ただただ「安らかに」と祈りたい
昨日のニュース。日本全体に衝撃とショックが拡がったことがすぐに分かった。
SNSのタイムラインがそのニュースで埋まり、職場でも騒然とした。この令和に、日本で起こっていることと誰もが信じられないようだった。
分かってはいたはず。ウクライナ侵攻の際に、ロシアと接している日本も無関係では済まされないと。明らかな危険がすぐちかくにあると。けれど、それも実現しなければ日常の中へと忙殺される。だから、今回の事件が事実と信じられなくなる。
政治家は、この報道に怒りと涙を滲ませた。マスコミや答弁で流暢に話す人たちも言葉を詰まらせた。さらに、明後日参議院選挙を向かえる最中ということもあり、「暴力による言論封殺であり、民主主義への挑戦である」としている。
そして、世間では受け取り方が混沌を極めた。突然すぎるニュースに呆然とする人、悲しみに暮れる人、ここぞとばかりに罵声を浴びせる人、陰謀を見出し喚く人、説明責任を果たせと責め立てる人など三者三様、いやそれ以上だった。
ここに自分の思いを素直に記しておこう。
ニュースを聞いた時は驚いたし、心肺停止の情報を聞いてから、仕事中も頭の中ではどうなったのか心配だった。その後の死亡情報では一瞬頭の整理がつかず、思わず母親に電話したほどだった。
実は一度だけ、安倍さんを生で見たことがあった。かつて参加していたキャンプイベントの会場ゲストに安倍さんが訪れて、登壇してくださった。正直話の中身は覚えていないが、初めて総理大臣を生で見たという少年らしい興奮と遠巻きから双眼鏡で覗いたこと、登場曲がEXILEの「Rising Sun」だったことは強烈に覚えている。
そんな思い出もあり、どうも他人事として済ませなかった。だから、ショックを受けたし、SNS上のフェイクニュースや罵声には違和感でしかなかった。確かに疑惑もあったことは事実だし、全ての政策が上手くいったとはいえないかもしれない。けど、その想いを遺体に向かって放つのはどうなんだろうか。私にはどうも、他人の命を軽んじる卑劣な行為に思えてしまった。
中には、「今更手のひら返したように彼を褒めだした」と言う人もいた。そんなもんだろう。政治のことなんか、おれたち国民のインテリのアクセサリーか日常の憂さ晴らしにしかしてこなかったじゃないか。常日頃から熱心にアンチしている人なんていない。そんな人たちだって今更そんな話をしているだけじゃないか。
…少し感情的になってしまった。とにかく私は、疑惑はあれどそれに劣らないほどの功績も聞いているし知っているから、ただただ感謝と哀悼の意をここで表したい。
そして、ここだけではなく、行動でも表したい。だから、投票へ行く。
正直なところ、民主主義への挑戦と言われても実感はまるで湧かない。だが、今回の投票が、世界変動の中、不況に落ち込む日本を長きに渡り率いてくださったあの人への弔花となるなら、私は投票用紙を投票箱へ捧げたい。
もし、今回のニュースで落ち込み、憂鬱になり、どうしたらいいか、何を信じたらいいか分からくなった人がいたら。その人はまず投票しに行くのはどうだろうか。誰の名前だっていい。あの人の名前だっていい。とにかく書いて投票箱に入れる。それだけでも、今回の事件を受けた行動になるし、次への一歩に繋がると思うから。
とにかく、ゆっくりでいいから前を向いて、難しいことやこれからのことをは、心を整えてからゆっくり考えよう。