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マリー・ダグー伯爵夫人 2/4

理想と情熱を生きるためにあらゆる犠牲をはらった女の物語

マリーの馬車がL.V.侯爵夫人の館に着いたのは、夜10時を少し過ぎた頃でした。大階段は明るく照らされ、車寄せには馬車の出入りで大賑わいです。
階段の手すり脇にはブロンズ製の像がランタンを掲げていました。
大勢の人々が行き来をし、それぞれに楽しく話をしているのが見えましたが、マリーは孤独を感じて何とも言えない虚無感を拭うことができませんでした。

侯爵夫人がすぐに近づいてきます。
「親愛なる伯爵夫人!お会いできて本当に嬉しいわ。絶対にお見えになると分かっていました。我らのダグー伯爵夫人は、芸術の呼び声には逆らえないと男爵夫人もおっしゃっていました。ああ、音楽!なんて神々しい情熱でしょう!さあ、どうぞ、お入りなさい」
マリーは孤独感が一層強まりました。豪華なサロンの周囲には、人々が列を作ったり小さなグループで話をしているのではなく、ただむき出しになった壁があるだけのように見えました。

マリーはピアノと、譜面台の両側にすでに灯されたロウソクに気づきます。
しかし、マエストロの姿は見当たりません。
数人の若い女性たちがピアノのそばに立ち、手に楽譜を持ちながらサロンの奥のドアの方を見つめていました。
「マエストロは図書室にいらっしゃいます」と侯爵夫人が説明しました。彼女の顔には困惑の色が浮かんでいました。
「楽譜を紛失したようで、書き直さなければならないのですって。予定されているのはウェーバーの合唱曲、それからピアノの独奏です。このハプニングのせいで少々時間を取られてしまいますが、もうすぐ・・・あ、マエストロがいらっしゃいました!」

フランツ・リスト

背の高い、とても痩せた男性がドアを開けて現れました。それまでのサロンのざわめきが突然静まり返り、全員がリストの方を振り返りました。
マリーは、彼の透き通るような緑色の輝く瞳に気づきます。
彼がこちらに近づき、短いやり取りが交わされました。社交の場ではお決まりの挨拶の言葉が続きました。
「侯爵夫人から貴方のお話をうかがいました」
「音楽がお好きだとか・・・」
リストはまるで親しい友人を見るような目でマリーを見つめました。
「素晴らしい音楽を好きにならないわけがありません」と彼女が言うと、彼は、少し皮肉を含んだような視線で、こうささやきました。
「それでも・・・音楽をただの美しい遊び、そして夜会の暇つぶしだと思っている人も大勢いらっしゃいます」
その場の空気の中で、彼の言葉は間違いなく批判の響きを帯びていました。
「私にとっては、そうではありません」と彼女は少し驚きながら言いました。リストの少し親しげな様子に戸惑っていました。
「お会いできて嬉しいです」と彼は言い、彼女に向かって身をかがめました。

マリーはただ彼がピアノへ向かい、席に着き、何か気の抜けた様子で鍵盤に軽く触れるのを見つめていました。

最初の休憩時間に、マリーはピアノに近づこうとしましたが、周囲に空いている椅子は一つもありませんでした。
「帰る前に、どうしてももう一度彼と話さなくては・・・」と思いながら、再び自分の席に戻るしかありません。
「どうしても伝えたいのに。こんな音楽、本当に聞いたことがない!」

リストはたくさんのエチュードやロンドを演奏しました。夜会が終わると、彼のまわりを大勢の人が取り囲んでいました。
マリーは辺りは少し静かになるまで待って、彼に近づいていきました。侯爵夫人は招待客たちを見送りながら出口に向かっています。

マリーはピアノの片側に立ちました。
「私・・・」と彼女は言いました。そして向かいに立っていた彼を見ました。しかし、それ以上言葉は続きませんでした。
リストは伯爵夫人に向かって、非常に丁寧にお辞儀をし、少し皮肉めいたような親しみ深い微笑みを浮かべました。そこに侯爵夫人が戻ってきました。
「ああ、マエストロ!どうかお聞きください!あなたの音楽が、どれほど素晴らしいかを!」

「親愛なる伯爵夫人・・・楽しんでいただけましたか?」と彼女を見送る侯爵夫人が尋ねました。
「もちろん」と彼女は即答しました。
「おっしゃる通りでした。リストは、彼は他の誰とも違いますね」

待っていた御者に「少し遠回りしてから帰りましょう」と伝えて馬車を走らせました。マリーはこの余韻を夜のパリを見ながら、静かにもう少し浸っていたいと思ったのです。
夜のパリはほとんど人がいませんでした。煙突の煙も、どこももう上がっていませんでした。

女中は伯爵夫人を待っていました。
「奥様。旦那様がおやすみのご挨拶を残していらっしゃいます」
「そう。ありがとう。あなたはもう行っていいわ。私は一人でやる事があるから」部屋に入ると、彼女は窓を大きく開けました。
バルコニーの下では、石畳が黒く光って伸びています。そこに馬車が二つの灯りを点けて、車輪と蹄の音で夜の静寂を破り、その音は壁際で転がって眠りに落ちた窓の間を通り過ぎていきます。

ふと、雪の香りがしました。彼女は急いで窓を閉めましたが、雨戸は開けたままにしておきました。
「明日は雪の光で早く起こしてくれるでしょう」と彼女は思ったからです。「朝、光で目が覚めるのは素敵な考えね。なぜ今までそれをしたことがなかったのだろう?」
それから彼女はランプを消してベッドに入りましたが、眠りはなかなか訪れませんでした。

(続)


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