見出し画像

新潟は面影の町①~マンハッタン上陸編~

旅狂いと言われてもぐうの音も出ない程に、
このところの私はあちこちへと足を伸ばしている。

先週は神戸、そして今週は新潟だ。

理由は勿論、会いたい人に会いに行く、というのが先行して出てくるのだが、
第二に「沸き上がる好奇心」を抑えるのが困難なのである。
その好奇心の対象というのが「人とその暮らし」だ。

大学で関西に進学した私は、
そこではじめて、関西という異文化に触れた。
さらには、全国津々浦々から集まってきた学友たち(ここでは大学で何も学んでいない、愛すべき友人たちを指す)と出会い、
彼等の育ってきた多様な文化背景を見聞きし、擬似体験してきた。

そのころからだろうか。
「日本には自分が知らない豊かな文化圏がこれほどにもたくさんある。これは海外に目を向けている場合ではない。」
と思うようになった。

小さい頃、
親がみていて何が面白いのかさっぱりだった
「NHKちいさな旅」が大人になって妙におもしろく感じられるようになったのも、
この「人とその暮らし」に興味を抱くようになったからであろう。
今回の旅も例に漏れず、そんな自分の好奇心の赴くままを決行したものだ。


さて少々、前置きが長くなってしまったのでそろそろタイトルを回収するが、

 新潟は 新潟は 面影の町
  (新潟ブルース/美川憲一) 

これは美川憲一が1967年にリリースした
ご当地ソングシリーズのうち一つである「新潟ブルース」の歌詞のワンフレーズだ。

以前から私は、新潟に強く興味を抱いていた。

①新潟はかつて日本五大港の一つと言われたのになぜ発展しなかったのか
②今、日本一といわれる古着屋はじめ、新進気鋭の古着屋が新潟に数多くあるのは何故か。 

①、②に加えての3つ目。
それが『新潟ブルースで歌われるところの「新潟は面影の町」の""面影""を探る』だ。

これらが今回の旅の中心となるテーマである。
今回の旅は新潟に精通している、
とあるフォロワーの力をお借りできたため、
かなり確度の高いところまで踏み込むことができている。
町歩き好き、古着好きの方々にはぜひ最後までお読みいただきたい。

--------------------------------------------------

10月5日土曜日、朝7時半。

新幹線のホームで
谷村新司の顔つきをしながら列車を待つ、
一人の異常者の姿がそこにはあった。

新幹線のホーム。
旅の鼓動を感じ、歌わずにはいられない。

 大人に変わったら 日本海に逢いたくなる
 あなたのあの言葉が 今も響いている
 大人に変わったら 日本海に抱かれたくなる
 青鈍(あおにび)の海の詩 聴こえる あの町へ行きたい
 (北陸ロマン/谷村新司)


私と年頃の近い女性の知人はみな、
旅行するといったら東南アジアやハワイ、西欧諸国等々に憧れを抱くようだ。
無論、それを頭ごなしに否定するわけではないが、
谷村新司が歌ったように、日本海側の良さに気づくことができるのは、
その先にある「大人に変わったら」の領域(ステージ)なのかもしれない…

なんて達観ぶっていたら
無意識のうちに北陸ロマンを口ずさんでいたらしく、
鉄道警察に声を掛けられ、そのまま取り調べを受けたことで出発が1時間ほど遅れてしまった。
幸先が悪い。

やっとのことで次の列車を捕まえると、
フィジカルでごり押し、自由席の3列シートのセンターを奪取。
ここぞとばかりに履いてきたヒョウ柄のパンツを見せんばかりに大袈裟に足を組んだところ、
私の両隣には誰も座ってこなかった。

よしよし。東京駅までの快適な旅が約束された。

このあと中継地の東京駅で上越新幹線に乗り換えることになるのだが、
それまでの1時間半は新潟への下調べに費やすことができた。

新潟は祖父の生まれ故郷であり、
つまりは睡眠障害家のルーツにあたるのだが、
墓参りかスキーでしか訪れたことがなく、解像度がかなり低かった。
それを今回掲げたテーマに焦点を当て、解き明かしていく。

新潟県民の特徴といえば、
雪国の人間らしい「忍耐強さ」が最たる例として挙げられる。
寡黙で勤勉な性格は、戦後まもなくの東京への集団就職でたかく評価された。
たとえば、YouTubeで一代にして財をなした開發氏(ヒカキンさん)も新潟出身の一例である。
彼の粘り強さ、いい意味で変わらないスタイルは老若男女の心を掴んで離さない。
(動画の内容自体は恐ろしいほどつまらないが)

また、名曲「あぁ、上野駅」も新潟に関連する。

 どこかに故郷の香りをのせて
 入る列車の懐かしさ
 上野はおいらの 心の駅だ
 くじけちゃならない人生が
 あの日ここからはじまった 
 (井沢八郎/ああ、上野駅)

1982年に上越新幹線が開業するまで、通常列車しかなかった上越線は8時間かけて新潟と上野を繋いだ。
新潟の農家の長男は家を継ぐが、新潟では仕事を見つけることのできない次男、三男、四男たちは、東京に活路を求める。
(新潟は米どころのため、子どもがたくさん産まれても育てるに十分な食べ物に恵まれていたと予想される)

この文化背景もあり、
ルーツを新潟に持つ東京人はかなり多い。
これは有名な話だが、東京の銭湯経営者のうち、かなりの多くを「新潟県人」が占めている。(継いで石川県と北陸がキーワードだ)
長くなるので細かい理由は割愛するが、
様々な要因が重なり「地縁・血縁重視の時代は特定の業種が特定の地域の出身者で占められる」ことは本件を除いても複数みられる。

さて、いい加減話を戻すが、
そんな新潟県民の特徴と町の発展の歴史を解き明かすことは楽しみで仕方なく、
下調べをしていたら、あっという間に新潟駅へ着いてしまった。

約3時間半の移動時間が一瞬に感じられた。

--------------------------------------------------
初めて下車する新潟駅は、私の期待を遥か下回ってきた。

開幕からなんて酷い物言いを…
と思っていただくのは結構だが、下記事実をご覧いただくと納得いただけるかと思う。

まず、新潟駅の外面だが、この始末である。

ねえ。やる気あんの?

どうやら、今年の春からリニューアル構想を掲げているらしい。
こんなに繁華街と離れており、オフィス街としての役割しかもたない新潟駅周辺を綺麗にして何になるか。

私の気分を著しく害したのはこれだけでない、
いわゆる「ヲタク女子」である。

(おたくのことを、ヲタクと表記する顔の良い男・女たちは余すことなくフェイカー(faker)だ)

彼女たちは、綺麗に身なりを整え、推しのアクリルスタンドを持ち、ところ構わず写真を撮り、新潟の街の観光地やお洒落スポットを蹂躙していた。
あとから調べてみたら、この日はどうやら「なにわ男子」のライブがあったようで、
彼女らは十中八九、そのヲタクということだ。

ガキが。舐めるな。
このfaker達に、本物の「なにわ男子」(西成あいりん地区の路上生活者たち)の画像を送りつけてやりたい。

なにわ男子しか勝たんだろ。流石に。


と、あまりの憤りに
犯罪者スレスレの思考をしてしまった私だったが、自分の腹が鳴ったタイミングで我に返ることができた。

とりあえず、繁華街に移動しようか。
最悪なファーストインプレッションとなった新潟駅を後にする。

新潟駅の近くは万代と呼ばれるエリアで、
オフィス街をイメージしていただくのが望ましい。
しかしながら、驚くべきは大通り沿いの発達具合であり、
かなり都会っぽい見た目で、
大袈裟に言えば、大阪・御堂筋くらいの瞬間火力。
正直、大通りから一本入ると怪しくなってくるのだが、
間違いなく人口同規模の市である浜松市(79万人)と比較しても圧倒的に近代的なエリアだった。

新潟日報ビル。
緩やかに湾曲した壁面は、
北前船の帆をイメージしているとかしていないとか。


やさて、その万代のエリアを突き進んでいくと、
新潟を語るうえで避けて通れない「万代橋」とご対面である。
橋自体が国の重要文化財に指定されるほど重要な建築物であると同時に、
新潟駅周辺(万代)と繁華街(古町)を繋ぎ、新潟の発展に貢献した、
謂わば新潟のランドマーク的な存在だ。

わかりやすい写真にしておく。
万代橋を渡った先に「マンハッタン」がみえるだろう。



決して大きく映えはしないのだが、
どっしりとした佇まいに惚れ込みながら橋を渡っていく。
かつては、この橋のセンターに路面電車を通す計画があったそうなのだが、新潟交通という民間会社がそれを潰した。
「路面電車あるところに、街と暮らしあり」。
私の好きな言葉だ。
新潟交通が、あの日あの時、違う決断をしていたら仙台を越える都市になっていたのかもしれない。

戦犯企業のことを考えていたらイライラしてきたので(新潟に到着してから憤ってしかいない)、歩みを進め、万代橋を渡りきる。

万代橋を渡りきったら、
そこはさながら、""マンハッタン島""である。
新潟駅からみて、川の""中洲""のような場所。
大阪でいうところの、""中之島""のような場所。
周囲と海や川で隔てられた場所の特異性は、いつだって男はワクワクする。

橋の付け根の部分には、
今回の旅のポイントとなる歌碑があった。

オタクのシルエットが歌碑に映り込んでおり、
実に滑稽である。


お馴染み「新潟ブルース歌碑」だ。(たいしてお馴染みではない)
全国の歌碑巡りが趣味の私にとって、新潟にきたらこれは外せなかった。

念願の歌碑でたちまちオタクスマイルに溢れた私を次に出迎えてくれたのは、繁華街・古町。
古町の名前は一番堀へ沿っていたことに由来する。
ここに、新潟古着から風俗含む夜の町まで、全てが揃っている。

「ついに、ここまできた。」

私は、古町商店街の海鮮市場で頼んだ
真イカの漬け丼を詰め込むように食らいながら呟いた。
そうして私は、
わざわざソープランドがひしめく裏通りを通って、
古着屋が乱立する服飾エリア、古町4番町へと向かった。

お風呂屋さん激戦区である。
(狭い一角に現在9店舗が稼働中)

途中、幾つもの誘惑が襲いかかってきたが、
古着のためにひた歩く私を止めるに、それは実に非力だった。
私には、使命がある。
古着を理解(わか)り、それを伝導するという。
神の導きの元、眼前に道は示されていた。

悟りの境地へと至った私は、4番町に到着していた。

この町の服飾が、早く気になって仕方なかった。
なぜこの町がMBなんてバケモンを産んでしまったのか、納得させてくれる理由が欲しかった…。

---------------------------------------------------

次章に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?