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さらば岐阜高島屋~7月東海地方巡業・岐阜編2~
Yさんとの別れが惜しい。
これも一晩だけの関係(あの、ただデュエットしたですけど…)と自分に言い聞かせる。
コンビニで軽食を買った私は宿舎に戻っていた。
今すぐにでも寝てしまいたいが、
レンジであたためたパスタをズルズルと啜りながら、本日の大須DIYメンバーへお礼DMを送る。
………やれやれ。
やっていることは月金の営業職と変わりない。
この睡眠時間を以てして完走できた理由は、
大須で出たとんでもないアドレナリンと、柳ヶ瀬の夜の素敵な出逢いに他ならない。
さて、あすもイベントが目白押しだ。
まずは、岐阜高島屋のわくわく広場でおこなわれる美川憲一トークイベントに参加し、
そのあとは岐阜の秘湯を巡る予定となっている。(秘湯がJR駅舎の目の前にあってたまるか)
DMを送り終えた私は、気づくと浅い眠りについていた。
AM5時くらいだったろうか。
期待を裏切らない睡眠障害ゆえの早朝起床をキメた。
色男とのLINEをしながら、柳ヶ瀬の街が準備万端になるのを待った。
アポイントメントの前なので、胃には水分系しか入れないストイックぶりを発揮しながら(アスリート?)、シャワーを浴びて念入りに身体を洗った。
このうだるような暑さ、どうせ汗だくになるのも分かっていながら。
10時少し前にホテルをチェックアウトする。
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まずは最初のイベントを消化しに柳ヶ瀬商店街へと足取りを進める。
到着したのは10時を少し回ったところ。
イベント開演2時間前にも関わらず、異様な光景が広がっていた。
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おいおい。これはちと、予想外だ。
柳ヶ瀬復興組合のグダグダな待機列整理を受けながら、しぶしぶ列に並ぶ。
並びは、私以外ほぼ50~70代の爺さん婆さんたちで構成されていた。
先頭の婆さんたちは、ご丁寧に座り用の椅子を持参して朝から並んでいるそうだった。
私は、とにかく爺さん婆さんたちが熱中症で倒れないかが心配でならなかった。
1時間ほど並んでると列も進み、
ほどなくして、アーケードへワンボックスカーが乗り入れてくる。
芸能界のまあまあな大御所が乗っているとはまさか思えない車から、美川がでてきた。
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美川は大衆に手を振って答えると、高島屋の控え室に向かっていった。
昨日の酒場では『美川憲一はそんなに岐阜の人に好かれとらんよ』
と散々な言われようだったが、ここに集った大衆はそうでもないようだった。
途中まで並んでから知ったが、
結局並んでも並ばなくてもそんなに変わらなかった。
呆れた私は、喫茶店へ入り汗で湿った衣類を乾かした。
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喫茶店ではスマホをぽちぽちいじったり、
""来店1時間前TEL""などのルーティーンを済ませた。
もうそろそろかな、、私は高島屋へ戻った。
地元のテレビ局もきて現場がごったがえす中、
音響担当者のやりすぎくらいに長いマイクチェックを経て、美川憲一が出てきた。
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美川は、柳ヶ瀬ブルースのお陰で今の私がある、など、今まで耳にタコができるほど聞いたら話をしたり、現在の柳ヶ瀬のようすや、岐阜高島屋47年の歴史などを語った。
お前が売れたのは釧路出身の宇佐英雄先生の作曲のおかげであることを忘れるな!とヤジを飛ばしたくなったが、私もいい歳の大人である。我慢した。
美川は、オカマ路線に開き直ったあとの名曲「さそり座の女」を披露したり例の「柳ヶ瀬ブルース」を歌ったりした。
まあ、文句も垂れたがなんだかんだ生きている美川の歌を聴くことができてよかったと思える。
美川は、あす名古屋清洲市内のスーパーでミニコンサートをするようだ。
あれだけのヒット・セールスを記録した美川も、こんな地方の営業にいかなくてはいけないなんて、大変だな。
でも仕事を選ばずにやれる精神は素晴らしいと心の中で称賛を送っておいた。
と、うかうかしていたらアポイントメントの時間が近づいていたので、
岐阜高島屋で職場の土産用の御座候を雑に買い、岐阜駅前へと急いだ。
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さて、お次は岐阜最終イベント。
ズバリ言うところの「金津園」である。
あまりご存知ない方々に説明すると、
金津園は中部地方最大の泡店舗街であり、赤線跡に名残をもつ。
かつては私が昨晩飲み歩いた西柳ヶ瀬付近にそれはあったらしいが、
戦後の軍需工場解体などに伴い、今の場所へと移転したという歴史を持つ。
あとから移転してきたからであろうか、
この時、場所については業者ごとくじ引きで公平に分けられたそうだ。
それゆえ、ここの泡街はどこの店舗もほぼ同じ敷地面積と感じで碁盤のように綺麗な区画となっている。
また、店舗1Fがぶち抜かれ駐車場になっているのもここ金津園の特徴であろう。
そんな歴史解説をするナニモンジジイだが、
本日は"""アポイントメント"""を入れさせていただいている。
だから煙草も珈琲岳でなく、朝食も控えている。
さながら健康診断ばりの気合いの入れ方にも関わらず、午後イチの予定はとても母親には言えないようなカスの用事だった。
店舗に到着すると、
まずは茶髪の大学生のようなボーイがおり、
居酒屋バイトはじめて1週間くらいの辿々しい案内で私を出迎えてくる。
あまりの辿々しさに、私の後ろには2人くらい待機ができてしまっていた。
案内された待合室は、よくある光景。
週刊誌がおかれ、おしぼりと爪切りが用意されている。
私は、念入りに爪をチェックしヤスリで磨いた。
あとでボーイにチェックされたとき、不合格だと厄介だからだ。
待合室は私より千客が1名いたのと、他2名の計4名。
この日は、金津園だからであろうか、おっさんばかりだった。
一刻もはやく泡のお店で遊ぶのを辞めなくてはならない。
10分ほど待機したあと、番号札で呼ばれる。
この時間はさながら養豚場で出荷の選別をされる時のような感覚で、私にとって一番我にかえり、辛さを覚える瞬間である。
階段を上がると嬢が待っており、手を引いて案内してくれた。
『やっほ~!よろしくね~』
本日お世話になる○○さん。
この日はフリーで入るつもりだったが、前日に「来てね!」をくれたので、紳士たるものお気持ちに応えなくてはと思った次第である(キンメェ~涙)。
失礼を承知で申し上げると写メ日記でみる感じとは少し違い、ふっくらとした体型であった。
もちろんこんな失礼なことを直接言うわけはないが
『びっくりしなかった?私ここの女の子たちから「加工やりすぎ」って言われるんだよねー』と自ら申し出た。
バスタブがお湯と期待でいっぱいになるまで、我々は適当な会話をして過ごした。
潜入調査で根掘り葉掘り聴くうちに、下手をこくと警戒心をあげてしまうので、
よく私が抜かす大嘘の状況設定と、旅人らしい無知さを盾にヒアリングを進めていった。
彼女はどうやら、九州出身で名古屋に住んでは長いらしい。
プロフィール上の年齢から最低でも+5かなと思ったため、妥当である。
名古屋から岐阜は駅だけでいえば、20分ほどしか離れてないしよく通っている子もいるそうだ。
この店の在籍は70名近くいるが、市内出身はほぼおらず、彼女含めて数名が名古屋から通い、
残りの人間が大阪や東京などから、1週間など期間を決め寮に入って出稼ぎにくることなどを教えてくれた。
なるほど、だからあんな連勤できるんだ~
私はコナンくんばりの白々しさで怪しまれそうになった場面を切り抜けた。
そうこうしているうちに風呂がいっぱいになった。
うまれたままの姿になった二人は、
間仕切りのないバスルームで身体を洗いあう。
私もオタク汁を洗い流すが、本質的なオタクのそれを洗い流すことはできなかった。
一緒に風呂に入るサービスなどはなく、各々が歯磨きをして準備を進めた。
それを思うと、すすきのの倶楽部はサービス精神旺盛だったな。
今思えば『磨く?』というフリがあったので磨かないという選択肢があったのかもしれない。
風呂を出たあとは、セルフで身体を拭き(もしかして嬢に嫌われている?)、いよいよベッドへ。
ベッドでは、簡単にどんなプレイがいいのかなど話をしたあと、互いに持ち場についた。
いつも自分が希望するように、
序盤は私が受け身という形で攻めていただく。
ここで所謂、全身リ○プというものをしていただけるのだが、これがまた凄いのだ。
所謂、フェザータッチという抑揚をつけたボディタッチをしていただきながら、
時折、歯触りを混ぜたようなkissを全身にしていただける。
キモすぎる話で大変恐れ多いのだが、
私はびくんびくんと身体を波打たせ、感じに感じてしまった。
ファッション界隈でいうところの『感度が高い』というやつだ。
あれほど適当でそれらしく、選民思想なワードも他とない。
密着サービスを受けた私の私は気づくとはちきれないばかりに怒張していた。
流れるようなことの運びで、
咥えていただくなどしたが『めちゃ固…』とボソッとこぼした彼女の言葉が更に私の気分をあげてくれた。
生○○~ラを堪能させていただいたあとは『そろそろ…』と彼女から申し出があり、攻守交代となる
つまりは、一丁失礼する形となる。
(婉曲的表現をお控えください)
ほな…と失礼させていただくが、こちらは所謂、マル秘というやつです(反省します)
マル秘サービスは久方ぶりというのもあったし、
そもそも1週間手淫を禁じていたこともあったし(修験者?)、
恐ろしいくらいに気持ちよすぎて直ぐに果ててしまいそうであった。
あぶない、あぶない。
一旦呼吸を整え、違う体位を試みたり、
また攻守交代したりするなどして、彼女が苦手でない方法でムードを盛り上げる方に神経を遣った。
そして最終的に、元の正常な体勢に戻ると、
kissをねだりつつ、上下運動を加速させた。
快楽に加え、気持ちも高ぶり、ほどなくして絶頂を迎えた。
──────6日ぶりの射○。
びくんびくん、と脈打ちの長い、
いつもに増して余韻の長い射○だった。
プレイには全然関係ないが、私は高校2年生からほぼ毎日欠かさず亜鉛を飲んでいるが、あまりに長く続けているため、それが射○量にどれだけ関与しているかイマイチ理解していない。
『めっちゃ出たね…』
気だるそうな感じで嬢に言われるのもちょっと興奮した。
その後我々は、シャワーを浴びるまで、
ベッドで横たわり、互いの愛犬のことを話したり、
女子のネイル事情について無駄に話を膨らめたり、
彼女はあすから休みを取ってディズニーへいくこと、
彼女の姉もまた、夜職でメンエス嬢であることなどを話した。
いま思えば、かなり際どい話もしていただろうが、
私が快楽目的ではなく潜入レポ目的であることを見破れていなかったのだろう。
そんなこんなで、あっという間に時間がきてしまった。
我々は業務的にシャワーを浴び、服を着た。
ベッドで彼女に耳を触られ『へんな形~』と言われた時の火照りを誤魔化すように、
結露で汗をかいていたお茶のカンカンをぴたりと当て、冷やした。
私は業務的な流れで「また金津園にきたときは指名させていただきます」
と伝えたあと「有難うございました」と御礼を伝え、店を出た。
足取りは多少、軽快だった。
そこから私は、岐阜らしい飯も大して食わず、
金津園に残る遺構の数々を写真におさめては、みかねた警察に注意されたりなどして過ごした。
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名古屋はまだしも、岐阜での私は本当にジジイみたいなことしかしておらず、
あとから振り返って少し怖くなった。
しかし、もうあとには戻れない。
いまさら人生のやり直しもきかない。
私に出来ることといえば、
自分で決めた人生に文句を言わず、最後に自分の人生にどう納得できるか、
そのために人生上の命題に対して日々向き合っていくことくらいだ。
岐阜の泡姫との対話を通し、改めてそんなことに気づかせてくれた彼女には御礼の気持ちを込め、
割引にもならない口コミを寄稿しておいた。
もちろん「有難うございました」を忘れずに。
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さて、その後の私はというと、
岐阜でこの時間からやることも特段なく、
だからといって名古屋にいっても使える金がないので、
喫茶店を目指そうとしたが、
私が愛してやまない個人経営の喫茶店の数々は本日日曜が定休日だった。
こういうときいつも思うが、
喫茶や夜の街を楽しむなら、金曜に有給をとり、
喫茶をはしごして、金曜の夜暴れるのが一番都合がよい。
今度はそんな旅もいいな、と思いながらも、
目前には次なる「胸騒ぎの旅シリーズ」が迫っていた。
青春18きっぷと安宿頼りの貧乏旅がまた始まるので、どうか読んでいただけると嬉しい。
今回も結局5,000字オーバーと大学時代より真面目にもの書きをしている自分に呆れたが、
これも仕事のうちと理解していただけたらと思う。
最後までお読みいただき、有難うございました。
※ヘッダーの画像と内容は一切の関係がございません。