マジョリティになれる居場所を探そう
ジェーン・スーの相談は踊るにハマって貪るように聴いている。ようやくポッドキャストで3年分くらい遡ったけど、これだけの数のお悩みをばっさばっさと切るのは本当に感心してしまう。
その中で目から鱗がポロリと落ちた言葉があった。記憶で書いてるので間違ってたら申し訳ないのだが、自己肯定感が低い40代女性のお悩みに対する答えで、「自分がマジョリティになれる場所を探してください」
というものだった。自己肯定感が低いのは、マイノリティだから!なぜそのことに気づかなかったんだろうか。
マイノリティとは言っても、私のことをパッと見てマイノリティだと感じる人はあまり居ないだろう。無職の38歳、未婚…という点では分かりやすく弱者だが、それ以外は恵まれているように見える。
全てにおいてマジョリティの人というのはいないだろう。マイノリティであることが苦しくなければ問題ないのだが、理由がわからない苦しさの原因が気づかないマイノリティにあるかもしれない。まず、内向的:外向的の割合が3:7という研究があり、内向的なだけでマイノリティだ。例えばうちの職場では女性が3割程度。あとは、社会階層の違いで、平凡な家庭出身が多い集団、ハイクラスが多い集団かでも色々と変わってくる。
私はずっと違和感を抱えていた小〜高校までと比べて、大学に入学した時肺の奥まで息が吸える感じがあった。違和感というのは、「なんとなく自分がズレているように感じる」ということの積み重ねだった。
休み時間に本を読むのは変。他の人がしている恋愛話のなどに興味が持てない。というものから、笑う場面がわからない、発言すると変な空気になる、など細かいことの積み重ねで、「この発言はおかしくないだろうか」となって自己肯定感は下がるのだ。
前職は「男性」がマジョリティであり、「女性」はマイノリティであった。そこは自分のわからない法則と言葉で動いていた。その場にふさわしい女性の振る舞い、というのがあったのかもしれない。
そう考えると、幸福度はいかに自分と親和性のある集団を見つけるかにかかっている。
私はどちらかと言うとブルーオーシャン志向で、選ぶ人が少ない方、足跡がついてない道を選びがちだった。それで「生きづらい」と嘆いていたのだから、あたりまえじゃーん、と思ったわけだ。
獣道を歩くなら強くないと。
人が少ない道を選ぶことが悪いとは思わないけど、もっと生きやすい場所がどこかにあるのかもしれない、とも思う。
置かれた場所で咲きなさい、は本当なんだろうか?