【いつメロ No.3】道は枝分かれる
春休み。
用もなく学校の廊下をさまよっていた。こうしていれば、彼女に出くわせそうな気がしている。そうしないと現実に押しつぶされそうだった。
先輩に別れを告げられた時から、目に映る景色から色が失われた気がする。
絵描きの夢をかなえるために、引っ越していくから別れようと言われた。なんでだよと、思ったまま彼女にぶつけたが、彼女は涙を流しながら「ごめん」とだけ返して、卒業と同時におれの前から去っていった。
一つ上の先輩だから先に卒業することも覚悟のうえで付き合ってたはず。夢のためならおれを捨てるのか?なんで遠距離でも付き合おうってならないんだ。
何だかもう心がぐちゃぐちゃになってしまいそうで、そのぐちゃぐちゃを吐き出したくなった。
その時、突然ピアノの音が廊下にけたたましく鳴り響いた。その音色は荒々しく、ただ思いのままにかき鳴らしているようで、おれのぐちゃぐちゃをそのまま音にしたようだった。
音楽室のピアノから鳴っているようで、扉から覗いてみた。ピアノの前で一人の女の子がヘッドホンをつけながら弾いていた。手を大きく振って、頭も振っていて、まるで何かが憑りついているようだった。しかも、耳をよくすますと歌っていた。歌詞は聞こえない。でも、あれだけ激しく弾いているにも関わらず、穏やかな口調だということだけは分かった。
その女の子は同じクラスの子だった。特に根暗という訳でもなさそうだけど、休み時間はよくイヤホンをしながら窓の外を見ていたのを覚えている。それでも、あの子があの弾き方をするのは意外すぎた。
おれはその場に何故か留まっていた。彼女の弾く姿に惹かれたのか、メロディラインに惹かれたのか、どっちか分からない。どっちでもないかもしれない。それでも何かによって惹きつけられたんだろう。弾き終わった時には、おれから声をかけていた。
彼女は音楽が好きなようで、こうしてたまに音楽室でピアノを弾きに来ているそうだった。吹奏楽部に所属するよりもこうして自分の好きな音楽を聴いて奏でるほうが性に合っていて、上手さは求めていないそうだ。それにしては上手かったように思ったけど。
「ところで、なんであんたは学校に来てるの?」当然抱く質問を投げられ、最初は口ごもった。けど、あのメロディに押されてか、打ち明けることにした。彼女と別れたこと。なんでそんな選択をしたのか。言葉にならない感情がぐちゃぐちゃになって廊下をさまよっていたこと。すべてを話した。彼女はずっとうなずかずただピアノのほうを見ていた。
ひとしきり話し終えた後、彼女はふとこちらに視線を戻し、申し訳なさそうに「ごめん、失恋の相談は専門外なんだ…」と言われた。おれは、そこは特に期待してなかったよと返した。すると、彼女は苦笑いを浮かべた。「それでも何も言わないのは申し訳ないから、推測だけでも話すね」と彼女は立ち上がり、ピアノに向かった。それは予想外で思わず固まった。彼女に何か分かるだろうか。
「人ってさ、夢中になると一つのことしか出来ないじゃない?面白いマンガに出会ったり、素敵な音楽に出会った時ってその作品にただ向かい合ってることしか出来ないみたいにさ。だから、夢を追う時に好きな人のことを疎かにしそうで怖くなって、最後に泣いたんだと思うよ。私も音楽が好きで、その分他のことを諦めてきたからちょっとだけ分かる気がする。」
彼女の言うことには説得力がある。分かる。そうかもしれない。けど、一つ納得がいかなかった。じゃあなんでおれに言わなかったんだよ。せめて一言あってもよかっただろ。湧いた疑問を抑えられず、口に出していた。そこに本人がいないのに。「それも推測でしかないけど、別れるギリギリまで迷ったんじゃないかな。どうすべきか。そして、夢へ進むことを選んだ。私はそう思う。」おれの感情的な疑問に彼女は答えてくれた。まるで、先輩の気持ちを代弁しているかのように真剣な表情で。
「でも、やっぱ推測じゃあんまりアテにならないかもね。」重たい空気を変えようと、困った笑顔でそう言うと、ピアノの上に置かれたスマホに手を伸ばし、画面をおれに見せつけた。「だから、あんたにこれを勧めてあげる。3番目の曲ね」そうして、CDをおれに渡した。そこにクレジットされたアーティストと曲のタイトルを見た。そのアーティストはたまにテレビや街中で耳にしていた。けど、少し前の人たちのイメージがあって、自分から聴くことがなかった。でもこの曲はつい最近リリースされているようで、少し驚いた。「その曲、私がさっき弾いてたやつね。歌詞とかちょうど合ってると思うよ。実はさっきの推測もその歌詞から参考にしたんだよね。」と少しだけ得意げに笑った。すると、彼女はBluetoothを切って再生した。
室内にさっき聴いた音が響き始めた。曲自体は想像以上に激しくて少しビクッとしたが、すぐに歌い始まってそれに耳をすました。内容は曲調とは違い、やはり穏やかだったが、おれの心に深く刺さってきた。あまりにも今の状況と合いすぎていて、歌の世界の中におれと先輩がいる姿が容易に想像出来た。
歌の世界に浸っているうちに、ラスサビに入った。サビと同じ歌詞が繰り返された。
「それぞれが思う幸せ 僕が僕であるため oh I have to go oh I have to go」
別れたことをひきずっていても仕方ないんだってことは分かってる。けど、そう簡単に進めないんだよ。そう思った矢先に、最後の歌詞が飛んできた。
「oh you'll have to go oh we'll have to go」
そうだ、彼女も進むんだ。
一緒に別の道を進むんだ。
今はこの状況を受け入れられないかもしれない。けど、僕が僕であるために受け入れて先へ行かなければならない。先輩がそうしたように。そして、未練たらしくてもいいから、その進んだ先でもう一度交わることができるとかすかに信じて。
そう思った途端、じっと出来なくなり、彼女に感謝を告げて音楽室を飛び出した。先のことは分からないが、走りながらあの歌詞を叫びたくなった。
oh I have to go oh I have to go
oh you'll have to go oh we'll have to go
Mr.Children/SINGLES