばめられており、例えば「焼津」の地名が出てきた。
ママは、コロナ前に友人と旅行した焼津のホテルで、眼前に広がる富士山に感動し、なんなら同じホテルにまた泊まりにいったという思い出を語ってくれた。

そんなことを聞くと、私まで嬉しくなる。

この店でも、我々は煙草を嗜んではお酒を次々と飲みほしていった。
お酒にさほど強くない私は早々に顔を赤くしていたが、
彼女はわたしより幾分かお酒に強いようで平気であったし、徐々に感情表現が豊かになっていった。
その横顔を、私は黙って眺めていた。

数曲を歌い、場が少々あたたまるのを確認した私は
「せっかく神戸にきましたので…」とわざとらしい前置きを並べ、
「そして、神戸」をデンモクに入れた。

 神戸 泣いてどうなるのか
 捨てられた我が身が 惨めになるだけ
 (そして、神戸/内山田洋とクール・ファイブ)

この曲の持つ意味は前編で散々語ったので割愛しておく。
彼女から掛けてもらった「上手」という言葉は、
普段私がスナックやカラオケ喫茶で掛けられる70代からの同じ言葉とは思えないほどに、私の気分を高揚させた。


 
序盤の数曲を終えてからは、
次は彼女のリクエストに応じ、幾つかの
「内山田洋とクール・ファイブ」の曲目を歌った。
彼女は、私も好きな「思い切り橋」や「あきらめワルツ」など、マイナーな曲もリクエストしてくれた。
彼女に誉められるほどに、私の喉も仕上がりをみせていった。

赤面しているのか、酔いすぎているのか、
よくわからない睡眠障害さん(28)

酔いも深まるころ、常連とおぼしき3人組が入店してきた。
70代のご夫婦と、その近所の飲み仲間40代の男性客だった。
我等は、20歳そこそこの我々をみると驚いたが、
私がクール・ファイブの曲を入れると更に驚いた。
『年齢を詐称しているだろ』と、飽きるほど掛けられてきたこの言葉もはじめての地、三ノ宮のスナックでは存外、気分がよかった。

40代の男性はわたしに「世界が終わるまでは/WANDS」を一緒に歌えといってきた。
私はそれに対応したり、
もう少し新しい年代を歌いますと言って
「何もいえなくて・・・夏」を入れたりした。
私が欲望の赴くままに歌う中、

彼女は自分で歌おうとはせず、ただひたすら私の歌う曲を聴いてくれた。

観客が増えた私は、郷ひろみや細川たかしの物真似を多少披露して、
最後のあたりではもう一度、名刺代わりの前川清の曲の数々を歌って締めた。

クドいかもしれないが、私はスナックの持つ、
はじめましての方々を繋ぎ合わせる力が大好きだ。
なぜか感極まっていた我々は、ママ含め、店内の客たちと握手をしてから店をあとにした。
ママにはお代を大分まけてもらい、そのお礼に11月にまた来ると伝え、
歌謡巡業用の名刺を渡して店をあとにした。

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店を出た頃合いは、24時の手前。

神戸の町の淫靡な光が俺を迷わせる


私はそれなりに酔いが回っていたが、
状況を冷静に判断するだけの頭は持ち合わせていた。
「もう遅いけど、どうしようか」
少しでも帰りたそうな雰囲気があったら、解散しようと思っていた。
『私はまだ飲めますよ』
昼間初めて出会ってから既に半日が経過していた我々の間柄は、ただの初対面の関係性を越えていた。
そう言ってもらえた私はほっと胸を撫で下ろし、生田神社の裏手にある目的地へと向かうことを彼女に告げた。

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私は彼女を連れ、事前に下調べしていた
地下にあるアメリカン・バーを訪れた。

エロすぎるバー。(エロはありません)

店内には我々を除き女性の二人組はじめ、
何組かの客がいたが、気づいた頃にはほぼ貸し切りの状態になっていた。

スナックでは腰を据えて話せなかったが、
このアメリカン・バーでは彼女を独占できた。
私は、彼女がジンベースのカクテルが好きだと言うので、同じジンリッキーをいや、ジンフィズだったろうか、を頼んだ。

先にも述べたように、
お酒の入った彼女は感情表現が豊かで
照明を落としたバーの空間も相まって、一層、魅力的に映った。
この瞬間をいつまでも楽しんでいたい…そんなことさえも願った。

幾つかの煙草を吸い、もう一杯のカクテル「チェット・ベイカー」を頼んだあと、事件は起こった。

感極まっていた私のせいなのだが、
私は、彼女に対し、
今日私に時間を割いてわざわざ神戸へきてくれたこと、
一日を過ごせてとても楽しかったこと、
また、Twitterでも仲良くしてくれていることへの御礼とこのところの彼女自身を心配している旨を力説した。

彼女は決して曲解した訳ではないのだが、
『こんなに想ってくれているなんて』と泣き出してしまった。

私はひどく驚いた。
自分の言葉で女性を泣かせるなど、はじめての経験だったからである。

不器用な私は、時折彼女を肯定してはただ見守ることしかできなかった。
それでも状況はすぐに改善するわけでもない。
一歩間違えれば逮捕も覚悟しながら、勇気を出し、彼女の背中をさする。

わたしが背中をさすると、彼女は『隣にいて欲しい』と、消え入りそうな声で私に伝えてきた。

結局私は、
バーのボーイに『そろそろチェックの時間です』と嫌そうに吐き捨てられるまで、彼女の傍に居続けた。
テーブルの上には、煙草の原型をとどめたまま灰になった煙草に、飲みかけのグラスと、貰いたてで手付かずのお冷やが残されていた。

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足取りもおぼつかない彼女を店の外まで連れ出す。
身体を支えようとする私に、
彼女は『一人で歩ける』と言った。

我々は宿泊先のホテルと反対方向に歩いた。
目的地もないのに。

ふとスマホの時計をみると、午前3:00を指していた。
この時間から店に入ることは難しい。
さて、どうしようかと思っていた矢先、公園があった。

私はベンチを探したが
それらしきものがなかったので、
段々になっている壇上の一角に彼女を座らせ、私は隣に座った。
公園には黒猫がそこかしこを歩き回りながら毛繕いをしており、
我々をいぶかしげに見つめるように周りを歩いている。

私は、彼女をこうしてしまった責任を取らなくてはならないと思った。
そのために何をするべきか、私はわからなかったし、薄ぼんやり、その答えがわかっていたかもしれなかったが、
自分一人ではその答えを導き出せずにいた。

その心の中を表すように、
私はひたすらに、彼女に身体を寄せ、揺れ合うことで時間の経過を待っていた。
玉置浩二が表現するような歌中の人物には到底似つかわしくないのに。

 もっと何度も抱き合ったり
 ずっと今夜も揺れ合ったり
 哀しそうな言葉に 酔って泣いているより
 ワインをあければ…
 (ワインレッドの心/安全地帯)


その時だった。
私は、この旅の最も根元的な部分を思い出した。
それは言うまでもなく、表題の「そして、神戸」である。

「そして一つが終わり そして一つがうまれ」。

今まで
逃げることしかできなかった自分を「終わら」せ、
新しい自分に「うまれ」変わらなければならない。

52年前の曲、その歌詞に気づかされたのである。
あとは行動に移すだけだった。

月に濡れたふたりは、互いを見つめあっていた。
懐かしい昨日より 夢見る明日より
確かな今だけがほしかった…………………。

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あの夜の記憶はここまでとなるが、
私はあの日を境に決定的に変わったかと言われればそんなことは決してない。

ただ、あの日あの瞬間を後悔しないための選択をできたことが自信になっている。

彼女とは次、いつ会えるだろうか。
また会うことができたら、この「そして、神戸」の続きを書いてみたい。

そして、神戸② 完






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