1995年自転車の旅|07|謎の酷道「錦峠」と銚子川の青き淵
1995年(平成7年)秋。一人の青年が東京から鹿児島まで自転車で旅した記憶と記録です。
まずは下の地図をご覧いただこう。
旅の6日目は、国道260号最大の難所といえる「錦峠」越えから始まる。
「錦峠」は、2015年(平成27年)に新道が開通するまで、その通行の困難さから、いわゆる「酷道」として知られていた。
当時のぼくはそんなことはつゆ知らず、しかしながら地図を見れば一目瞭然、これから克服しなければいけない道がどういうものか、嫌でも想像できた。
さて、旅行記を書くに当たり、この「錦峠」について検索していたところ、興味深い事実が判明したので、備忘的に書き留めておきたい。
ここまで「錦峠」とカギ括弧付きで表記し続けている峠は、実は地図上の「棚橋峠」のことである。ただ、ぼくがつけていたメモ帳には、その日越えた峠の名称がはっきり「錦峠」と記録されている。理由はおそらく、持参した地図にそう記してあったから。
ネット上で見つけた詳細な訪問記には、1997年版の「ツーリングマップル」(昭文社発行のライダー向け地図)に、この峠が「錦峠」ではないにもかかわらず「錦峠」と明記されていた旨、解説されていた。1997年の段階で「錦峠」だったなら、1995年版もきっと同じだろう。記憶は定かではないものの、ぼくが頼っていた地図は、まさにそれだったに違いないと思う。
では、真の「錦峠」がどこかというと、上の地図の左端(県道68号線)。ぼくが「錦峠」と信じて上り下りしていた峠道は、グーグルマップでは「棚橋峠」とされているが、本来は「名無し」の可能性もあるようだ。
「真実はいつもひとつ」……ではないのかもしれない。
10月15日(日)。
7:30起床。9:15出発。今日は雲が多い。
朝一番に錦峠の登攀に取りかかる。かなりキツいが、ありがたいことに、脚はしっかりと回ってくれる。
坂道を上り続けて、峠越えのトンネルに辿り着いたところで休憩していると、サスペンション付きの青いマウンテンバイクに乗った男性が追いついてきた。
よく喋る人物で、ぼくの卒業した大学や就職はどうするつもりなのかなど、あれこれ尋ねてくる。当人は、年齢は四十代、神戸からツーリングに訪れたそうで、前夜は賢島で一泊、今日は紀伊長島まで走ったのち、神戸に帰るとのこと。
「大台ヶ原の景色は素晴らしい」
「川湯温泉にはぜひ立ち寄った方がいいよ」
等々、盛んに勧められる。
「紀伊半島は、海沿いにぐるっと回るよりも、山の中を走った方が絶対に面白い」
と関西弁で力説。
海の景色はこれまでの数日間でだいぶ見慣れたし、目先を変えて紀州の山奥を走ってみるのも悪くないか。ぼくも少しそんな気持ちになった。
しばらくして、男性の連れらしい女性が、自転車で上がってきた。こちらは、ピンク色のパーツでコーディネートしたチタンフレームのマウンテンバイク。二人ともとても立派な自転車に乗っている。
奥さんなのかな? 余り話さない人で、その場にいるあいだサングラスを外さなかったこともあり、ちょっと年齢不詳な感じがした。確か男性が「ママ」と呼びかけていた気も……。
(追記:阪神・淡路の大震災が起きたのはこの年の1月で、そう考えると、神戸からきたというこの二人組にはどういう背景があったのか。被災は免れたのだろうか。きっとそうだろう。ぼく自身、約15年後に福島市で東日本大震災を経験したが、震災当日から半年以上過ぎると、街も人もそれなりに落ち着きを取り戻しつつあった記憶がある。)
彼らが先に出発し、その後ぼくも真っ暗なトンネルを抜け、紀伊長島の町まで長い下り坂を駆け下りた。食堂を見つけ、昼食のカツ丼を平らげる。
ルートは国道42号に移る。前日と似通ったアップダウンの道が続く。
三重県海山町(現在は紀北町)の近辺は、「種まき権兵衛」という江戸時代の篤農家の事跡が有名らしく、「ごんべ洞門」なる半分トンネル半分擁壁の道路建築物を見かけた。
その洞門の少し先、銚子川を渡りながら川面を覗くと、目の覚めるような青くて透明な水!
こう述べては失礼だが、周囲はどうということのない田舎町の風景なので、そのギャップになおさら驚く。
この川の景色をもう少し探ってみたいと思い、国道から逸れて上流に向かう道を辿った。だが、寄り道の成果はさして得られず(もっと川上まで走れば違ったのかもしれない)。
道を戻り、川原に自転車を停め、冷たい流れにザブサブと膝下まで浸かる。ゴリみたいな小さな魚が群れをなして泳いでいるのが見えた。
銚子川、今では「奇跡の川」と呼ばれ、日本有数の清流として有名らしい。SNSの効果てきめんで、近年ますます多くの観光客が訪れるようになり、直火でのBBQやゴミ放置といった問題も発生しているようだ。
清流が清流である事実を失えば、そこにあった価値は瞬く間に失われる。いや、経済価値どうこうより、「一度失われたら二度と取り戻せないもの」が失われてしまう。
どうかこれからも末永く、美しい流れを保ち続けてほしい。
(長くなりそうなので、この日の旅日記は二分割します)
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