言いたいことは何でも言っていいのか?
前書き
本来は別の記事でこのこと書きたかったけど、内容が崩れそうになったから、単体で出す方向に転換することにした。
その時の感情で「正しい」と思ってたけど、よく考えたら「それおかしくね?」っていうことに気づいたから、そのことに触れていく。手のひらを返す行為であることは重々承知だが、それでも気づいたことは書いておきたいと思ったため、書き記すことにした。
正直、内容は特定の人へのアンチになりかねない。
もちろん、そうはならないよう細心の注意を払いながら書いていく。しかし、それでもアンチになっているなら、コメントやおれのSNSでぜひ言ってほしい。真摯に受け止めたい。
何があったのか?
こう言えば、もう分かるかもしれない。
おれが去年世話になった学生団体が今年、大きく体制を変えるとのこと。
その内容を聞いたメンバーの間では、賛否両論がSNS上で溢れた。
そんな中、あるnote記事が話題にあがった。
その中身は、団体名を名指しにして、メンバーからしか見えない裏の事情を暴露したものだ。もちろん、その裏の事情はマイナスなことだ。ここで例を出さないが、分かる人には分かるだろう…。
そのnoteは、確かに的を得た内容となっていて、自分も納得することが多かった。それは、他のメンバーも同様でそのnoteに対する賛同のコメントが寄せられていた。
そのnoteが公開された当初のおれは、言いにくいことを文で示してくれた投稿主に対して、「勇気があるな」と思っていた。
しかし数日が経って、改めて思い返した時、違和感が生まれた。
まさかの手のひら返し
生まれた違和感の正体は何なのか?
一つ目は、「出した時期」。
その時期は、その団体でメンバーを盛んに募集しており、継続するメンバーや新規参入するメンバーの意気込みを綴ったnoteが多数投稿されていた。
その最中、団体名を明記したうえで例の投稿が行われた。ハッシュタグをつけて。
二つ目は、「内容」。
先にも述べた通り、例の投稿の内容はメンバーしか知り得ない裏の事情についてだった。始めは、尊敬できる人との出会いやその団体で得られたものについて触れていた。そうしたうえで次に、裏のマイナスな事情に触れていた。しかし、前書きには念を押して、団体への愛情や他のメンバーへの配慮がなされていた。
この話については、多かれ少なかれメンバーの間で共感出来たようだ。おれも含めて。
以上の二つが、おれが抱いた違和感の正体だった。
改めて言うが、投稿内容に関しては批判をするつもりはない。
以前のブログで唱えた通り、考えの多様性もあるし、色んな捉え方があって良いと思ってる。だから、悪く思うところがあるのは当然のことだ。
ただ、おれが今回言いたいのは、その「主張の仕方」だ。
あえて、SNSで新メンバーを募集している時期に、同じSNS上でそのような投稿をする必要があっただろうか?
あえて、その団体に入りたいと思い燃えている人が見えるようにハッシュタグを貼り付ける必要があっただろうか?
あえて、その投稿に賛同のコメントをする必要があっただろうか?
はっきり言うと、その団体視点から見れば、新メンバー募集行為の妨げでしかないだろう。
もしくは、その団体に入って色々なことに挑戦しようとしている人の情熱に、水をかける行為でしかないだろう。
その投稿は確かに真実かもしれない。それを心の奥に仕舞わずに形にしたのは正しいかもしれない。しかし、その行為は仮にもお世話になった団体への仇になっていないだろうか?
いくら思うところがあったとしても、恩がある相手に対して仇で返すような真似は許されてはいけないと思う。
主張に大事なもの
ここで、おれの思う「主張に大事なもの」は何かを挟みたい。それは、「相手がどう思うか」を考えることだと思う。
「えっ?普通じゃん」と思っただろう。だからこそ、おれはわざわざ大事だとここで記したのだ。
確認のために記すが、おれは決して「主張すること」に反対ではない。「主張すること」はとても大事だと思う。自分の思うことを伝えることが、相手に自分を理解してもらえる手段の一つだからだ。それを考えると、SNSは誰でも使える主張のツールといえるだろう。
SNSの登場で、以前なら届かなかった声が多くの人に届くようになり、助けられる人が増えるようになっていった。しかし、その反対に傷ついた人だって出てきている。それは、同じ「主張」によってだ。
主張することで、なぜ傷つく人が現れるのか?
それは自分の感情を優先して、相手がどう思うかという配慮を欠いて主張しているからだと思っている。その配慮をすることなく、主張することに焦点を当てすぎてしまうからだ。
SNSは、言いたいことを打ち込んでボタンを押すだけで、すぐに世界中に発信出来てしまう。それ故、その時の感情で書き込んでそのまま送信出来てしまうのだ。
だからこそ、より書く内容に気を遣う必要が出てくるのだ。
どうなら良かったの?
「そうは言うけど、思ったことは思ったことだ。どうすればいいの?」
ここまで言われた人はこう言いたいかもしれない。そんな疑問に答えよう。
そのような発言を基に、良い方向に向くように自分が提案し、行動すればいいのではないだろうか?
「ここは問題だな。こうしたらどうだろう?」と提案する。そうすれば、マイナスな考えが「プラスに向かう考え」に昇華される。見た人も嫌な気分にならないうえに、建設的な話し合いの場に変身させることが出来る。
正直、何の責任を取る気もないのに、匿名の場でただ言いたいことだけを言うのは卑怯だと思うし、言われる側にとっても傷つくだけで損でしかない。であれば、打ち込んでボタンを押す前に少し立ち止まって考えてみてほしい。「相手の気持ちを傷つけないかな?」「自分の感情優先で棘のある内容になってないかな?」と。
前にも言ったと思うけど、おれの考えが全く正しいとは思っていない。
だから、もし「それは違うくない?」と思うことがあれば、ぜひコメントとかで教えてほしい。
あとがき
自戒の念を込めて、今回の記事を書いたけど、
やっぱ、堅いお題を書くのは時間かかるわ笑
今度書くときは、もっとラフなお題にしよっと