Vol.11 EGOTRIPPINGデザイナーのファッション歴史年表 PART 1
皆さんこんにちは。
展示会、インスタライブなどバタバタしてしばらく間が空いてしまいました。
今回は私が辿ってきたファッションの歴史年表みたいなものをお話ししていきたいと思います。
“小学生期 前期”
まず遡るのは小学生、この辺りは昔過ぎてサラッといきたいと思います。
低学年の頃はほとんど記憶にありませんが写真で見るかぎり母親の着せ替え人形みたいにされてたようです(笑)。
ガラの悪いヤンチャな親父とモデルや芸能関係の仕事をしていたちょっと派手めな母ちゃんの間に生まれた私は完全母親の好みが入った男か女かわかんないような中性的なファッションに身を包んでました。
よく男の子?女の子?と聞かれましたが中身が勝気な私は聞かれるたびに嫌~な気分だったのは覚えています(笑)
“小学生期 後期”
そんな私は小学生高学年くらいからファッションに興味を持ち始めました。
高学年の頃記憶にあるのは、ボルドーのベルボトムにボーダーのニット、これのみ薄っすらと覚えてます。
髪はロン毛でした。ちょうど今みたいな感じです。
みんなスポーツスニーカーを履いてた時代に一足もスポーツスニーカーを買ってもらえず革靴?合皮?のようなオシャレ靴ばかりで当時は凄く嫌だった記憶があります。
“中学生期 前期”
中学生になるとあの時代でも珍しい、名古屋でもたった2校しかない坊主頭の中学でずっとロン毛だった私はメチャクチャ嫌でぐずってました。ぐずったところで中学という事で選択肢もなく泣く泣く坊主頭でファッションを楽しんでおりました。
中学前半はタック入りのデニムが流行りツータック、スリータックの太いデニムを履いてました。名古屋の人はみんなご存じだと思いますがこういったちょっとやんちゃな感じな服は大須に行けばありとあらゆるものが揃ってました。
今では若者のオシャレな街になってる大須も当時はヤンキーとやくざばっかりの街でした。私は親父の地元という事で小さい時から馴染みがあり慣れてるせいかあまり不自然には感じませんでしたが今思えば中々雰囲気のあるアウトローな商店街でした。
“中学生期 後期”
中学後期くらいになるとドクターシャツというフロントの開きがアシンメトリーになった服、これぞ“ザ、80年代”というシャツが流行りいろんなタイプいろんなカラーのモノを持ってました。
この頃から洋楽を聴き始めましたが、デュランデュラン、カルチャークラブなどみんなこのドクターシャツっぽいアシンメトリーな服を着ていた記憶があります。
あっ光ゲンジもアシンメトリーだったような気がします。今思えばアシンメトリーというのが当時の世界的なファッションの流れだったんでしょう。
この時代の服は今現在の若い子が行く古着屋で良く見る事があります。自分が着てた服が古着屋で流行ってるというのは歳を感じますね(泣)
“高校生期 前期”
高校生になると音楽に、よりドップリとはまっていき、BLACKやゴールデンイヤーズといった地元の音楽色の強い洋服屋に行くようになりました。
そして念願の髪を茶?金?髪に、耳にはピアスをあけました。
当時男のピアスはまだ世の中に浸透しておらずゲイやホストのイメージが強く周りから白い目で見られた記憶があります。親父にはピアスはゲイのイメージしかなく気持ち悪いと言われボコボコに殴られました。
当時の私のファッションはメッシュのモヘアニット、古着のリーバイス501、タータンチェックのシャツ、ボンテージパンツ、ガーゼシャツと言った王道音楽ファッションに身を包んでました。
それと同時期くらいにやくざ?チンピラ?ファッションにちょっとだけ惹かれフォックスファーの襟が付いたショート丈の革ジャンやレザーコート、刺繍がびっしり入ったセーターなど着て、また同時に夜遊びにも目覚めてしまい、夜はスーツなどの夜っぽいいやらし~服、昼は音楽ファッションという風に使い分け青春を謳歌していました。
きっと坊主頭から解放され、いろんなファッションへの欲望が爆発したのかもしれません。
“高校生 後期”
相変わらずバンド、夜遊びを両立していたのでファッション的には大きく変わっていませんが遊び用としての服の選択肢がちょっと高級になってきてジャンポールゴルチェやアーストンボラージュ、トキオクマガイなどいわゆるコレクションブランドやDCブランドをめちゃめちゃ無理して買うようになってきました。
今思えばあんな高い服よく買ってたなと思います。
ここまで見返してもホント色んなファッションしていたんだな~と思いますね。
思った以上に長くなってしまったので続きは次回にしますね。
ではでは
JUN
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