見出し画像

柳ヶ瀬の夜に泣いている~7月東海地方巡業・岐阜場所後編1~

雨の降る夜は、心も濡れる…
まして一人じゃ、尚寂し…
 
岐阜行きの列車に乗った私は、北へ進むにつれ田園地帯へと変わり行く景色をぼんやり眺めては、そう口ずさむ。ちなみに雨は微塵も降っていない。

私が愛して病まない名曲「柳ヶ瀬ブルース」の歌い出しである。
1966年、当時、青春歌謡路線だった美川憲一の演歌・ムード歌謡への路線変更曲でもあり、彼を一躍スターへと押し上げた出世作でもある。

当時、曲を提供された彼は「こんな湿っぽい曲歌いたくない」という思いから、
あえてレコーディングでぶっきらぼうに歌ったそうだ。

しかし、その歌い方が予想に反しプロデューサーに気に入られ、大々的にプロデュースされることに。
日本クラウンは地元・柳ヶ瀬とタイアップし、街ぐるみでこの曲を囲い込み、遠方から訪れた記者たちにもその印象を植え付けた結果、柳ヶ瀬のご当地ソングとして定着したそうだ。

水質よく流量も豊富な河川由来の紡績業が盛んだったこの地は、繊維商が発達。名古屋の長者町繊維街とも密接な関係があったのであろう。
そんな繊維で栄えたこの街は、1950~1960年代に掛けては、西日本随一とも言われるほどに栄えたようで全盛期は「歩けば肩と肩がぶつかる」ほどだったらしい。
今や、土日もガラガラ、挙げ句の果てに今月末を以てあの高島屋が撤退してしまう惨事である。



今回は、かつての柳ヶ瀬に思いを馳せつつ、
高島屋閉店にこじつけて営業する美川憲一をしばきに岐阜へ行く。

見慣れた駅舎と北口からの景色。
陽も落ち、オレンジ色に染まる岐阜駅周辺の町並み。
信長像はいつにも増して黄金の輝きを放っており、私の陰部は膨れ上がっていた。

大学時代の岐阜出身のサークルの先輩を思い出す。可憐な人だった。去年結婚したそうだ。幸せに暮らしているだろう。

岐阜駅から宿までは少々距離がある。
きほんこの街は柳ヶ瀬モクなところがあるため、飲み屋街の近くに宿を取るのが定説である。

駅のロータリーでタクシーを捕まえ「金津園へ…間違えました、金園町へ。」と告げた。

本日の宿は素泊まり5,000円ほどの安宿だ。
小汚なさがちょうどよく、私好みの部屋だった。

勝手にツインにするなよ。

名古屋で炎天下の中、派手に暴れた私は、
前日あまり眠れていないこともあり、疲労困憊であった。
そんな私を追撃するように、関係各位からTwitter、LINE、インスタでDMの嵐。(有難い話でありますが)
それらを捌きながら、ベッドに横たわり、体力回復につとめた。

名古屋で会心の買い物を終えた私は、身体が火照っており、
うまく休息を取ることができなかったが、
1時間少し横たわることができたので幾分かマシになった。
きちんと水分補給をし、フロントにキーを預け、今夜の舞台・西柳ヶ瀬(銀町)へと向かった。

こういうコンセプトバーは頭にくる。
ご無沙汰しております…。
柳ヶ瀬で最もディープなのは大通りを一本隔てたこちら。所謂、西柳ヶ瀬エリアである。非常に治安が悪い。
フィリッピン女性に何をリクエストしようかな。
2012年 岐阜清流国体 あたりに、この街は大規模な浄化作戦がおこなわれたらしい。
知る人ぞ知る、南こうせつが隠居してから開いたとされる岐阜奥地の隠れスナックである。(めちゃくちゃな嘘)

岐阜駅はわかりやすく、
駅周辺の再開発エリアは若者に溢れる。
しかしここ、西柳ヶ瀬は老人たちの社交場とわかる。
今から私がいく飲み食い処も、一癖二癖とある爺さん婆さんや、ホステスらしき女性、また美魔女の方々との出会いが約束されている。

西柳ヶ瀬についた私は、トローチを口にいれ、せっかち故にそれをボリボリと噛み砕きながら、重い店の扉を開けた。

店は大賑わいだった。

ここは1時間1,000円で飲み放題・歌い放題。おまけに3品付きだしが出る。
岐阜らしいサービス精神旺盛なお店で個人的には一軒目としても大満足だ。

席に着くと、常連らしき4人のイケオジ集団が歌い終わらないうちに曲を入れたりする暴れっぷりで、
わたしがデンモクで曲を入れても「14曲後」と表示されてしまうくらい荒らされていた。

まあ、このオジ集団は歌うま、ばかりだったので多少許せたが、これが下手くそだったら危うくデンモクに濃い目のハイボールをぶっかけていたところである。

店内の客層を見渡すと、40~50代がコア層。
しからば即ち、80年代~90年代で攻めるのが吉とみた私は、まず「恋人も濡れる街角」を入れた。
前回、""岐阜のママ""が喜んでくれた曲だ。

ハイボール2杯を飲み終わり、酔いも回るころ、私の順番が回ってきた。
入店から約1時間、たばこも2本ほど吸ってしまったくらいのタイミングだ。
鬱憤を張らすように、気持ちよく歌わせてもらう。

スゥ………不思議な恋は…🎶


おんなの姿をして…

これにはイケオジたちもストライクだったようすで『あの若僧は何者だ❓️』と、マスターに訪ねているのを横目でみつつ、作曲:桑田佳祐 で気持ちよくなる。

最後は、オジたちも歌いながらフィニッシュ。
いい掴みとなった。

この日のメンバーはレベルが高く、私も負けじと好きな曲を入れた。
途中、横に座ってきた巨漢のバス運転手とは浜松の話をした。
学生の団体旅行の世話をする、地場のバス会社の人間だそうで、待機中のバス運転手はひたすらバスを磨いているんだよ、と嘘かほんとかわからないことを色々と教えられた。

体型から想像できたが、ものすごい発声量の持ち主で高温のロングトーンが光る歌うまだった。
DEENのmemoriesという曲を教えていただき、有難うございます。
(いいメロディーだなと思ったら作曲:織田哲郎 でした。通りで。)

夜も深まってくると、オジたちをはじめ客の何人かが入れ替わり、立ち替わりでメンバーが変わっていった。

その中で今宵一番の出逢い、Yさん(とそのご友人)が来店される。
ご年齢は私と同世代の人間の母親くらいだろうが、その美貌は人目を引くものがあり、立ち振舞いには品があった。
いつだって私はオトナな女性に弱い。

私は選曲に慎重になりつつも、安全地帯の気分だったので幾つかを歌った。
「真夏のマリア」「青い瞳のエリス」。
こういう場所では少し著名な曲を選びがちである。(流石に盛り上りを気にする)

Yさんは玉置浩二のファンだと自己紹介しながら、
私へ手招きし、横の席に来いと言ってくれた。

恐れ入ります…

Yさんとは楽しくお話をさせていただいた。
彼女は私を気に掛けてくれ、ずっとしゃべり掛けてくれたし、私も彼女のことしか見ていなかった。

彼女は「玉置浩二は喉が楽器だ」だとか言い、つくづく私を喜ばせるのが上手かった。
その後、マスターからの紹介で私が静岡からきたことを知ると驚き、なぜ柳ヶ瀬に流れてきたのかを訪ねてきた。

私は包み隠さず、こういった盛り場を訪ね歩いてはご当地ソングを歌ったり、各地で知り合いを作っていることを話し、
話に区切りを付けたあと、デンモクに「柳ヶ瀬ブルース」を入れた。

「では、失礼します…」
 
雨の降る夜は…🎶
心も濡れる…🎶  そうだー!

合いの手も入る心地よい歌いだし。
(詳しくはTwitterにあげた動画を参照のこと。)

先月の大阪POP UPで受けた洗礼を歌にこめる。

憎い仕打ちと 恨んでみても…🎶
戻っちゃこない あの人は…🎶

その日の柳ヶ瀬は雨が降っていなかったが、
あの空間だけは一同、柳ヶ瀬の夜に泣いていた。(どういうこと?)

そのあと、私は酔いも深まり、
彼女へお願いし「ロンリーチャップリン/鈴木聖美&鈴木雅之」をデュエットした。

彼女は色っぽい歌い方もよければ、
男性ボーカルに引っ張られずに歌えるところも実に私好みであった。

デュエットは一応、スマホで動画(音源として)撮影したが、あまりにセックスすぎたためTwitterにあげたら垢BANを食らいそうで躊躇しているところだ。
(リクエストがあればあげるかも)

そんなこんなで、何だかんだ4、5時間も長居してしまった。
彼女とは終わり際に、岐阜の県民性などについて語り合った。
私の短い28年という人生の中で、偉そうに結論付けるのは軽薄ではあるが、
少なくとも、私が出会ってきた中で、
尾張色の強い名古屋人と比較し、岐阜の人間とはとても気があった。

冒頭付近で触れた、大学時代のサークルの可憐な先輩も岐阜出身だった。
商売下手だが、人当たりがよいところが、静岡県の争いを好まない県民性と合うのかもしれない。

クローズの時間となったため、我々はチェックを済ませ、なぜかYさんとその連れの女性、またその連れの女性のお子さん(30歳女性)と店をでた。

(なんでお前まで一緒の団体ぶるんだよ)

柳ヶ瀬1の交差点の一本北、熟女キャバクラの前で『お兄さん次はこっち?笑』などと冗談を交わし、我々は別れた。

3人と交換した名刺を名刺ケースに入れ、大事そうにかばんの中にしまった。

宿までは1km近く歩く必要があったが、酔いざましにはちょうどよい距離だ。
わたしは、わざと柳ヶ瀬商店街の夜はどんなものかと遠回りして覗いたり、他の店の目星をつけたりした。

道中、あす参加予定のイベントチラシが貼られているのが目にはいった。

プレミアムコンサートはチケットを買えなかった。


柳ヶ瀬ブルースはいい曲だが、
美川憲一の人間性には問題がある。

あすの美川憲一イベントへの期待と、
もう一件の""""アポイントメント""""のことを考える。
しかし、寝床につく私の頭の中はYさんのことでいっぱいであった。


(最終日は後編2へ続く。)

いいなと思ったら応援しよう!