語学学習の成長の方法。
大学の生涯学習で英語を習っていることは以前にも書きましたが、今回のコースが始まりました。
今までよりもちょっと上のクラスに挑戦したぼくは、朝から意気込んで「Rock’n Roll!」なんて勢いよく言う始末です。
それで、教室につくと、前回よりも人数が多いことが一目でわかります。
ただ、内容は省略しますが、授業が終わった後、ちょっと拍子抜けした自分がいました。
「あれ?なんか普通だったぞ」と。
前回の超初心者クラスのときに受けた内容から予測していたのとちょっと違ったんです。
「なんかもっと、こうガツガツした感じじゃないの?」「だってレベルアップしているんだぜ」みたいな。
なので、四時間の授業が終わった後、ぼくは気持ちの落ち着きどころを見失っていました。
けれど、これを妻に話したら、流石の一言です。
妻「それが成長ってことじゃない。」
あぁ、そういうことか。
大学以外でも、ぼくは毎日アプリで自習をしていて、ネイティブスピーカーの話を聞いていました。
聞いて、真似してしゃべって、考えて、答えて。
知らず知らずのうちに、ぼくは成長していたのかもしれません。
ただ、授業は初回だと言うことで、ちょっとスローペースだったのかもしれませんし、様子見だったのでしょう。
これにおごらずに、いつも通りの自習をするようにします。
というのも、楽しいですから。
ぼくにとって英語学習は、It’s my hobby. なんですよね。
挑戦とか、目的とか、ビジネスとか、そんな崇高なことじゃないんです。
楽しいこと、好きなことだから、続くんですよね。
これが、サンポノたる由縁でもあります。
散歩のついでに、仕事をする。
それぐらいがちょうどいいと、本当に思っています。
だって、仕事に貴賎なんてないですから。
ぼくらの仕事の価値はあるでしょうけれど、仕事の価値なんて、全部の仕事にあるんだから、競うものじゃありません。
もしも、自分の仕事に貴い価値があると思っているのなら、同時に賎しい仕事があるのでしょう。
ちなみに、アートもデザインも昔は賎しい仕事と思われていたんですからね。
貴い価値があるのなら、賎しい価値もあるということを忘れてはいけません。
自分の仕事が犯罪じゃなくてよかった、ぐらいに思っておけばいいんです。
これは何かを習うことでも同じです。
習うとか、本を読むとか、運動するとか、どこかで崇高なことのように思われるけれど、そんなことはなくて、好きだからやるんでしょうに。
成長することが崇高なことになりすぎたら、息苦しくてしょうがないです。
もっと、気楽に。
空を眺めて、深呼吸をして、ゆっくり取り組めば、楽しさは出てくるんだ。
あ、そういうことか。
今日の英語のクラスも、そういうことだ。
こういう楽しみ方があるんだな。
空を眺めて、深呼吸をして、ゆっくり取り組む。
散歩と同じだ。
自分自身にも発見がありました。
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