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ぶらり京都【前編】

5月の下旬、思い立って京都に行ってきた。
国立博物館「雪舟展」と、国立近代美術館「富岡鉄斎展」を、どうしても観たかったのだ。

雪舟も、鉄斎も、これまでほとんど実物に接したことがない。
観ないまま死にたくはない。
小林秀雄の新潮文庫「モオツァルト・無常という事」は、もう何度読み返したかわからないけれど、その中に「鉄斎」「雪舟」の小文が含まれていて、ずっと想像の世界で二人の絵を鑑賞し続けてきた。
画集やネットで写しに触れることはできるが、それよりも小林の文章の方が余程、真に迫っていると言い切れる。
そして、実物は、実物。

展覧会を鑑賞し終えた感想を手短に述べれば。
この二人は、喩えていうなら、巨木のような人物だと思った。
一生涯、自らの画業という枝を倦むことなく伸ばし続け、幹を太らせ、葉を茂らせて、ついに天寿を全うした偉人。
遺された作品を目の当たりにして、ほかに表現しようがない。
全体の印象や、一つ一つの作品に思うところはあるが、それらは胸に仕舞っておきたい。

鉄斎は後半生、京都市内に住まいし、画室を「曼陀羅窟(まんだらくつ)」と名づけたそうだ。その心は、
「人はすべて一色ではいかぬ、いろいろなものが混ざって『まだら』になっているのがよい」


美術館を廻る合間にシャッターを切ったので、何枚か。

八坂神社

インバウンドの活況具合は聞きしに勝る物凄さで、四条通や錦市場、先斗町など、場所によっては、外国人観光客の数が、体感的に9割を超えているとさえ思えた。
あらゆる国籍、年齢層の人々で押すな押すなのラッシュアワー状態。カオス。これでも5月の連休が終わって、日本国内的にはオフシーズンだったから、時期によっては本当にとんでもないことになっているのだろう。
もちろん東京も、外国人のビジネスパーソンや観光客はとても多いが、京都はまた違った熱気で溢れていた。
これでは住民の方々は大変だと思いつつ、たまにふらりと訪れる一旅行者の立場からは、街全体が発する高密度のエネルギーがどこか心地よくも感じられて、気分が昂揚した。
普段、ひっそりとした東北の小都市に暮らしているせいで、余計そう感じたのかもしれない。

養源院
島原大門(しまばらおおもん)を見た帰り道
南禅寺 金地院(こんちいん)
琵琶湖疏水(仁王門通から)


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