中澤陽(スペースノットブランク)――ブルーエゴナク 『ふくしゅうげき』応援コメント⑥
芸術は時に時代を復習することのできる象徴として残る。
「ふくしゅうげき」には知っているようで知っていない社会が表されていて、満月になることのない「半月」という飲食店を舞台に、半分の引力で半端に惹き合う人びとが心地よいビートに乗せて心地よくない憧憬尊敬軽蔑嫉妬を繰り広げる。やがて復讐、かと思えばそうでもなく、そう思えばそうだが復讐は常に既に終わっている。そして復習、観客たちは記憶を洗い流されて、物語たちは時代に取り残されて復習の為の素になっている。いくら復讐しても、いくら復習しても、残るものは残るし残らないものは残らないのかもしれない。そんな「ふくしゅうげき」が北九州から京都を超えて東京へやってくる。
知っているようで知っていないブルーエゴナクを予習せずに復習する体感と、
登場人物のひとりの趙さんが中国の福州出身だったらいいなと思う午前4時。
中澤陽(スペースノットブランク)