休みなきゴールデンウイークデイズに燦々と陽は降り注ぎ
4月29日、世の中はゴールデンウイークと呼ばれる、ちょっとウッキウキな気分になってもいい一週間が始まったよう。
よく考えたら、ゴールデンウイークが休みじゃなくなったのっていつからだったっけ?おそらく社会人になってからだ。所属業界がずっとエンタメ系だったものだから、世の中がお休みの時が稼ぎどき、忙し時なわけである。
そのかわり、世の中がみんな仕事で大忙しな時に休めるから、旅行だって飛行機だって基本底値のオフシーズンの時に行けるわけである。お盆やGWの「特別料金」という、よく分からないものを払わないとお出かけできない人たちを、ちょっとだけ気の毒に思ったりもしている。しかもどこもかしこも渋滞と行列で溢れているのだから余計に辛そうである。
ビフォーコロナの頃、実はお勤め先は、東京という名の千葉にある夢の国であった。
勤めながらにして思っていた。ゴールデンウイークの時に来る場所ではないと。
トイレは10分待ち、ポップコーンは30待ち、人気の乗り物はなんと二時間半待ちである。子供たちは疲れて泣き叫び、母親は当然ヒステリックになる。デート中のカップルも会話がなくなり、スマホばかり見ている。本当の意味で夢の中にいるのは、通路脇のベンチで疲れ切り、波打ち際のトドのように寝転がるお父さんだけである。
さてわたし自身はといえば、今年の連休も例の如くお仕事である。ちょっとしたツテもあり、とある大きなイベントの臨時スタッフとしてせっせと働いてきた。
何とはなしに、GWはこのイベントでお仕事するのが年中行事になるような気がしている。本当に、祭りのようなものである。思えばコロナ前は、そんな年中行事で溢れかえっていた気がする。それすら失われた暗く辛い3年間だった。
来年も決まった予定があると言う、地に足のついた幸福感。コロナ禍を生き抜いてきた私たちに一番必要だったもの。
近ごろずっと、わたしの服装を見立てて下さっている方が選んだ、パールがたっぷりあしらわれた華やかなブラウスを選ぶ。少しだけ、シェイクスピアに出てくるフェステの衣装にも似ていて、余計に気に入っている。服も心も明るくいたい。道化の如く、何があっても全てを楽しまなくてはいけない。こうしてまだ、生きているんだから。
出典…『十二夜』最後に道化フェステが歌うシェイクスピアの人生観〜儚い今を楽しむにかぎる