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吉田修一氏の小説と、長崎

久しぶりに小説を読んだ。
吉田修一著『7月24日通り』(新潮文庫)。

最近なぜ小説を読まなかったのかな。
写真のことで頭がいっぱいだったせい、かな。
あるいは、心のどこかに、
「もう小説なんて卒業だぜ!」
という気持ちがあったからかもしれない。
一旦そのように感じたあとで、あらためて小説なるものを読み直してみたら、不思議と新鮮な景色が見えた。
もしかしたら、小説とはそういう存在なのかも。

吉田修一氏は1968年、長崎市の生まれ。
山本周五郎賞も芥川賞も受賞し、純文学とエンタメの両界を股に掛けて活躍する小説家だ。
代表作は、映画にもなった『悪人』かな?
ぼくは初期のころの作品が好きで、あと『横道世之介』も新聞連載中から面白く読んだ。
氏の作品のいくつかは長崎市を舞台にしていて、ぼくは昔々(小学生の途中から中学生の途中まで)、長崎市に住んでいたことがあるものだから、親しみが湧く。
生まれ年も近いので、『横道世之介』の主人公が大学進学のため田舎から上京する感覚や、その時代の東京のディテールと空気感にも共感を覚えた。世之介は結局、写真家になるしね。ぼくは彼ほど自由闊達ではないけれども。

長崎の思い出について。
率直に言って、長崎は素敵な街だ。少なくとも、少年だったぼくの記憶の中では。
人格形成期に暮らした街。故に思い入れも深いのだと思う。ぼくは故郷を持たない人間だが、長崎にはほんのり、それに似た感覚を抱く。
小高い山丘に挟まれた細長い市街。大きな港。モーター音を響かせながら朝から晩まで走り続ける路面電車の群れ。夏の精霊流しに秋のおくんち。
原爆投下の恐ろしい歴史と、かつて異国への唯一の窓口であった歴史の、まるで真夏の日差しの下を歩くかのようなコントラスト。日曜礼拝を告げる教会の鐘。赤と黄色に染められた中華街。ランタンフェスティバルは1987年からなので、まだ始まっていなかった。
あちこち見どころの多い長崎の街なかで、ぼくは、寺町界隈の雰囲気が大好きだ。有名な崇福寺そうふくじ中国盆会ちゅうごくぼんえはとても魅惑的だし、これといった行事がないときの普段着の古い町並みにも風情がある。辺りは、山がちに入り組んだ地形に護られる格好で、原爆に焼かれずに残った。
一方、キリスト教信徒の多かった浦上天主堂周辺が爆心地となって凄まじい被害に遭ったことには、歴史のめぐり合わせの残酷さを感じずにいられない。
ぼくが長崎に暮らしていたとき、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がはるばる長崎を訪問した。教皇の初めての来訪を心待ちにした信徒の方々が大勢、本当に大勢、道の両側に並んで教皇を歓迎する。
ぼくはその様子をテレビで見た。野次馬の一匹になって現地に顔を出さなかったのは、異例とも言える強い寒波が長崎を襲って天候が悪化し、両親から外出を止められたためだ。
長崎の冬は、日本海側の気候の影響を受けがちなので、九州とはいえ、年に一、二度は必ず雪が積もった(温暖化が進んだ現在はどうなのだろう?)。
その日の冷え込みは特別厳しくて、教皇を一目礼拝しようと夜のうちから並んでいた方で、確か亡くなられた方がいたはずである。そのニュースを聞いたとき、ある意味死をも厭わない信仰の強烈さに、子どもながら畏怖を覚えた。
そんな長崎も、かつて45万人を数えた人口が今や39万人を割る(※)。九州の西外れに位置する不便な立地は否めない。西九州新幹線の開業は、今後、長崎の街にどのような変化をもたらすだろうか。

※試しに九州7県の県庁所在地の人口を比較すると、福岡市165万人、熊本市74万人、鹿児島市58万人、大分市47万人、宮崎市39万人、佐賀市29万人と、長崎市は6位に沈む。もちろん、人の数が多ければよいというものではないが…。

Wikipediaによる

さて、いい加減、小説のことを。
『7月24日通り』を読んでみようと思ったきっかけは、noterの星野廉さんが書かれた次の記事だ。

星野さんは言葉の脳外科医のような方で、言葉がどのように人の知や心に作用するかを、メスの先で血管を切り分けるように緻密に分析する。
吉田修一氏のこの小説に関しても、ぼくならストーリーや目を引く描写を追いかけるだけで終わってしまうところ、
「さあ、ここに注目してみて」
と、丁寧に親切にピン留めしながら、冒頭部を解説してくれた。

読み始める前の『7月24日通り』の印象は、軽くて肩の凝らない恋愛小説。
適度な分量で章分けされており、全体のページ数もさほど多くない。
舞台はおそらく、長崎県内のどこかの港湾都市。「県庁所在地でもない」と書かれているので、長崎市がモデルとは読んでほしくないのだろう。百貨店が営業しているから、それなりに大きな街だ。
主人公は、その街で生まれ育った20代の女性会社員。青春の輝きが剥落し、自らの人生を自らの手で作り直し始める年ごろの人間関係が、テンポよく読みやすく描かれる。
しかし、そこは手練れの吉田修一氏。キーとなる表現や場面設定などを慎重に読み進めるにつれ、企みに満ちた小説の横顔が一つまた一つと浮かび上がる。
読者の接し方によって、物語の始まりと終わりで、主人公への感情移入の角度と深さが大きく変わるに違いない。海の色のように変化するグラデーションの滑らかさが見事。


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