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表宗旦、裏利休


宗旦槿(ソウタンムクゲ)


アオイ目、アオイ科、フヨウ属、ムクゲ種の
多年生低木である。


純白の花の中央部に赤い紋様が鮮やかに刻印
されており、美しいアオイとなっている。


ここの『宗旦槿』(ソウタンムクゲ)の名は
茶道に関する歴史や文化の中で知られている
『槿』(ムクゲ)の一種であり、その名は
千宗旦(センノソウタン)に由来している。


千宗旦とは、千利休の孫であり、茶道の継承
と発展に貢献したことで知られる茶人である。


宗旦が特に好んだとされているこのムクゲは
茶室や庭園の植栽として重宝されたものであり
その名がつけられた。宗旦槿は、槿(ムクゲ)
の品種の一つであり、白色花を咲かせる中に
赤い紋様が特徴的な美が見る者に強い印象を
与えるものである。


花は6〜9月の時期に花を咲かせるもので、
早朝に開いたその花は、夕刻に萎んで仕舞う
一日花となっている。翌朝には別の蕾が開き
次々と日が変わる毎にそれが繰り返される。


茶道において、宗旦槿が茶庭へと植えられて
きたのは、茶道に於ける『侘び寂び』の精神
をこの植物の生き様そのものにも準えられて
きた事も重要な要素とされている。


宗旦槿の白い花は、控えめで質素な美しさを
持ち、茶道の簡素で落ち着いた雰囲気を作り
出すのに適していた為、千宗旦の茶室周りで
重視されていたという。彼がこの植物を愛し
茶庭に多く植えたことで、その名が広まって
その控えめな美しさは今も多くの茶人に支持
されている。


千宗旦は、祖父の千利休が豊臣秀吉に切腹を
命じられた後、千家が一時期衰退した時期を
経て、茶道の再興に力を注いだ人物である。


特に江戸時代初期には、茶道の簡素で質素な
美しさを重視、華美な装飾を排した『侘び茶』
を強調した。これにより、茶道は再び隆盛し
宗旦の後に続く多くの茶人に影響を与えたと
されている。


豊臣秀吉が大徳寺(ダイトクジ)へ寄贈した
山門(サンモン)、その山門内へと飾られた
千利休像は利休自身が大徳寺に寄進したもの
であるとされており、千利休は大徳寺と深い
関係があり、その縁で山門の寄進を行った。
この山門の中に千利休の木像が飾られた事が
豊臣秀吉との関係において大問題となったの
である。


この木像が秀吉の怒りを買ったのは、秀吉が
その山門を通る度に、利休像の下を通らざる
を得なかったためで、このことが「不敬」と
みなされ、利休との関係が悪化した原因の
ひとつとなった。


利休が大徳寺に像を寄進した理由や背景には
彼が仏教と茶道の精神を深く結びつけていた
事が影響しているのだが、秀吉にとってその
象徴的な意味が彼の権力を脅かすものである
と感じられた可能性がある。


宗旦槿の正面からの赤い紋様も美しいもので
あるが、私にはこの花の背面に走る真っ赤な
花脈を見る度に、千利休が武士でもない身分
の一般人ながらも切腹させられた無念を表す
ものにも見えてしまい、表宗旦、裏利休など
勝手な解釈をしている私なのである。



和名 木槿 (ムクゲ)
   槿 (モクゲ)
   木波知須(キハチス)
   波知須(ハチス)
洋名 ローズ オブ シャロン
   (ROSE OF SHARON)
学名 ハイビスカス シリアカス
   (HIBISCUS SYRIACUS)
品種 宗旦木槿 (ソウタンムクゲ)
分類 アオイ目、アオイ科、フヨウ属、
   ムクゲ種
種類 多年生低木
草丈 2〜4m
開花 夏〜秋
花色 白 + 底紅紋
花径 5〜10cm
原産 中国
渡来 平安時代
言葉 デリケートな愛
   繊細な美
   新しい美
   説得
   信念
   尊敬
   慈しみ
撮影 東光院、奈良学園前

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千宗旦の道具たち

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