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写真展のご縁に感謝 その2

noterの「popo」さんが、過日の写真展「二つの部屋」について、見事な紹介記事を投稿してくださいました。
優しげなpopoさんの、しかし極めて鋭く的確な観察眼と審美眼を通じ、写真展の姿を想像して(実物をご覧になられた方は思い返して)いただければ幸いです。

popoさんの記事は、

噂によると、江口さんの写真にはキャプションがないらしい。

の一文で始まります。
これは半分は本当で、会期中、何人かの方から、
「(個々の作品の)タイトルはないんですか?」
と訊かれました。

ないんです。

「二つの部屋」と名づけた全体タイトルの下、二つの展示室に跨がるインスタレーション展示を感覚的かつ思考的に楽しんでもらおうというのが、この《写真展》の趣旨でした。
そして、写真プリントを(直にあるいは額装して)床に配置するといった手法面も含め、鑑賞者の方々の多くが抱いているであろう、既存の写真や写真展に対する固定したイメージを、実体験を介して揺るがすこともまた、目的の一つとしていたのでした。

ただ、キャプション(専門用語では「ステートメント」とも呼ばれます。展示会や作品集の概要説明のこと)は一応、会場に掲示してあったんですよ。
こんな感じです。

二つの部屋

本展のタイトル「二つの部屋」は、展示会場の室数を示すと同時に、自然と人工、具象と抽象、有と無のような、この世界に潜在し顕在するさまざまな対比を意味しています。
現と夢、マクロとミクロ、真実と虚偽、モノクロームとカラー……こうした対比の言葉は、辞書の見出しに数限りなく見つけることができます。それはすなわち、わたしたちが常にそのような視点で物事を見、考えている証左といえるでしょう。脳が左と右、一日が昼と夜とに分かれるように。

展示室1のサブテーマは「Entropy(エントロピー)」です。
エントロピーとは、物質現象の無秩序さを表す値のこと。
わたしたちの命は、宿命的にエントロピーを増し続ける宇宙において、混沌と秩序のサイクルをときに儚げに、ときに力強く繰り返します。

展示室2のサブテーマは「What is beautiful?」。
「美しい」は、考えれば考えるほど不思議な概念です。
わたしたちは何をもって対象を「美しい」と判断するのか。
一般に「美しい」と見なされないものに対してすら「美しい」を感じるのはなぜか。
「美しい」とは、認識の対比を乗り越えつつ、自己本来の性質(生得的なものも後天的なものも織り交ぜて)と向き合う試みを指しているのかもしれません。

「二つの部屋」が束の間、あなたの中で「一つの部屋」に生まれ変わりますよう。

とはいえ、これを読んだだけでは正直、
「わかったような、何だかはぐらかされたような」
印象を受けるのではないかと思います。
ぼく自身、「とっかかり」のようなものが皆無では余りに不親切だろう程度の認識から掲示した文章で...…いや、もちろん真剣に書いてはいるんですよ。けれども、今回の展示に含まれている意味(及び意味の形をとらないもの)をきちんと説明し、理解してもらおうとすればするほど、ステートメントは長くなり、込み入り、ますますわかりづらくなってゆくのは目に見えています。
よって、上の文章は、本当に「とっかかり」としてそこにありさえすればよいと判断し、会場の端っこの壁にさりげなく貼りつけました。フォントもあえて、細く目立たないものを選んで。

popoさんの記事に関して、もう一つ。
展示室1の写真(作品)群を指して、
「グラフィックデザイン」
と明言していらっしゃる。
これはまさしく卓見で、今回の《写真展》は、写真展と銘打っているけれども、実際には写真展ではないんですね。
もちろんストレートなタイプの写真も展示していますが(展示室2)、それ以外にも写真を基にしたグラフィックであったり、立体物の支持体と組み合わせたり、詩や音楽と一体化していたり、何より会場である福島市写真美術館の大正期建築の胎内にあって、天候や時刻に従って移り変わる光の明暗やグラデーションそれ自体が見どころであったりしたわけです。
美術館の館長がギャラリートークの総括の最後に、ぼくのことを
「写真を媒介とした現代美術家」
と評したのですが、その肩書きに異を唱えるつもりは、ぼくにはまったくないのです。


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