「哲が句」を語る わりばし存在論
このnoteに書いているようなことを話す友人が1人います。
彼と話をするときは、ほぼいつも、飲み放題の安い居酒屋に行きます。
その日、その店は、箸がわりばしでした。
彼の目の前でわりばしを割り、割って2本になったわりばしを元のように合わせ、そして手を放したら、1本がテーブルの上に落ちました。
「これが存在論だよ」
そのようにその日の話を切り出しました。
存在論が成立する空間とはどのような場所だろうか。
宇宙の大部分の場所は、いわゆる真空の宇宙空間です。
SF映画などでは、宇宙服で宇宙遊泳をするようなシーンがよく見られます。そういう場所はいつも明るくて、宇宙船や宇宙服などがよく見えます。
太陽の光が届く太陽系の中なので、光がたっぷりあってよく見えるのです。見えないと映画になりませんので、宇宙というとそんな光景ばかり描かれるために、宇宙とはそんな場所だとイメージしがちです。ですがそのような場所は宇宙の中ではまれな場所です。
宇宙空間の大部分の場所は、太陽系のような場所ではないし、銀河系の中でもありません。宇宙のほとんどの場所では光すらもごくわずかしか飛んでいません。ですから、何かあったとしても何も見えません。そもそも何もありません。
何もない空間で、「存在」論というのは、ほぼナンセンスです。
存在論が成立するのは地球のような、何かがある場所です。
でも地球でも、その大部分の場所では存在論が成立しないように思います。
地球において大部分の場所は、地球の内部です。
そこは何もない宇宙空間とは逆に、あり過ぎます。地球内部は岩石やら何やらがびっちり詰まっています。
もしもその場所で何かと何かを寄せ合わせることができたとしたら、そのモノの周囲はびっちり詰まっていますから、互いに離れることができません。
割ったわりばしを元に合わせたら、そこでは、1本がポロっと落ちることはないのです。
モノがみなくっついていて離れない空間でもやはり、存在論が成立しそうにありません。
わりばしがよく見えて、割ることができて、元に合わせてもテーブルに落ちる空間は、宇宙の中で極めてまれな場所です。
存在論とは、地球の表面のような、宇宙の中のごくごくローカルな場所だけで成立する議論です。
テーブルに落ちたわりばしの1本がそこにあるのが「ある」ということで、それをポイと投げてしまうと、そこには「ない」ということになります。
「これが存在論だよ」
その日、最初に話したのはそんな話でした。
明日、彼とまた飲み放題の居酒屋で会う約束です。