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マリー・ダグー伯爵夫人 1/4
理想と情熱を生きるためにあらゆる犠牲をはらった女の物語
1-音楽の夕べとリストとの出会い
マリー・カトリーヌ・ソフィー・ド・フラヴィニーは、まったく愛していないダグー伯爵と結婚して、そのことが日々彼女を苦しめていました。
夫に対する忠義心から、家族にも誰にもその想いを伝えることはありませんでしたが、告解の場でだけ、自らの苦悩を司祭に打ち明けていました。
「夫をどうしても愛せないのです」
「私たちはあまりにも違いすぎていました」
「すべての事が私たち夫婦を引き離してしまうのです」
司祭はそのたびにマリーに助言を与え、励ましました。
マリーは涙を数滴流しながらベールを下ろし、祭壇の前でひざまずきます。もしかすると、教会を出るときには告解したことで少しは彼女の心も軽くなっていたのかもしれません。
しかし、家に帰るとすぐに元通りになりました。
見回す限り、すべてが適切で、整然としていて、正確で、形式的で、ほとんど完璧な額縁のような生活でした。
それは残念ながら、彼女にとってはただ空虚なものでした。
「親愛なる妻よ、調子はどう?」と、昼食の席でダグー伯爵が言います。 「お針子は勘定書きを持ってきたか?」
「今日は少し顔色が悪いようだね」
マリーは「はい」か「いいえ」、もしくは「そんなことはないと思います」や「たぶん」とだけ答えます。彼らのまわりを召使いたちが料理を運んだり下げたりしています。
窓の外では色づいていた葉が散り始めています。あるいは雪が降ってきました。それとも春の風が吹いているかもしれません。または夏の暑さが突然訪れ、別荘へ移る話が出る時期になりました。少なくとも気分転換にはなります。
夫と向き合うたびに、マリーは自身が囚われの身のように思いました。
夫はまさに「紳士」と言われる人物で、非の打ち所がありません。少し退屈ではあるかもしれませんが、気遣いがあり、非常に上品で、良識にあふれています。
「親愛なる君、何か必要なものはない?」
マリーは「いいえ」とだけ、いつものように答えます。
午後、来客や招待がないときは、穏やかに時間が過ぎていきます。家は広く美しく快適で、多くの有能な召使いたちによって完璧に管理されています。二人の娘たちは健康で愛らしく、躾も行き届いており、とても可愛らしい子供たちです。彼女たちは立派な家庭教師によって見守られています。
要するに、すべてが完璧すぎるほど完璧です。
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すべてが順調であるはずなのに、マリーを定期的に苦しめるあの問いが戻ってきます。
「なぜ彼と結婚したのだろう?」
「なぜ、世間の慣習に従った結婚を受け入れてしまったのだろう? 私はそんなものから遠く離れているはずだったのに・・・」
考えれば考えるほど、夫は彼女にとって遠い存在に思え、人生は単調で無意味なものに感じられ、家族の責務は重く耐えがたい鎖のように思えてきます。
長い雨の日の午後、部屋に閉じこもり、椅子に深く腰掛けながら、お気に入りの詩句を繰り返し口ずさみます。
──涙とともにパンを食べたことのない者よ。
苦しみに満ちた幾夜をベッドに座って泣きあかしたことのない者は、
あなた方を知らない、天の力よ──
(ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の第2巻第13章)
夕食の席ではその日の昼食のときと同じように、そしてその前日の夕食や昼食とも同じように、二日前も三日前も、おそらく明日も明後日も、この6年間と同じようにずっと・・・
彼女は泣き出さないように、必死で自分を抑えなければならないことも時々あります。
「気分は大丈夫かい、親愛なる妻よ?最近少し痩せたように見えるけれど」
「いいえ、全然大丈夫よ」
「どうか体を大事にしてくれ。気になることがあれば、我々の友人でもある立派な医師に相談するといい。彼は本当に素晴らしい科学者であり医師だから安心だ」
「いいえ、本当に平気よ」
食卓を離れるときには、彼女はほとんど泣き出しそうです。
彼は・・・夫は本当に何も見えていないのでしょうか?
全く何も気づいていないのでしょうか?
彼女はできるだけ早く自分の部屋に逃げ込み、そこに閉じこもります。繰り返し自分の中で想いを巡らせながら、苦々しささえも感じつつ、日々ますます空虚に見える生活の避けられない退屈さと苦痛を味わいます。
そのたびに無駄にしてしまった自分の若さを後悔し、愛や情熱、真の温かさに欠けた過去を嘆くしかありません。その繰り返される心の危機が、今や永続的な不満と深い不快感という状態へと変わっていきます。
──この時代の男たちは、悦びを与えてくれる女と悲しみの女の2種類の女しか知らない。酒を飲んでもてなす女と、家庭を作ってくれる女だ。
もし、男たちの一人が、真の伴侶、つまり神に従った愛と自由に従った女に出会ったとしたら、彼はその女をどう評価するのだろうか?──
( マリー・ダグー『Les pensées, réflexions et maximes (1859)』)
マリーは「人生には必然性と自由、予測不可能なものと宿命的なものが絡み合い、私たち自身の手の中で謎めいた織物を作り上げる連鎖が存在する」と確信するようになります。自分の間違った結婚もこの「連鎖」の産物であるに違いないと考えました。
彼女は自分を哀れみ、後悔に浸りますが、それを乗り越えるための行動は一切起こしません。彼女は自分を責めることにはあまり乗り気ではなく、むしろ自分自身を憐れむことに傾いています。
彼女は、慣習と家を重視する結婚を時代の恩知らずな習慣だと考え、自分はその犠牲者の一人だと思いました。
当時のパリには美しいけれど不幸な女性たちが溢れています。裕福ではあるものの、マリーが考える悪しき風習「取り決められた結婚」のせいで、人生の喜びを知らない女性たちが大勢いました。もちろん、パリだけの話ではないでしょう。
夕食後、冬の夜にはオペラに出かけたり、友人の邸宅で行われる音楽を楽しむための夜会に顔を出したりします。カーニバルの季節には仮装舞踏会もあります。ドレスの仕立てとアクセサリーの準備、美容師、招待状の準備に追われます。夜会では話は尽きません。とくに噂話は延々と終わりなく続きます。そのような社交の務めを終えた後、マリーは出かける前よりもさらに不満を抱えたまま家に帰ります。
落ち着かないまま、彼女はロウソクの炎が揺らめいているのを長い間見つめていました。テーブルの上には日記帳がページを開かれるのを待っています。
──自分で意図的に身を投じたこのような興奮状態は、私を疲弊させるだけで、心を紛らわすことはない。
自分がどう時間を使ったのかを考えると、私自身に哀れみすら感じる。
残念ながら、自分の年齢にふさわしい夢や希望を放棄することで、心に過度の負担をかけすぎたことに、今頃になって気がついた──
正確な自己診断ですが、それは危険でもあります。
その夢や希望の火を燃え上がらせるには、愛の兆しがなければなりません。マリーはそれを分かっていました。ただし、自分では認めずに。
彼女がL.V.侯爵夫人の招待を少し渋りながらも受け入れたその日、何らかの予感があったのかもしれません。侯爵夫人の招待状にはこう書いてありました。
「親愛なるダグー伯爵夫人へ。
新しいモーツァルトとも言えるこの非凡なヴィルトゥオーゾ、いえ、私の言葉では表現し尽くせないフランツ・リストを、ぜひ貴女に知っていただきたいのです!彼は天才であり、あらゆる意味で特別な存在です。どうしてもお引き合わせしたいのです」
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この頃のパリは「天才」や「特別な人物」、そして「非凡な存在」で溢れていました。ロマン主義の熱狂が芸術家を崇拝し、サロンでは芸術や文学で際立つ神々しい知性の持ち主たちに人々が揃ってひれ伏し、感嘆の声をあげています。若い才能を見出すことは、上流社会の名士たちの間で最も人気のある趣味となっていました。
侯爵夫人からの招待の手紙は続きました。
「彼はもちろんハンガリー人です。彼のようなピアノ演奏を聞いたことは絶対にないと保証します。それに、これが彼の最後のコンサートになるらしいの。ご存じ?引退して修道院に行くとか、母親と一緒に孤独に暮らすつもりだなんて話もあるのよ!
教えることは続けるみたいですが、夜会には出ないそうです・・・それにしても特別な人たちって、いつも奇抜で変わっているかもしれません。とにかく、親愛なる伯爵夫人、お待ちしています。この夜会を断ろうなんて思ったら、私がお仕置きしますよ」
マリーはまだ若いとはいえ、これまでにそうした「天才」や「特別な人物」を十分すぎるほど見てきました。そのため、L.V.侯爵夫人からの誘いにも特に感激しませんでした。
あまり乗り気ではないまま、きらめく燭台や色とりどりの花、噂話で埋め尽くされたサロンを思い浮かべました。それはいつものように退屈で気が重い夜会、貴族としてのありふれた義務の一つに過ぎません。
しかし、侯爵夫人のあまりに熱心な誘いを断るための適当な口実を即座に見つけるよりも、そのまま誘いを受ける方が簡単でした。断ればどのように受け取られて、巧妙な噂話にされるかわかりません。
「それで、マリー。侯爵夫人がまた例の音楽の夜会を計画しているのか?」と食卓で夫が尋ねました。
「ええ、そうよ。」
「そうだろうと思った。今回の天才は誰なんだい?」
「ハンガリー人のフランツ・リストですって。ピアニストで作曲家だとか」
「侯爵夫人は、こういう変わり者たちにすっかり取り憑かれているな。芸術家だって?自分の家にそんな連中を気軽に招き入れるなんて、かなり不適切だと思うけど」
「かなり不適切だ」という表現は、イギリス風趣味を好むダグー伯爵が、あらゆる状況に対して使う便利な言葉でした。
実際、彼は1830年7月の革命の熱いバリケードの日々についても、同じ表現を用いていたのです。
「私、貴方のその見方が、あまりに頑なすぎると思います」
「そうだろうか・・・3年前と同じだ。では、貴女の言うような先見の明や心の広さを持つべきだったのだろうか。でも、その結果が混乱、無秩序、好き勝手な世の中になった。これが貴女の言う心の広さがもたらすものだと思うけどね」
「世の中は変わっていくものよ・・・」マリーは疲れたように応じました。
「目をつぶって見ないふりをしたところで、時代の変化は止められないわ」
「この調子だと、いつか貴女まで社会正義やら、普通選挙やらを持ち出すのではないかと心配するよ!」
そのとおりでした。
しかし夫と議論しても無駄なことです。どうして話も通じない彼と結婚したのでしょうか?
「それで・・・貴女は今夜はやっぱり侯爵夫人のところへ行くのか?」
夫がようやく尋ねました。
「そうね。ほかに予定がないので」と彼女は応えました。
その後、二人は黙ったまま昼食を終えました。