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スタンダール慕情
パリでは歴史散策をするのが好きです。
前回行った時にはl'église de l'Assomption de Paris/ノートルダム・ドゥ・ラソンプシオン教会に立ち寄りました。
ここは1842年3月24日、スタンダールの葬儀がおこなわれた教会で、華やかな雰囲気のサントノレ通りに面し、ひっそりと隠れたように佇む小さな教会との対比が印象的でした。
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通りの喧噪がウソのような静かな内部。スタンダールの柩はどこに置かれていたのだろうなどと考えつつ椅子に座ってしばらくボーッとしていました。
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この小さな教会でスタンダールは友人だったプロスペル・メリメなど、たった3人の友人のみに見送られて、あの世へ旅立ちました。
メリメの嘆きは大きく、生前の交友が深かったのを偲ばせます。スタンダールはひっそりした葬儀の後、モンマルトルの墓地へ埋葬されました。
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イタリアが好きだったスタンダールが墓碑に残した、あの有名な言葉をどうしても見たいと長年思っていました。
Milanese
Scrisse
Amo
Visse
(ミラノ人、書いた、愛した、生きた)
念願叶って、彼のお墓を見つけた瞬間は心が震えました!
しかし、色んな本を読んでみると実際のスタンダールの遺書には、
Milanese
Visse
Scrisse
Amo
(生きた、書いた、愛した)の順番で 書いてあったとあります。つまり遺言執行者がどうも独断で墓碑の名文句を 変えてしまったらしいのです!
スタンダールはディレッタントとして人生と芸術を謳歌する事を何より重要だと感じていたから、どうしても「Visse/生きた」を一番に持ってきたかったらしく、「Scrisse/書いた」のは文学だから、生活を文学以上に重んじていた事を人々に知ってもらう事を望む、楽しむ事は創造するよりも重大であると思っていたようです。
それにしても勝手に変えられて、スタンダールは草葉の陰から怒ってるかもしれません。