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夢遊病の女 ─マリア・マリブラン─1/4

1- ヴィンチェンツォ・ベッリーニとの出会い

1833年5月1日のロンドン。
ドゥルリー・レーン劇場で、ベッリーニのオペラ『夢遊病の女』が初めて英訳されて上演されました。
この作品は、ベッリーニが愛する女性と過ごしたコモ湖畔での休暇の思い出が反映されています。

主演は素晴らしい声を持つディーヴァ、マリア・マリブラン。
このロンドン公演は大成功を収めました。その成功は主に、マリブランの演技と声によるもので、彼女の歌への解釈がオペラ『夢遊病の女』に特別な魅力を与えたからでした。

ヴィンチェンツォ・ベッリーニ

ベッリーニの友人であるフランチェスコ・フローリモは、公演後にマリアによって引き起こされたオペラの印象をこう語りました。
「神聖な歌の栄光をベッリーニに帰するべきか、あるいは、それを見事に解釈したディーヴァに帰するべきかを疑わせるほどの素晴らしさだった」

マリア・マリブラン

その日のドゥルリー・レーン劇場は完璧な静寂に包まれていました。
舞台では『夢遊病の女』の最後のシーンの音色がまだ余韻を残しています。
その瞬間、ある男がボックス席から狂ったように拍手をしながら叫び始めました。
ロンドンの観客は驚愕しました。
一体何が起こったというのか・・・?
あの叫んでいる無礼者は誰なのか?

その男とは、劇場にいるとは予想されていなかったヴィンチェンツォ・ベッリーニ、作曲家本人でした。
マリア・マリブランの素晴らしい声に対する興奮で、ベッリーニは劇場での礼儀やマナーを忘れてしまったのです。

彼がこの初演の後すぐに友人フローリモに宛てた手紙の中に、その時の興奮が書かれています。

「この灰色の空のロンドンに到着した翌日、通りを歩いていると、英訳された『夢遊病の女』が劇場の掲示板に告知されていました。
英国貴族の中でも高名なハミルトン公爵夫人に招かれたので、劇場に行くことにしました。この時点で、音楽界で注目を集めているマリブランの名前だけしか知らなかったと正直に告白します。

親愛なるフローリモ、私の音楽がこれらの・・・イギリス人たちによって引き裂かれ、傷つけられ、皮を剥がれたような状態であったことを、伝える言葉がありません。
ましてや、それは鳥や特にオウムのような言語で歌われており、私はその言葉の一音すらも知らないし、分からないのです。

しかし、マリブランが歌うときだけは、私は自分の作品『夢遊病の女』を認識しました。
特に最後のシーン「ああ!私を抱きしめて、これからも一緒に・・・」は、彼女は非常に強い力を込めて、”真実”を表現していました。
次第に私は、彼女の声から大きな喜びを得ていることに気づいたのです。

その瞬間、私はイギリスの劇場にいることを、すっかり忘れてしまいました。それまでの社交的な礼儀や、ボックス席に座っていた貴婦人たちへの配慮も何もかも忘れ、作曲家としての謙虚さもすべて捨てて、私は立ち上がり、ボックス席から声を張り上げて叫びました。
「Viva!Viva!Brava!Brava!」と、舞台のマリブランに向かって拍手を送り続けました。

マリア・マリブラン

私のこうした南国的で火山のような情熱は、冷静で計算高く、慎み深いイギリスではまったく新しいものだったのでしょう。
イギリス人たちは互いに、静寂の劇場で、こんなに大胆に振る舞う者が誰なのかを尋ね合っていました。

しばらくして──どうやって知ったのかはわかりませんが──私がこの『夢遊病の女』の作曲者であると分かると、彼らは私にとても親しみを持って接してくれました。
そして今度は、彼らが私に対して狂ったように拍手したのです。

私はボックス席から感謝の意を表しましたが、彼らはどうしても私を舞台に引き上げたがり、貴族の若者たちの群れに引きずられてしまいました。

最初に私の前に来たのは歌姫マリブランでした。
彼女は私に腕を回し、喜びのあまり興奮した様子で「ああ!私を抱きしめて」と、あの美しい声で言いました。
私の感動と興奮は最高潮に達し、まるで天国にいるかのようでした。
もう言葉を発することもできず、ただ呆然としてしまい、その後は何も覚えていません・・・

私の人生で、今後もこれ以上の感情を味わうことは難しいでしょう。それぐらい心を打たれました。
この日から、私はマリブランと親しくなりました。
彼女は、私のすべての音楽を称えてくれ、私は彼女の偉大な才能に賞賛を示しました。そして、彼女の天才に基づいたオペラを書くことを約束しました。
友よ、この事はすでに私を興奮させています!」

これは、ヴィンチェンツォ・ベッリーニが私たちに残した、マリブランとの出会いに関する物語です。
彼が手紙の中で描写する生き生きとした様子や場面に、当時の熱狂と興奮が伝わります。
偉大な作曲家と偉大な歌手の間で直接交わされた約束に、若い二人は互いにどれほどの期待を抱いていたことでしょうか。

しかし、人生はそれらの希望を早々に断ち切ることになると、後の私たちは知っています。だからこそ、ベッリーニの手紙の活気や熱狂の中にある種の哀愁を誘わずにはいられません。

(続)


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